でも、常に・・・。
自立すればなんでもいい、 ってところに落ちつくのよ。
ありえないねぇ。
スイカは全部ブロックになって出てくる。 表面の種は取ってある。
★ほぼ日より★ 「茶色いお弁当」 をはじめとする「おかんの弁当」のテーマをはじめ (未読のかたはこちらをどうぞ!)、 「うちのおかんも、こうだった」 という、たくさんのメールをいただきました。 どうもありがとうございます! さっそく紹介していきますね〜! (座談会メンバーのコメントとともにどうぞ) 私の母親は、私が小学校の遠足に行く時、 カラの水筒を持たせました。 子供ながらに『おかしい…』と思った私は母に、 なんでカラの水筒なのか訊ねました。 すると母は真面目な顔で 「水が入った水筒は重いでしょう。 学校で入れて持っていきなさい」 とハッキリと言いました。 確かに学校までは遠かったし、 水の入った水筒は重いでしょうが、 私は子供ながらに『ウチの母は少しおかしい』 と思いました。 他の友達は甘い麦茶やスポーツドリンクが 入っていたのにな〜。 ですから、私が母親になった暁には、 子供には甘い麦茶を持たせてあげようと思っています。 (なお) (スガノ) わー! わたしは母と同じようなことをくり返してますわ! 先日の子どもの遠足の日、 お茶を沸かすのをすっかり忘れてしまったので、 保育園の前のコンビニでお茶を買い、 すごい形相で息子の水筒につぎましたザマスッ! 保育園のおともだちがみーんな並んでそれを見ていたなか、 息子は「おかーさんがソーケンビチャを入れてくれた!」 と大喜びしていました。ははぁー。 「スイカとご飯のお弁当」で思い出しました。 友達のお母さんはお弁当に 栗蒸しようかん(!)のおかずをいれてました。 (Kiwako) (ほぼ日) うちは和菓子屋ですけど、さすがにそれはなかった。 友人の弁当が「かたかた」と音がするので見てたら アルミの弁当箱から「カロリーメイト(缶)」が 1本出てきたのを目撃したことはあります。 私が小さい頃、 母が髪を結ぶのが面倒臭いからという理由で 私はずっとショートカットでした。 もちろん、七五三も短いまま。。。 まわりの友達が髪を伸ばしている理由が 七五三だったからというのは、後で知り、 母に言ったら 「あらそう。全然(伸ばすなんて) 考えなかったわ。」 と言われました。 なぜかその後私は髪は伸ばし、 結んでもらっていましたが、 いつも2つに耳の真上で直角にギュッと結われ、 くせ毛のため爆発したウルトラの母になるか 2つの三つ編み(それもキツイ)でした。 「イタイ。」というと 「生きている証拠よ。」と言われ、 子供心に妙に納得したものでした。 (タイガーバーム) (きょうこ) 髪型では、わたくし、 幼児期に相当遊ばれてました。 ハルオは、子供の髪を切るのが かなり好きだったらしく、 わたくし、よく、切られてました。 しかも、バリカンみたいなので、 思いっきり刈り上げられてましたわー。 ドクタースランプアラレちゃんの 「さらだきのこ」ちゃんってご存じですか? わたくしの幼児期の髪型は、まさしく、あれです。 さらに言うと、基本、さらだきのこヘアーで、 右側と左側の長さが違うってとこが、 チャームポイント☆ って冷静に振り返れるようになった自分、 大人になったな。 高校時代、お昼はお弁当でした。 我が家ももちろん、茶系のお弁当でしたが ある日、お弁当箱をあけると、 おかずは平行にならんだ皮付きポテトフライと 隅にプチトマトがひとつ。 ・・・さすがに今でもわすれられません。 ちなみに姉は、大きな硬いおむすび2つ (母が力いっぱい握るため)と、 ゆで卵1つが思い出だそうです。 そんな我が家も弟のお弁当だけは、豪華でした。 お弁当箱が大きいし、運動してるから。 と母は言っていましたが、 やはり男の子はかわいかったのでしょう。 姉も同じことを思ったらしく、 最近になって(姉も私も既婚) それを母に言ったら 「お母さんそんなこと言われて悲しいわ。 3人ともみんな同じにかわいいに 決まっているじゃない。」 と言われ、何だか悪いこといったなと思いました。 そんな母ですが、妙に過保護なところもあり、 朝、私が家を出るまでにお弁当が 間に合わなかった場合は、 お昼に間に合うように 下駄箱(学校まで自転車で20分)に 入れてくれたりもしていました。 (スガノ) うちの母のおにぎりは、やわらかすぎて困りましたよ。 かじったとたん、バラバラーって解体するんです。 父も兄も、みーんな「あわわわわ」と おにぎりをばらけさせて食べていました。 すべて本人の好みが優先しますので、 いたしかたありません。 ほかにも、刺し身は2cmの厚さに切りますので かたくて食べられませんし、 スパゲティはうどん状になるまで やわらかく茹で込みます。 そして母は、烏龍茶のペットボトルのあきパックに 自分でとった濃ゆ〜いかつおだし(超お気に入り)を入れ 冷蔵庫に保存しているので、 家族はしょっちゅうだし汁を コップについで飲んでしまいます。 いつまでも誰もが文句を言わないので 好き放題の放置プレーですな。 (りか) スパゲティ。うちの母はゆで上がったら 洗ってたね…。うどんのようにね…。 「白いお弁当」、私も経験あります。 高校の時、ある日お弁当を開けると 一面真っ白でした。 「?」と思って一度蓋を閉じ、 深呼吸してもう一度開けてもやっぱり白。 3/4は白ご飯で、残り1/4は、 黄身を内側にして三つに折りたたまれた 「目玉焼き」でした。 翌日から自分でお弁当を作るようになったのは 言うまでもありません。 で、この話を、今やってる習い事の先生にしたとき、 先生はにこやかにこうのたまわれました。 「ワタシね〜、料理あんまりせえへんねんわ。 せやから、Kちゃん(息子さん・既婚)ね、 ずっと自分でお弁当作っててん。 でもね、あの子時々お弁当忘れて学校いくのよ。 そやから、あの子が家出て30分経つまで待って、 取りに帰ってけえへんかったら、 ワタシが食べんねん。 料理上手よ〜〜〜あの子。」 ・・・ええ勝負や。 (みけーら) (きょうこ) なんで、こんなにみなさまに共感できるのかしら! 料理キライの母のもとで育つと、 パターンとして、遅かれ早かれ、 お弁当を自分で作る運命になるんですよね〜。 そして、これまた、共通点としてあるのが、 「子供の料理を惜しみなく、ほめる」。 自分の料理に対するプライド・ゼロですからねー。 うちの定番パターンは、 「あんたの方が料理上手なんだから、 あんたが作りなさいよっ」 です。 わたしが中学生だった頃、 同窓会から帰ってきた母が 「みんなの前で、家庭科の先生から誉められたわー。 高校時代あんなにサボってたのに、 こんな立派な母になったって!」と自慢しまくり。 私「・・・?」 母「つまり、それだけ裁縫も調理も嫌いだったのに 今はちゃーんとやってるってこと! 感謝しなさい!」 私「???(先生は何をもって「立派な母」と 判断したの?)」 母がイヤイヤ家事をしてるって事は感じてたけど、 そんな母への「感謝」はすっ飛ばして、 「家庭科はサボってもいいんだ」 と理解したわたしでした。 今はわたしも母・・・。 (Y子ママ) (きょうこ) 家庭科といえば・・・、 うちのハルオは、 「わたしは、学生のとき、 家庭科の成績が10だったのよっ!!」 と鼻息を荒くして、自慢します。 あと、 「結婚前のギャル時代、 料理学校に通ってたこともあったわっ!」 と自慢します。 でも、家庭科の成績も、料理学校も、 家庭生活に、まったく活かされておりません。 うちの母も相当変でした。 いわゆる性教育の仕方が変。 そんなこと別にもういいんだけど、なんて思っていても 口に出せるはずもなく黙っていましたが。 忘れもしない夏休みの午後、プールから帰って来て お昼を済ませ、さてちょっとお昼寝でもするかと 横になっていると、やおら隣で母の朗読が始まるのです。 『女の長風呂』by 田辺聖子。 もうね、小学5年生にとって……まぁ、いいですけどね、 母の口から朗読されるのはどうなのよ。ったく! 寝たふりするべきなのか、どうなのか。 全くそれが私の為と言わんばかりに延々と続く母の朗読。 あのね、私はもう聴かなくてもよかったし 寝たかったよ。 (くくく) (きょうこ) ハルオの子守歌、すごかったな。 本人いわく、 「オペラ歌手を夢見る少女だった」ハルオは、 腹式呼吸、ベルカント唱法で、 「ね〜〜むれ〜〜〜、ね〜〜むれ〜〜 は〜は〜の〜〜お、む〜〜ね〜〜〜で〜〜〜」 とまるで、舞台に立つオペラ歌手のように、 斜め上くらいに顔を挙げて、目をとじながら、 気持ちよさそうに絶唱してました。 寝れないっつうの! 小学校の参観日に、 廊下を下向きがちに歩いていた友人は 突如、前方から「○○ちゃん」と呼ばれ、 その声の主の足下に目をやったところ、 その足には、 「みずえ」とマジックで書かれたシューズが。 友人は顔を上げると同時に、つい 「みずえさんっ」 と、反射的に口走っていたそうな。 みずえさんはわたしの母。 母は全く動じることなく、普通に「はい」と応えたそうな。 友人は、その時の母の反応を 「わたしも確かにおかしな返答をしたけれども、 それに動じないあんたのお母さんは、 もっとおかしい」と。 でも、それ以来、 母は学校の友達みんなに 「みずえさん」と呼ばれ、親しまれておりました。 (匿名) (スガノ) 動じないお母さんは、 きっとやさしい人だったんですよぉ! サイコーの、やさしい「返し」だと思いますよ。 あっ、思い出した。 茶色いお弁当は当然としても、 「白いごはん」と 「袋入り・イ○イのおべんとくんミートボール」だけ、 には泣けました。 隣の席の友人にわからないように「袋」を開ける勇気が、 あのころは無かったのよね。 30年経った今なら、笑ってできる!!! (Honda) (スガノ) わたしの中学時代のお弁当は、 兄のぶんといっしょに制作されたせいか、 野球部の牛のような男子よりもでっかい ドカ弁でした。 めっちゃくちゃダイナミックな白飯に ダイナミックな鶏の足がボーン! 「女のくせにすごい、コイツー」 と、よくからかわれていていました。 でもいまなら笑って平らげる自信あり!!!
2002-12-02-MON