- ──
- 2013年に開かれた望月さんの作品展
「どうぶつたち」のことを
知り合いがFacebookで紹介していて
「わ、実物を見てみてたい!」と。
- 望月
- ああ。
- ──
- すぐに、この「Hasu no hana」という
ギャラリーにうかがいました。
すると、単に「かわいい」だけじゃない、
見る者をゾワゾワさせるような、
ふしぎな魅力の「どうぶつたち」の作品が、
額装もせず、壁にぺたぺた貼ってあって。
- 望月
- ええ。
- ──
- じーっと見てると
あちらからもじーっと見られてるというか
そんな魅入られるような感覚もありつつ、
「連れて帰りたい」
というような「親しみ」も感じたんです。
- 望月
- そうですか。
- ──
- 作家さんについては、どのような人なのか、
何の予備知識もなく来たんです。
何しろ「望月計男」というお名前を
ネットで検索しても
情報がほとんど出てこなかったので。
- 望月
- でしょうねえ。
- ──
- そしたら展覧会場の隅っこのほうに
ご本人がちょこんと座っていらして、
失礼ながら
「え‥‥このおじいさんが!?」と。
作品の感じが、何となく今っぽいし
若い人かなとばかり思っていたんです。
- 望月
- こんなジジイですよ。
- ──
- びっくりしました。
- 望月
- パソコンのことはわかんねえけど
インターネットに出してもらったらさ、
イタリアに住んでる娘が見て
「ぜんぶ、わかったよ。
親父のこと、ぜんぶわかった」って、
そう言ってた。
娘も、図案やってるもんだからさ。
よかったよ、出してもらって。
- ──
- ネットで検索しても
ほとんど素性の分からないおじいさんが
こんな版画をつくっているとは
「謎すぎて、すごい!
世界ってまだまだ広い」と思いました。
- 望月
- そうかい(笑)。
- ──
- 聞きたいことは山ほどあるんですが
まず、あの「どうぶつたち」は
どのように、生まれてきたんですか?
- 望月
- まあ、もともと俺は版画じゃなくて
若いころは抽象とかやって、
春陽会や読売アンデパンダンへ出品したり
まあ、いろいろ失敗ばっかり、
人生、失敗ばっかりしてきたんだけど、
仕事を辞めてから
多摩動物園へ通うようになったんです。
- ──
- 退職後に、動物園に。
- 望月
- そう。多摩動物園ってな、すごいんだ。
写真の人なんかと話したら
1年のうち200日ぐらい来てんだよね。
写真、写しにさ。
- ──
- 動物の写真を撮りに?
- 望月
- ゴリラならゴリラだけ、
ユキヒョウならユキヒョウだけを
ずーっと狙って、
1年中、写真を写してんですよ。
- ──
- お好きなんですかね。
- 望月
- まあ、好きっていうか、
写真集を出したりしてる人もいるけど
朝から来てさ、
動物が、10時半ごろまで動くんだよ。
で、昼になってやつらが寝ちゃうと、
人間も酒を飲んで‥‥。
- ──
- やることなくなりますもんね(笑)。
- 望月
- 3時半くらいまで寝てるわけ、おたがい。
そのあと、
3時半から5時くらいまで動き出すから‥‥。
- ──
- 人間もまた撮影をはじめる、と。
- 望月
- そうそう。その点、俺なんかはさ、
いちばん通ってたときでも
せいぜい、1年に30日くらいなもんだしさ。
- ──
- それでも多いですよ(笑)。
- 望月
- まあ、うちで寝転がってたって
ばあさんが「粗大ごみは困る」って言うし、
年間券だったら
1800円だかそれくらいで入れるから。
朝から晩まで、さ。
- ──
- つまり動物の版画作品をつくるために
お仕事を退職したあと、
多摩動物園に通ってたってことですね。
- 望月
- そうです。
- ──
- 版画をやりはじめたのも、退職後?
- 望月
- そう。動物の前は、人間の顔をやったんだ。
12年くらい前に「人間の顔」だけをね。
それで、はじめての個展をやったんだけど。
- ──
- 顔。
- 望月
- そう、そこらのばあさんのイヤな顔とか、
そこらの親父のイヤな顔とか、
道っぱたの酔っぱらいの、イヤな顔とか。
- ──
- イヤな顔ばっかり‥‥。
- 望月
- 銀座の養清堂って画廊でやったんだけど、
1枚も売れなくてさ。
‥‥いや、1枚か2枚、誰かに売れたか。
- ──
- 売れたのは、誰の顔だったんですか?
- 望月
- 裸婦だったかな。
- ──
- 裸婦のイヤな顔‥‥。
そもそも望月さんって、引退される前は、
何のお仕事をされてたんですか?
- 望月
- はじまりのはじまりは、
芹沢銈介(けいすけ)のとこに2年いて。
- ──
- 芹沢銈介さんと言うと、
柳宗悦さんの「民芸運動」で活躍した
静岡のほうに美術館もある、あの。
- 望月
- そうそう、染色工芸のね。
川端康成の『雪国』の装丁とかもやってた。
最後の仕事を俺がやったりとか、
まあ、死ぬまで付き合ってたんだけど。
- ──
- どういう人だったんですか。
- 望月
- そうだねえ‥‥とあるね、
芹沢さんがデザインやった作品をさ、
俺がシルクで刷ったんだけど
朝の4時ごろに来て
「どうしても紙の色が気に食わねえ。
また9時ごろ、
車で取りにくるからなんとかしろ」
つうんだよね。
- ──
- ええ‥‥朝の4時にですか。
- 望月
- 俺はね、その前にね、4日くらい
仕事で寝られなかったわけ、あんまり。
- ──
- 4日も。
- 望月
- ま、それはいいんだけど‥‥。
- ──
- いいんですか(笑)。
- 望月
- もう徹夜も3日目だってときにね、
俺だって寝てえからさ
庭にホルマリン撒いといたんだよ。
ほれ、ホルマリン撒いときゃあさ、
目がヒリヒリ痛くて
芹沢さんも近寄れないだろうと思ってさ。
- ──
- 大丈夫ですか、それ(笑)。
- 望月
- 入ってこられないようにしたわけよ。
こっちだって寝たいから。
- ──
- 猛獣対策のようです。
- 望月
- そういう人だったよ。
でね、やっぱりさ、わかったのは
人間、2日ぐらい徹夜しても大丈夫だけど
3日目以後はダメだよ。
- ──
- そりゃそう‥‥いや、そう思いますよ。
でも、そういう結論ですか(笑)。
- 望月
- いまでこそ芹沢銈介っていやあ偉い人だし、
美術館までできてるけど
そんなふうに
俺らとやってるころは、飯食えてなかった。
棟方志功だって
まだ、食えてなかったんじゃないかな、飯。
- ──
- そういう時代だったんですね。
で、すみません、望月さんの「素性」が
まだわからないのですが、
その芹沢さんのところの2年のあとは?
- 望月
- まあ、その後8年くらい遊んだんだけど、
最終的には、シルク屋だよね。
- ──
- シルク屋というのは、シルク職人さん?
- 望月
- そう、定年までの30年、
シルクでシャツなんかに手刷りしてたよ。
<つづきます>
2015-05-11-MON
2013年の秋、大田区鵜の木のギャラリー
「Hasu no haha」で開催された
望月計男さんの「どうぶつたち」展。
幸福な偶然のように観た人たちのあいだで
静かな話題となっていた作品たちが、
今、一冊の作品集としてまとめられています。
完成は、今年の夏を予定しているそうです。
基本的に一般流通はせず、
ギャラリー「Hasu no hana」での販売に
限られる予定とのこと。
望月さんは亡くなってしまいましたが
作品集が完成すれば
あの、ふしぎな魅力の「どうぶつたち」を
みなさんに、見てもらうことができます。
これは、とてもうれしいことです。
こちらのページで、予約が可能とのこと。
もし、ご興味ありましたら。
(ほぼ日・奥野)