糸井 | 今の学生さんたちって、 みんな、まずは就職するんでしょうかね。 自分でやろうという人や、 商店主になろうという人は あまりいないんですかね。 |
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三宅 | ぼくが教えている大学では ほとんどみんな、いちど就職しようとしますね。 ぼくも、そのほうがいいと思うんですが。 |
糸井 | そうですか。 |
三宅 | ええ。というのも、 これはうちの学生たちの場合ですけど、 「いいところのご子息」が多いんです。 はっきり言うと、ご両親が事業経営という 学生たちがわりといるんですけど、 そういう子がもし 「就職できなくてもいいや。 いざとなったら親の会社に入れてくれるし」 という気分で就職しちゃったりすると、 将来、ご両親の会社に迷惑をかける気が ぼくはするので。 |
糸井 | あんがい親のほうも 「すぐに来い」と待ってたりするケースも あるんじゃないですか? |
三宅 | あると思いますね。 ただ、そう言うと本人が油断してしまうし、 あまり良くないと思うんですよ。 嘘でもギリギリまで 「うちの会社に入れると簡単に思うなよ」 とか言っておいたほうが、 仕事のことを真剣に考えるから いいんじゃないかと思うのですが‥‥。 |
糸井 | ちなみに、起業しようという学生の方って、 けっこういらっしゃるものですか? |
三宅 | うちの大学に限って言えば、 ほとんどいない、というのが実状ですね。 ちょっと言いづらい話ですけど、 学生の時点から「起業しよう!」と思うには、 やっぱり学生起業家みたいな人たちと会う機会が多い、 有名大学の学生さんのほうが 有利だと思うんです。 そして、入学したばかりのときからテンション高く 「起業してみたい!」なんて言っているタイプ。 そうした学生たちは早くからそのつもりですから、 可能性があると思いますけど、 1年生も2年生ものんびり遊んでしまって‥‥ という学生だと、 いまは3年で就活がはじまりますから、 やはり難しいですよね。 |
糸井 | なるほど。 ‥‥ちょっと違う話になりますけど、 いま、「はたらく」ことについての状況は 明らかに少しずつ変化しはじめていると思うんです。 はっきりした未来はわからないけれど、 とんでもなく変わるかもしれない気配が 遠くのほうからざわざわと聞こえてきている。 |
三宅 | はい、はい。 |
糸井 | 今日、そんなことを考えていて ふと「高校生がうちの会社に入るのってどうなんだろう」 と思ったんです。 |
三宅 | それ、良いアイデアだと思います。 |
糸井 | あ、そうですか。 |
三宅 | ええ。 ただし「学生側のほうから考えて」 ではありますが。 というのも、学生たちを見ていると、 実際に仕事をしないままでは、 「はたらく」ことがどんなことなのかが よくわからないんだろうな、と思うんです。 みんな就活、就活と言いますけど、 実際のところ 「はたらく」ことについての 基本的な理解──たとえば、 「自分がなにかで貢献できなければ、 会社から給料をもらえるわけがない」 みたいなことを全く理解できていないまま 就活をはじめてしまって惨敗する学生、いるんです。 |
糸井 | あ、なるほど‥‥。 |
三宅 | その姿を見ると、ものすごく残念だと思うんです。 そして、そういう学生たちに対して 業界分析がどうのこうのって かたちだけ指導をすることはできますけど、 でも、本人がピンとこないまま指導をしても、 ぜんぜん頭に入っていかないんですよ。 |
糸井 | ああ。 |
三宅 | だからぼくは、やっぱり 実際にはたらいてみるのが、 学生たちには何より役立つと思うんです。 いまは、行こうと思えば 大学1年生からインターンに行けますから。 そして、さきほど糸井さんがおっしゃられたような、 高2、高3ぐらいから仕事を手伝うことができたら、 どれだけしっかりした視点が持てるだろうと。 「難しい仕事はさせられないけど、 とにかく横で見てて」 というだけでも、いい気がします。 |
糸井 | それは「徒弟」みたいなことですよね。 |
三宅 | はい。 昔でいう「徒弟」みたいな教育方法は、 ぼくはいま、すごく機能すると思っているんです。 事実うちのゼミも、 徒弟制度のような教え方をしていて。 |
糸井 | あ、そうなんですか。 |
三宅 | ええ、こちらの意見は教えずに 「ついてこい、見ておけ」。 そして、一日が終わると「どうだった?」。 で、話をさせて「その見方は、まだ甘い」みたいに 指摘することの繰り返しをやるんです。 これ、ぼくが自分の恩師から教わったやりかたなんです。 「違う人間だから、まったく同じやりかたは 教えられないし、身につけられないだろうけど、 自分なりのやりかたを見つける参考にはなるから、 とにかく見ておけ」 と、よく町工場とかに連れて行ってくれて。 100軒以上の工場に一緒に行っていて、 「相変わらずバカやってるねえ」と言われるときがあったり、 80過ぎの、60年以上金属部品を 加工してらっしゃるおじいちゃんに ものすごく丁重にお話を聞かせていただいた、 ということがあったり。 そして、どの経験がどうということではなく そのときのさまざまな経験の全体から、 ぼくはものすごく学ばせてもらったんです。 |
糸井 | それは、いいですね。 ‥‥どんな相手も、 「おさる」同士だと思うんですよ。 |
三宅 | あ、教わる同士。 |
糸井 | いや、「お猿」。 |
三宅 | あ。 「お猿」と「お猿」。 |
糸井 | どんなコミュニケーションも 結局は、お猿同士が向き合うときのように みんな「生理的にぶつかり合う」んだと思うんですよ。 |
三宅 | 生理的に。 |
糸井 | ええ。 ボディで、と言ってもいいんですけど。 だから、師弟のような場合だと、 弟子からすると 「師匠、それ理屈が合いません」ということも たぶんあるんだと思うんですけど、 それを弟子がボディで受け止めることで 学べることが、たくさんあると思うんです。 その、ボディ感覚こそが身についていく。 そのときに師匠の側が 「わからないなら、理屈がわかるまで一緒に考えよう」 みたいなやりかたをとったら、 たぶん、ボディ感覚は消えちゃうんですね。 |
三宅 | はい、はい。わかります。 |
糸井 | そして、ボディでぶつからなきゃ行けないときって 人生のなかで、何度かあると思うんですよ。 これがいい例なのかはわからないけれど たとえばぼくはむかし、 テレビの番組で「埋蔵金を掘る」ことをやっていたんです。 土木工事みたいな。 |
三宅 | はい、徳川埋蔵金! 番組を、ワクワクしながら見てました。 |
糸井 | あの番組って、けっこう危険だったんです。 やっぱり土木ですから。 そしてぼくはみんなから 「親分」って呼ばれなきゃいけない 立場だったんです。 なぜというと、そんな危険な作業を みんな「親分」と認めない人のためになんて やりたくないから。 |
三宅 | ああ‥‥。 |
糸井 | そういうときって、ぼく自身が 自分自身の楽なところから出ずにやっていたら、 通じないんですよね。 そして「通じない」とわかっていて それをやるわけにもいかない。 だからそのときのぼくは、自分のこころを裸にして、 自然にいるしかなくて。 そして、よけいなことを考えずに 「楽しくやろう」「一生懸命やろう」とだけ 心に決めたんです。 だけど、その裸の自分のままで 自然にしていたら、なんだか 「あ‥‥こういう態度で向かい合えばいいのか」 ということが、少しずつ見えてきたんです。 |
三宅 | はい、はい。 |
糸井 | そして、あの番組をはじめてから、 ぼくは東京に戻ってきてから 工事現場の横を通ったりするときに 声がかかるようになったんです。 「あれどうなの? うまくいきそうなの?」 とか言われたりして。 そんなこと、それまでなかったんです。 ぼくはそれまできっと、本当は田舎の子なのに チャラチャラした都会の子だと思われていたんですね。 だけど、そんなチャラチャラしたイメージの相手が あそこでひどい目に遭ってて、 何もできずに「チキショー」とか言ってる。 そのことで、ぼくも同じような人間だということが、 ちゃんと伝わったんだと思うんです。 |
三宅 | ‥‥なるほど。 |
糸井 | 結局埋蔵金は出なかったですけど、 あの体験は本当に勉強になりました。 |
(つづきます) |
2013-09-20-FRI |