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おもしろ魂。
三宅恵介さん土屋敏男さんと、テレビを語る。

3. テレビ制作者がたどってゆく道

今回の内容は、鼎談の中身を
たっぷり詰めこんでいるので、
冒頭で、あまりたくさんのことは
言わないようにしておきましょう。

テレビ制作者のイメージとしては、たとえば、
「AD→ディレクター→プロデューサー」
と進み、その先は管理職にまわるような
イメージがあるけれど、
個人としてのやりたい道を優先させると、
ずっと、ディレクターであり続けたいという、
三宅さんのような人もいらっしゃるわけです。

「テレビマンとしての辿る道に」
ついてのお話は、他の仕事に就いている人も、
実感を持ってうなずいてしまうものなんです。
ではさっそく、今日の鼎談を、どうぞ!

三宅恵介さんプロフィール
土屋敏男さんプロフィール

糸井 萩本欽一さん的な人というのは、
さんまさんもそうですけど、
他にはどんな人がいるんですか?
もちろん、
萩本さん的ではない人も
いるわけでしょうけど……。
三宅 うーん……。
土屋 大きい流れで言うと、
やっぱり萩本さんからのベースがあって、
そこから、たけしさんであったり、
さんまさんであったり、志村さんであったり、
というふうになっていったんだと、
ぼくは思います。
糸井 確かに、
いま名前が挙がったかたがたは、みんな
「フラッと現れた感じ」がありますね。
ある程度、名前が出ちゃった人は、みんな、
はじまっているのかなんなのか
わからないような声から、出しますよね。
三宅 笑いは、やっぱりお客さんと
同レベルから行かないとダメなんですよね。

ミュージカルとかだと、それこそ
ものすごいテンションの高いところから
ポーンとやりはじめるけど、
コントでは、それは絶対にしてはいけない。

これは萩本さんに言われたことなんですけど、
「ふつうに入っていって、
 知らないあいだに虚構の世界に
 お客さんを連れていくのがコントなんだよ」
と。
ウソの世界からだと、もうお客さんにとっては
「ダメ」なものなんですよね。

萩本さんやコント55号のコントは、
だいたい最初は、
ふつうの人としてはじまるんですよね。
見ているうちに、
だんだん違ったものになってくる。
糸井 それを、もともとは
「テレビ」っていうところに
いなかった萩本さんが考えたわけですか?
三宅 そうでしたね。
機械的な発達というのもあるんです。
昔は、今みたいな機材がないから、
携帯のカメラがあっても、
電源が取れるところじゃないと
撮影ができなかった。

ところが、それでは機動力がないから、
うちの技術の連中が
「自動車のバッテリーから電源を引くこと」
を開発するんです。
「自動車のバッテリーを
 十個ぐらい頼んでおいて、ロケをやる」
とかいう技術の進歩も、
もともとは、現場での必要性から
出てきたところがありました。

マイクが小さくなることにしてもそうです。
糸井 なるほど。
「欽ちゃんが出てきた時代に、
 とんでもなく、
 ソフトもハードも発達してきた」
っていうことですか?
土屋 ……というか、
「あの人がさせた」
みたいに思っています。
糸井 そこまで言う?
三宅 いや、VTRについては、
明らかに、
うちの技術が、萩本さんに影響されて……。
土屋 そうなんですよね。
マイクを隠して、
服の裏に貼って隠すことも、
欽ちゃんの演出だったと思うんです。
たぶん、あの方が
「そういうの、できないの?」
と言った、みたいなところがあるんですよ。
三宅 テレビのバラエティの形を変えたのは、
技術的にも、
たぶん萩本さんだろうと思うんです。
糸井 すごいなぁ……
「萩本欽一を語る」
みたいな集まりになっていますね。
それだけ語る価値のあることなんでしょう。
三宅 萩本さんは、ぼくにとっては、
今でも、白いものでも
「クロだ!」と言われたら
「はい、クロです」
と言っちゃうかたなんです(笑)。
糸井 三宅さんの娘さんと
話していておもしろかったんだけど、前に、
「お父さんって、今も現場をやってるの?」
みたいに、なにげなく聞いたら
「一生そうだと思いますよ」
と、きっぱり言うんです。

「年取ったら、管理職になったり、
 現場に出ない仕事に
 なったりするんじゃないのかなぁ」
「うちの父は、そういうの、ないですね」

そんなことを、子どもまでわかって
即答しているのがすごかった。
実際にそうだし。
三宅 おかげさまで、
現場をやらせていただいてるんですよ。
糸井 特殊な例でしょう?
三宅 はい。
そういうのは、
フジテレビに、3人いるのかな。

バラエティでは、ぼくひとりが
「ゼネラル・ディレクター」という立場です。
ドラマのほうでは河毛
(※河毛俊作さんのこと:
  木村拓哉さん主演の
  『ギフト』などの演出を手がけている)

が同じ役目ですね。
アナウンサーでは、須田さんが
「ゼネラル・アナウンサー」という、
現場をやってもいいと言われている人です。

ぼくなんかは、とうの昔に、
ラインの出世なんていうのは
あきらめましたから。
土屋 昇進を断ったんですか?
三宅 内輪で、お願いはしましたけどね。
「肩書はあがらなくてもいいですから、
 現場でやらせてもらいたい」と。

ドラマでは、定年ギリギリまで
現場にいらっしゃったかたが、
前からいっぱいいたんです。ところが
バラエティだと、ディレクターが年を取ると
プロデューサーになって、さらに年を取ると
部長になって……となっていました。

それぞれ職種が違うはずなのに、
ドラマでは現場にいつづけられて、
バラエティだといられなくなるのは
おかしいなと思っていたんですよ。

「バラエティにはそういうものがないから
 やらせてほしい」とお願いをしたら、
それをわかっていただけて。
糸井 こないだ、日テレで
『はじめてのおつかい』
という番組に出させていただいたら、
いまだに、佐藤孝吉さん
(『アメリカ横断ウルトラクイズ』などの
 ディレクターを歴任。現在六一歳)

が前説をやってるんですよ。
土屋 取締役ディレクターで、
このまえ顧問になって、
顧問ディレクターになりましたけれども。
糸井 いいですよね。
三宅さんみたいな人からしたら、
ひとつの夢の形じゃないですか?
三宅 それ、いいですよね。
糸井 土屋さんも、
ずっと現場にいたいタイプですか?
土屋 ぼくは、今、その道を外れています。
『電波少年』『雷波少年』『ウリナリ』
と三つの番組をやっている状態で
「編成部長をやれ」と、
かなりむちゃくちゃなことを言われたわけです。
三宅 それはむちゃくちゃだ。
土屋 ぼくは、プロデューサーの中でも
自分で番組の中味を作っている
タイプの人間でしたし、
純粋ものづくりの道で行くつもりだったのが、
そこから道をはずれはじめて……去年は、
「コンテンツ事業推進部長」と、
さらに番組でもないところにまで行きまして。
糸井 要するに、
「開発部隊」みたいになったんですよね。
土屋 そうです。
だから正直に言うと時々思うんです。
「さぁ、どうしたもんかなぁ」と。
糸井 ぼくはそれを、賛成しているんです。
「その役職はイヤだ」
と言う人にさせなきゃ、
会社は変わらないと思うから。

その意味で、土屋さんは
編成や新規事業をやらされているわけですよね。

でも絶対に、将来
「あれをやっといてよかった」
という時期が来るだろうと思うんです。

三宅さんは、そういう場合は、
絶対に逃げるんですか?
三宅 前に、今のフジテレビの
村上社長が編成局長だったときに、
昔、萩本さんの頃から
ぼくと一緒にバラエティをやっていた
ブッチャー小林という者が、
営業に異動になったんですね。

小林は、その後、
営業局長にまでなったんです。
本人はゴネていたけど、ぼくも
「あいつは営業向きだな」
と思っていました。

村上さんは
「絶対にそのほうがいいから」
と言って異動させたんです。
あとで村上さんに
「なんでぼくのことは、行かせないんですか?」
と聞いたら……
「おまえは、異動になったら
 辞めちゃいそうだから」

と言ったんです。
そんな気はぜんぜんなかったですけど、
そういうふうに言われたことはありました。
糸井 うわぁ、わかるなぁ。
人って、人のことをよく見ているんですよね。

今日の仕事論:

「技術の進歩も、もともとは、
 現場での必要性から出てきました。
 マイクを隠して服の裏に貼って隠すことも、
 萩本欽一さんの演出だった、と思うんです。
 たぶん、あの方が
 『そういうの、できないの?』
 と言ったからはじまった──
 みたいなところが、たくさんあるんです。
テレビのバラエティの形を変えたのは、
 技術的にも、たぶん萩本さんだと思います」
          (三宅恵介・土屋敏男)

※3人の鼎談は、明日につづきます。
 「ふつうと、ふつうではないこと」
 について、話してくれる回になります。
 
 このコーナーへの感想をはじめ、
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 ぜひ、こちらまで、件名を「テレビ」として
 お送りくださるとさいわいです!
 今後も、シリーズ鼎談として続いてゆく連載なので、
 あなたの感想や質問を、参考にしながら進めますね。


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2004-06-17-THU

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