糸井 |
土屋さんは、
辞めようと思ったことは、ありますか? |
土屋 |
ないです。
テレビ局を辞めてテレビを作ることって、
ものすごく作りづらいじゃないですか。 |
三宅 |
うん。 |
土屋 |
例えば、『電波少年』のアポなしの時代は、
ぼくが社員でいたから
できたことだと思っているんです。
いわゆるプロダクションに
所属している人間の企画であったら、
会社の人間に
「責任問題になるから、勘弁してくれ」
と言われて、たぶんできなかったはずで。
そういうことも含めて、
テレビの中で新しいことをやっていくには、
社員でいることがいちばんいいと、
今でも考えているんです。
ただ、その事実と、
「作り手であり続けるということ」
の間では、たまにですけれど
「どうしようかなぁ?」
と、思わないことはないですけど。 |
三宅 |
そうなんです。
今は特に、新しいことをやるのが、
難しくなっていますよね。
前に先輩から言われたことなんですが、
「組織が大きくなればなるだけ、
クリエイティブの力が
反比例してなくなっていく」
ということは、もうほんとに感じます。
昔は
「あれやっといてよ」
「これやりました」
という感じでできたものが、
「こっちに書類を持っていって、
あっちに許可をもらって」と
やっていかなきゃならない形になると、
これはしょうがないことなので……。 |
糸井 |
昔よりも今の方が、
キツくなったのは確かだし、
要求される水準が、
ひとりずつに対して大きくなりましたよね。
ぼく自身のことで言っても、
昔はそんなに働いていなかった気がするんです。
たのしくやっていたし、
時間は確かにいろいろなことに
取られていたけど、ほんとに
苦しいと思ったことなんてぜんぜんなくて、
「なんとかなるよ」
って言ったらなんとかなっていたし……。 |
土屋 |
そういう感じはわかります。 |
糸井 |
遊んでいても、
誰かがチェックもしなかったし、
「オレが遊んでいるから
部下がサボるかもしれない」
なんて考える必要もなかったし……
なんにも考えないで、
四五歳までやってきちゃった。
古い人間は、正直、
「昔はもっとむちゃくちゃだったぞ」
と心の中では思っていますよね。 |
三宅 |
それは、絶対、ありますよね。
昔はおたがいに信頼していて、
それで済んでいた。
今は逆になっているのかもしれない。
たとえば、てめえの会社に入るのに、
なんで社員証を出すのか──
それは、当たり前の理由でわかるけど、
たとえば会長の
日枝さんが入ったときにはどうするのか?
警備の問題で必要であったとしても、
少なくとも会長の名前と顔ぐらいは
覚えていたほうがいいんじゃないか?
日枝さんが、ひとりだけ
スッと何も出さずに入ったら、
まわりも「あの人は偉いんだな」と
思ってくれるでしょう?
一流ホテルのベルボーイの人が、
人の顔と名前をぜんぶ覚えていて、
のちに取締役になったとか、
そういうたぐいの仕事であるべきだろう、
と個人的には思っているんですけどね。 |
糸井 |
今、そういうことをもしも言ったら、
「三宅さんの気持ちはよくわかるんですが、
コストが高いんです」
とかいうことになるんですよね。
つまり、警備員の人は、
今日も明日も同じかどうかはわからない。
「全員に同じ扱いをすれば、
入替可能な人を雇えます」
ということで、負けてしまうんですよね……。 |
三宅 |
ええ。
ふつうの会社ではそうだろうけど、
少なくとも、ものを作っている
フジテレビという会社が
そうしているとなれば
「あ、すごいな」
と、まわりは思うはずなんですよね。 |
糸井 |
そうなれば、
別の価値が生まれるんですよね。
ヨーロッパとアメリカの違いだと思うんです。
ヨーロッパって、
建てなおしたほうがいい建物を、
使ってるじゃないですか。
あれって、コストから言うと
高くついていると思うんです。
土台を補強し、レンガは残し、
ワインセラーは地下室に残し、
内装はすべて最新式に変え、
水道管を埋め直す……大事なものは何か、
わかっているからやってるわけですよね?
アメリカは、
それを「すべて壊して建てなおす」わけです。 |
三宅 |
はい、壊しますよね。 |
糸井 |
「買ったほうが安いから」
というところに、みんなが行ってしまって、
とうとう人間もそうなったんです。 |
三宅 |
ちょっと話が戻りますけど、
「そこを、壊さないほうがいい」
という考え方を、ぼくは
萩本欽一さんから教わったんです。
「ふつうは、こう考えるだろう?
で、それがふつうなんだから、
そうじゃないことを考えれば、
笑いはぜんぶ生まれるんだ」
そのあたりは、
もう、意識改革をしていただいたんです。 |
糸井 |
そのとおりだなぁ。
「笑い」を考えるっていうことは、
つまり「批評」を考えるってことなんですね。 |
三宅 |
だからまず、ふつうの家庭で、
ふつうの日常生活をできないと、
それを崩すこともできないんです。
それができた上で、
さらに崩すところに、笑いがあるわけで。 |
糸井 |
そもそも、守りたいものがない人は、
人に優しくできないと思うんです。 |
三宅 |
それは、そう思いますね。 |
糸井 |
無鉄砲で、
「命なんかいらねぇんだ!」
というヤツは、人の命も大事にしない(笑)。
やっぱり、もう、未練タラタラで、
絶えずメソメソしていて、
守りたいものだらけで度胸がないヤツが、
「でもここは、息を止めて飛びこもう!」
と言うからこそ、
「そうだよなぁ」と思うわけで。
命知らずに、命を預けたくはないですよね? |
土屋 |
はい(笑)。 |
糸井 |
まぁ、ぼくも、
こんなに整理して喋れるようになるのに、
五十何年かかりましたけど。
やっぱり若い頃は、
命知らずなふりをしていて
アジテーションをしていたほうが、
人気があるんですよね。
「オレがいちばん過激」
「オレがいちばんおもしろい」
と言っていれば、人は騒いでくれるんです。
その歓声が、
自分のごはんのタネなんだというふうに、
芸人さんもディレクターもプロデューサーも、
思いがちなんですよね。
だけどその歓声は、
一時のメシのタネにはなるけれど、
畑をダメにしてしまうという……。 |
三宅 |
そこは、畑がしっかりしていれば、
いいんでしょうね。
さんまさんは、どんなに祭りあげられても、
「こんなことにダマされちゃいかん」
と言いつづけていたんです。
「自分は、ご近所の人気者で構わない」と……
そう人に言って、自分にも
言い聞かせているんでしょうけれど。
結婚した当初、
奥さんとふたりで歩いていたときにも、
「フラッと立ち寄ったあちこちで
おもろければ、もうそれでいいんだ」
という意識を、常に持っていらっしゃるんです。
だから、カメラがまわっているとか
まわっていないとかは、ほんとにないんです。
萩本さんも、そうでした。
大将は、外でロケをやっていて、
サインを求めるファンを
スタッフがくいとめたりすることを、
すごい嫌いました。
でも、こちらとしては、
それをやらないことには、
萩本さんがケガをしてしまう……。 |
糸井 |
あのへんはもう、本人は
見ないフリをするしかないでしょうね。 |
三宅 |
市街地のロケで、
人を止めたりクルマを止めたりするのも
嫌がるんです。
そっちばっかり、気にしていました。 |
土屋 |
萩本さんは、
「人やクルマを止めないバラエティは
どうやればいいんだろう?」
と考えてそれで新しいバラエティの形を
作った人ですよね。
ロケやっていても人を止めないから、
画面の奥に誰かがいて、
ジーッとこちらを見ていたりするのが、
逆におもしろかったりするんです。 |