糸井 |
萩本欽一さん的な人というのは、
さんまさんもそうですけど、
他にはどんな人がいるんですか?
もちろん、
萩本さん的ではない人も
いるわけでしょうけど……。 |
三宅 |
うーん……。 |
土屋 |
大きい流れで言うと、
やっぱり萩本さんからのベースがあって、
そこから、たけしさんであったり、
さんまさんであったり、志村さんであったり、
というふうになっていったんだと、
ぼくは思います。 |
糸井 |
確かに、
いま名前が挙がったかたがたは、みんな
「フラッと現れた感じ」がありますね。
ある程度、名前が出ちゃった人は、みんな、
はじまっているのかなんなのか
わからないような声から、出しますよね。 |
三宅 |
笑いは、やっぱりお客さんと
同レベルから行かないとダメなんですよね。
ミュージカルとかだと、それこそ
ものすごいテンションの高いところから
ポーンとやりはじめるけど、
コントでは、それは絶対にしてはいけない。
これは萩本さんに言われたことなんですけど、
「ふつうに入っていって、
知らないあいだに虚構の世界に
お客さんを連れていくのがコントなんだよ」と。
ウソの世界からだと、もうお客さんにとっては
「ダメ」なものなんですよね。
萩本さんやコント55号のコントは、
だいたい最初は、
ふつうの人としてはじまるんですよね。
見ているうちに、
だんだん違ったものになってくる。 |
糸井 |
それを、もともとは
「テレビ」っていうところに
いなかった萩本さんが考えたわけですか? |
三宅 |
そうでしたね。
機械的な発達というのもあるんです。
昔は、今みたいな機材がないから、
携帯のカメラがあっても、
電源が取れるところじゃないと
撮影ができなかった。
ところが、それでは機動力がないから、
うちの技術の連中が
「自動車のバッテリーから電源を引くこと」
を開発するんです。
「自動車のバッテリーを
十個ぐらい頼んでおいて、ロケをやる」
とかいう技術の進歩も、
もともとは、現場での必要性から
出てきたところがありました。
マイクが小さくなることにしてもそうです。 |
糸井 |
なるほど。
「欽ちゃんが出てきた時代に、
とんでもなく、
ソフトもハードも発達してきた」
っていうことですか? |
土屋 |
……というか、
「あの人がさせた」
みたいに思っています。 |
糸井 |
そこまで言う? |
三宅 |
いや、VTRについては、
明らかに、
うちの技術が、萩本さんに影響されて……。 |
土屋 |
そうなんですよね。
マイクを隠して、
服の裏に貼って隠すことも、
欽ちゃんの演出だったと思うんです。
たぶん、あの方が
「そういうの、できないの?」
と言った、みたいなところがあるんですよ。 |
三宅 |
テレビのバラエティの形を変えたのは、
技術的にも、
たぶん萩本さんだろうと思うんです。 |
糸井 |
すごいなぁ……
「萩本欽一を語る」
みたいな集まりになっていますね。
それだけ語る価値のあることなんでしょう。 |
三宅 |
萩本さんは、ぼくにとっては、
今でも、白いものでも
「クロだ!」と言われたら
「はい、クロです」
と言っちゃうかたなんです(笑)。 |
糸井 |
三宅さんの娘さんと
話していておもしろかったんだけど、前に、
「お父さんって、今も現場をやってるの?」
みたいに、なにげなく聞いたら
「一生そうだと思いますよ」
と、きっぱり言うんです。
「年取ったら、管理職になったり、
現場に出ない仕事に
なったりするんじゃないのかなぁ」
「うちの父は、そういうの、ないですね」
そんなことを、子どもまでわかって
即答しているのがすごかった。
実際にそうだし。 |
三宅 |
おかげさまで、
現場をやらせていただいてるんですよ。 |
糸井 |
特殊な例でしょう? |
三宅 |
はい。
そういうのは、
フジテレビに、3人いるのかな。
バラエティでは、ぼくひとりが
「ゼネラル・ディレクター」という立場です。
ドラマのほうでは河毛
(※河毛俊作さんのこと:
木村拓哉さん主演の
『ギフト』などの演出を手がけている)
が同じ役目ですね。
アナウンサーでは、須田さんが
「ゼネラル・アナウンサー」という、
現場をやってもいいと言われている人です。
ぼくなんかは、とうの昔に、
ラインの出世なんていうのは
あきらめましたから。 |
土屋 |
昇進を断ったんですか? |
三宅 |
内輪で、お願いはしましたけどね。
「肩書はあがらなくてもいいですから、
現場でやらせてもらいたい」と。
ドラマでは、定年ギリギリまで
現場にいらっしゃったかたが、
前からいっぱいいたんです。ところが
バラエティだと、ディレクターが年を取ると
プロデューサーになって、さらに年を取ると
部長になって……となっていました。
それぞれ職種が違うはずなのに、
ドラマでは現場にいつづけられて、
バラエティだといられなくなるのは
おかしいなと思っていたんですよ。
「バラエティにはそういうものがないから
やらせてほしい」とお願いをしたら、
それをわかっていただけて。 |
糸井 |
こないだ、日テレで
『はじめてのおつかい』
という番組に出させていただいたら、
いまだに、佐藤孝吉さん
(『アメリカ横断ウルトラクイズ』などの
ディレクターを歴任。現在六一歳)
が前説をやってるんですよ。 |
土屋 |
取締役ディレクターで、
このまえ顧問になって、
顧問ディレクターになりましたけれども。 |
糸井 |
いいですよね。
三宅さんみたいな人からしたら、
ひとつの夢の形じゃないですか? |
三宅 |
それ、いいですよね。 |
糸井 |
土屋さんも、
ずっと現場にいたいタイプですか? |
土屋 |
ぼくは、今、その道を外れています。
『電波少年』『雷波少年』『ウリナリ』
と三つの番組をやっている状態で
「編成部長をやれ」と、
かなりむちゃくちゃなことを言われたわけです。 |
三宅 |
それはむちゃくちゃだ。 |
土屋 |
ぼくは、プロデューサーの中でも
自分で番組の中味を作っている
タイプの人間でしたし、
純粋ものづくりの道で行くつもりだったのが、
そこから道をはずれはじめて……去年は、
「コンテンツ事業推進部長」と、
さらに番組でもないところにまで行きまして。 |
糸井 |
要するに、
「開発部隊」みたいになったんですよね。 |
土屋 |
そうです。
だから正直に言うと時々思うんです。
「さぁ、どうしたもんかなぁ」と。 |
糸井 |
ぼくはそれを、賛成しているんです。
「その役職はイヤだ」
と言う人にさせなきゃ、
会社は変わらないと思うから。
その意味で、土屋さんは
編成や新規事業をやらされているわけですよね。
でも絶対に、将来
「あれをやっといてよかった」
という時期が来るだろうと思うんです。
三宅さんは、そういう場合は、
絶対に逃げるんですか? |
三宅 |
前に、今のフジテレビの
村上社長が編成局長だったときに、
昔、萩本さんの頃から
ぼくと一緒にバラエティをやっていた
ブッチャー小林という者が、
営業に異動になったんですね。
小林は、その後、
営業局長にまでなったんです。
本人はゴネていたけど、ぼくも
「あいつは営業向きだな」
と思っていました。
村上さんは
「絶対にそのほうがいいから」
と言って異動させたんです。
あとで村上さんに
「なんでぼくのことは、行かせないんですか?」
と聞いたら……
「おまえは、異動になったら
辞めちゃいそうだから」
と言ったんです。
そんな気はぜんぜんなかったですけど、
そういうふうに言われたことはありました。 |
糸井 |
うわぁ、わかるなぁ。
人って、人のことをよく見ているんですよね。 |