- ──
- その「顔が消える」‥‥という感覚は、
もっと言うと、どのような‥‥。
- 森山
- 空虚になる。
ただ、踊る身としては
まずは「身体」を立てたいし、
見せたいから、
顔は要らないという考え方も
当然あるんです。
- ──
- ええ。
- 森山
- 実際、日本では、
降りてきてるものに対しての身体だから、
顔は強調しない。
反対に西洋では、
実存主義的にものを考える伝統もあって、
ここが、すごく重要になるんです。
- ──
- ここ‥‥つまり「顔」が。
- 森山
- そう、あっちで踊っていると、
仮に同じ振り付けでも、
顔が「どう、自分自身か」ということを、
すごく問われるし、
みんな大事にしているんです。
つまり‥‥顔の消える表現というものが、
それだけで、
日本人の特殊さになるんだということが、
よくわかったんですよ。
- ──
- イスラエルで踊っていたら。なるほど。
そう指摘されたんですか、あちらの人に。
- 森山
- ううん、ぼくが勝手に感じただけですね。
日本人としての自分がおもしろがられる、
その理由が、
ダンスの上手い下手じゃないにあるなら
何なんだろうって考えたら、
やっぱり、
顔や身体の考え方や在り方を含めた
「居住まい」なんだろうと感じたんです。
- ──
- 居住まい。踊る人としての。
- 森山
- そこが独特なんだな、と気づいたんです。
そして、これはぼく個人の話じゃなくて、
日本という国の特徴なんだろうな、とも。
- ──
- なるほど‥‥。
- 森山
- で、それとはまた別のタイミングですが、
ダミアン・ジャレという
ベルギーの振付家に声をかけてもらって、
彼の作品に参加したことがあって。
- ──
- あ、瀬戸内国際芸術祭のやつですか。
- 森山
- そう、「VESSEL」という舞台。
作品のコンセプトを立てるにあたって、
ダミアンは、
土偶‥‥つまり「土でできた器」の、
あの造形のおもしろさに、
ものすごく興味を示していたんですね。
- ──
- 土偶。昔々の日本人が
1万年くらいつくり続けていた物体。
- 森山
- 作品はアーティストの名和晃平さんと
コラボレーションしたもので、
人間の肉体性と彫刻性、
フィジカルとスカルプチャーとの間を
ダンサーの身体を使って横断する、
みたいなコンセプトだったんですね。
そのときも「器になれ」って言われた。
- ──
- なるほど。
- 森山
- イスラエルで感じたことを再確認して、
その感覚こそ日本的な表現の特徴で、
自分にとっても
大事なことなんだと、わかったんです。
- ──
- 器や依り代になる‥‥ということが。
- 森山
- ただ、でも‥‥それだけじゃ足りない。
- ──
- 足りない?
- 森山
- はい、ぼくは足りないと思う。
今は、どっちもほしいって感じてます。
ワガママなのかもしれないけど。
つまり器や依り代になるための修練は
これからも積むんでしょうけど、
反面、身体が欲するような
日常の具体性も切り捨てたくないなと。
- ──
- 俳優として「器、依り代」になった
森山さんが、
ダンサーとして、
身体を取り返しに行っているようで、
おもしろいです。
- 森山
- 話としては抽象的ですけどね(笑)、
けっこう、今の。
- ──
- ひとつ、今、ずっと
「顏」とおっしゃっていましたが、
「表情」と言わなかった理由って、
何かあるんでしょうか。
- 森山
- えっと、そうですね‥‥。
- ──
- つまり、表情って言った場合には、
森山さんが
「消える」とおっしゃる
「顔」とは、
どこか別物のような気がするので。
- 森山
- んー‥‥なんで顔と言ったんだろ。
まったく無意識だったんですけど、
それを「表情」と呼んだ場合は、
少なくとも、
記号のようなものに感じますよね。
- ──
- 笑ったり、怒ったり、悲しんだり。
それらは「顔」に現れますけれど、
実際に
笑ったり、怒ったり、悲しんだり、
してるのは「顔」じゃない‥‥。
- 森山
- うんうん、それは、
やっぱり「自分自身」というものと、
関係してると思う。
- ──
- 美術家の森村泰昌さんに
インタビューさせてもらったとき、
人間の顔って、
素顔も含めて、
ぜんぶ仮面だとおっしゃっていて。
- 森山
- おもしろいな。
- ──
- 別のときに、俳優の柄本明さんに
「顔って何ですか」
という実に曖昧な質問をしたら、
「大衆に奪われてるものだと思う」
という言い方をされてたんです。
- 森山
- へえ‥‥。
- ──
- 完全には理解できませんでしたが、
たしかに、
そんな気がするなあと思いました。
で、そういうこともあったので、
人間‥‥
とくに役者の「顔」って何なのか、
とっても興味があるんです。
- 森山
- 柄本さんのおっしゃる
「大衆に奪われている」って感じ、
すごく、わかりますね。
- ──
- あ、わかりますか。
- 森山
- それはたぶん、ぼくや柄本さんが
役者をやっているから、
何となく共有できる感覚なのかも
しれないんですけど、
でも、本当は職業なんか関係なく、
人が人と対峙するときの
最初の入口って、
どうしても「顔」じゃないですか。
- ──
- はい。そうですね。
- 森山
- その瞬間の「顔」をどうつくるか。
それは意識的に選択してる部分と、
すでに
出来上がってしまっている部分と、
その両方が、
混じり合ってるんだと思うんです。
- ──
- なるほど‥‥
意識の顔と無意識の顔の、融合。
- 森山
- だから、どっちもしてもやっぱり、
そこに現れるのは、
それまでの、その人の人生の中で、
社会生活において、
培われてきたものなんでしょうね。
- ──
- その意味で「奪われて」いるのか。
自分自身でも、
完全には制御できないって意味で。
はぁ‥‥。
- 森山
- 器には、顔も表情もないですからね。
いや、正解は知らないですけど。
でも「奪われてる」という言い方は
ちょっと
意地悪な気もするんですが(笑)、
ぼくは、
柄本さんのおっしゃっていることは、
感覚的にですけど、
ああ、わかるなあって感じがします。
<つづきます>
2020-12-05-SAT