COOK
お母さんって、ヘン!?
うちのおかんは、こんなんです。
「くまんばちがとんできた」発売記念
──娘が語る、わが母の妙。


その7)母親に「反省」はあるのだろうか?
ということについて。




このページの下方に読者からのメールを紹介しています。


スガノ
「金で解決する」といえばね、
こんなことがありました。
子供生むときの話なんだけど。
分娩台に登る時に、お産はね、
そんなに大変だったわけじゃないんですよ。
超安産ですよって言われたんですけど、
すごい私が大げさにっていうか、
みんな大げさなんですけど、
あの時は痛い痛い痛いとかって言ってたら、
そこら辺中の人にガ−ってお金を配り出して
もう娘を早く分娩台に
 上げてやって下さい

って言ってるの。
一同 はははは。

スガノ
5000円とかみんなに配って

りか
すごい。

スガノ
私がまだ子宮口とか開いてないのに
バーンって上げられて
(※ほぼ日註
 子宮口が開かないうちに力むと
 赤ちゃんが危険な状態になるので、
 力んでよくなるまで、分娩台には
 上げてもらえないのです。 )

そしたら看護婦さんとか
周りにみんな並んで5000札持って、
「お母さんからいただいたんです〜〜」
一同 ははは。

スガノ
こっちは陣痛で痛いのに、
痛い痛い痛いって言ってるのに。
「いただいたんです、
 ありがとうございます」
わーってなって。
で、それでまあ無事出産したんですけども、
生まれたてのほやほやの赤ちゃんが
新生児室に入ったんですね。
「新生児室に入りましたよ、お母さん」
とかって言われたら、
うちの母親がタタタタって
廊下を走ってって
ごいーんってガラスに
ぶつかった
一同 はははは。

スガノ
新生児室のガラスに当たって。
看護婦さんがみんな
「スガノさんよりスガノさんのお母さんが
 おもしろかった」って。
すごーいはずかしい出産体験。
でもねえ、そんなのに自分の行動がね、
似ているよって言われることが
すごーく嫌なんですよ

きょうこ
同じことやっちゃうんですよね、親と。
うちの母、私が小学校に入ったとき、
持ち物に名前を書くでしょう。
それ、ぜんぶ自分の名前書いたの

それを二重線で消して「きょうこ」って。
あと、郵便局で振り込み用紙に
私大船に住んでるんですけど、
サンプルどおりに
「大船太郎」とか書く
んですよ〜。
一同 はっはっはっは。

きょうこ
ところがね、私それ、
大学受験の時機予備校の模試で
代ゼミの模試受けた時に
「代ゼミ花子」って書いちゃった
んですよ〜。
ね、すごい、おんなじだぁ。

スガノ
愕然とするよね、その瞬間は。

きょうこ
そう。愕然としましたよ。逃れられない。
行動力あるんですけどねえ。
思い込んだらとにかく行動に移す人なんですよ。
私と姉の部屋があって、
それがドアが外開きで開くドアだったんですね。

美雨
外開き。

きょうこ
入る時に自分が勢いよく入りたいのに
こうやって手前に引くのがいやだったらしいの。
そしたら私が寝てるくらいの時に
いきなりトントントンって
ハルオがいきなりねじとかはずして、
ちょうつがいを全部変えて
ドアを内開きに直したの!

美雨
夜?

きょうこ
すごい早朝!

美雨
自分で?

きょうこ
そう、自分で。内開きに直して、
こっちの方がいいわよって。
すっごく得意気で。
「こうやって、
 思ったらすぐやらなきゃダメなのよ」

って。すごい。何だろこの人は。

美雨
ああそう。すごい…

きょうこ
そう、得意げに
「やっぱりこうやって
 生きていかなきゃダメなのよ」
って・・・。
「こうやるのよぉ。何でもね」って。
頭使ってやっていかなきゃいけないのよ、
あんたたちもそうやって生きていきなさいよって。

スガノ
あの、エンポリオアルマーニのリュックを
買ってきたんです。私。高校ん時。
で。リュックの背の部分に皮のネームが
おしゃれでついてるのね。
「ADDRESS」って。
母親はそういうのみると
書きたくてしょうがないの。
普通書かないでしょ、高校くらいになるとさ。
でも書きたくてしょうがなかったらしくて、
しかも極太の油性ペンで
京都市右京区太秦○○寺町だったんですけど、
京.右.でギブアップしてるんですよ。
そのちっちゃい三角に京.右.で
終わりってなってて。
これ、もう持つ気がしない〜。

きょうこ
あ、でもそういう親の行動って、
絶対反面教師としてインプットされてるから。
うちも毎年、うちの母親の年賀状って見てると
「あけましておめでとう」からスタートして
どんどんどんどん書いてって、
最後うんと小さな文字で
「よろしくおねがいします」

ほぼ日
ぎっしり書いて。

きょうこ
それが毎年続いてるから、もうね、
計画的に生きなくちゃって。
もう反面教師。ちゃんと親を見てね。

スガノ
でもね、移っちゃわない? やっぱり。

きょうこ
移っちゃう。そっくり、私も。
似ちゃうんだよ。

美雨

似てるのね。


きょうこ

さっきの缶詰もそうなんだけど、
食べられればいい、
読めればいいっていうのが基本だから。
あんまりくじけないですよね。
反省がないっていうのが基本


美雨
ああ、そうかも。

きょうこ
反省しないですか?

美雨
反省、しないねぇ。そう言えば。
一同 あはははは。

美雨
っていうか、反省するほど
痛い目にあってないような感じがする。
缶詰とか古いの食べても、
あんまおなか下してんのとか見たことないし。
器用かな? そんなところは何か、
渡っていく感じ

きょうこ
うち、父親がすごい胃弱なんですよ

美雨
ふふふ。かわいそう。

きょうこ
だから、父親いつも、
ご飯食べ終わると毎晩別におなか痛くないのに、
トラウマがあったのか知らないんですけど、
必ずビオフェルミン3錠飲むんですよ。
一同 あははは。

きょうこ
毎夕食後。

きょうこ
でもビオフェルミンは
あんまり強すぎるっていうんで、
ふだんは梅丹とか弱めのもので。
今日は危なそうだなって思ったら
ビオフェルミン。
いよいよ本格的に、これは熱が出るなって
思いそうなご飯のときは改源

スガノ
食事が命がけ。

りか
その姿を見てても、お母さんは改善の、
反省なきところに改善なし?

きょうこ
なしなしなしなし。
もう、へっちゃらよぉって。

美雨
死にやしないわよっていうの、よく言います。

きょうこ
あ、すごーい

美雨
口癖!

きょうこ
死にやしないわよってすごい言う。

りか
よく言ってた気がする。
埃で死にはしない、ほほほほ
って。

スガノ
あ、ごめーん。今それ私口癖かも。

美雨
私も言います。

まいこ

うわー、こわー。
そういえば、学校とかで言ってる気がする、
失敗しても死にゃしないからいいよってフレーズ。


りか
うつってる、うつってる。

ほぼ日
お父さんはお母さんに料理のことは言わないの。

きょうこ
いや、うちの父は基本的に
母親に絶対にとやかく言わないっていう
スタンスを保っているんですよ、30年くらい。
言ってしまうとほんとに喧嘩になっちゃうから。
だから料理のこととかも、
基本的に10日に1回くらい、
お味噌汁にだしが入ってない
んですけど。

りか
え?

きょうこ
忘れちゃう、だしを入れるのを。それである時に
「ママさぁ、ママってどうやって
 お味噌汁の味決めんの?」
って聞いたら、
「色!」
一同 はははは。

きょうこ
あ、そうなんだ、ふーんって。
もう突っ込みません。

まいこ
味見、絶対しないの

きょうこ
しない。

まいこ

うちも、今日のおかずおいしいよ、
また作ってって言ったら
「無理!」って言うの。
何で?って言ったらもう加減が分かんないもん、
どうやって作ったか忘れちゃったぁって言うの。


きょうこ
そうそう、偶然の産物なの。
行き当たりばったりだから。

まいこ
あ、そうなんだ、
じゃもう二度と食べれないんだねって言うの。

りか
すべてサバイバル。

(つづきます。メールはこの下で!)

ほぼ日より

「母ヘン」座談会も残すところあと1回、
次回が最終回です!
でも、みなさまからのメールは
その後もなんらかの形で
ご紹介していきますので、
どうぞおよせくださいね!
では、今日も、ご紹介でっす。
(座談会メンバーのコメントとともにどうぞ)

私が中学生の頃、
「今日のお弁当はパンだからね。」
と言われました。
時々、母はパンを焼くので、
楽しみにして持って行きました。
お昼になり、さて!と包みを開くと…。
学校給食のコッペパンに切り込みがあり、
その中にはスライスされた羊羹が…。
あっけに取られている間に
しっかりとクラスメイトに見られ、
友人たちの噂に…。
家に帰って「あれなに!?」
と母に聞くと、
「ああ、アンパン。おいしかったでしょ?」
その後、あれのどこがアンパン!?
と問いつめる私に
「じゃあ、羊羹はなんでできている?」
「餡。」
「ほらね?」
いくら餡だからって、
やはり羊羹と餡パンの餡は違うぞ!と
自信を持って言える様になったのは、
30歳を越えた最近のことです。
ちなみに母は、
よその中学校で美術の教師をやっていました。
(まき)

(りか)
子供の頃って、腑に落ちなくても、
そういうもんなのかも?
って思っちゃう。


(ほぼ日・某君)
うちの冷蔵庫には、冬、
「鹿の肉」が いつも入ってました。
ヤマバトとか、イノシシとか、うさぎとか。
そういうもんだとずっと思ってたけど
「父親が猟師」ってそんなに世間には
いないと知ったのは、ずっとあとのことでした。
ぼくがごはんをたべている横で
山鳥の解体をしてたりした母さん、
世間のお母さんも、たぶん、そんなことは
してなかったのでしょうね。


強〜いお母さんの話が
びしばしと出てきていますが、
うちの母はそれとは正反対で、
ひどく子供っぽい人でした。
母が子供っぽいと最初に感じたのは、
私が若干5歳くらいの時。
当時父の転勤で大阪にいた私たちのところに、
母の母、つまり祖母が訪ねてきていたのです。
デパートで買い物をして、その帰りに
商店街のようなところを
見ていたときのことでした。
母が祖母に
「パイナップルのアイスクリームが美味しそう。
 食べたい!」と言ったのです。
私も見ましたが、
パイナップルを輪切りにして凍らせたようなアイスが、
確かに美味しそうに並んでいました。
祖母は
「何言ってるの。さっさと家に帰らなくっちゃ」
と言っていたのですが、母は譲りません。
で、何を思ったのか、
「アイスクリームを買ってくれるまで、
 ここから動かない!」と
まるで小さい子供が物欲しさのあまりに
だだをこねるみたいに、ごねだしたのです。
これには子供である私も唖然とするばかり。
妹の手を引いて、
しばらくその様子を店の隅で見ていたのですが、
そこにはとてもクールな大人顔の私が
いたのだろうと思います。
あれからざっと40年。
今73歳になる母は、相変わらずの勢いで、
自分勝手な振る舞いをやってのけ驀進中。
孫も大きくなってきているというのに、
何でも自分が一番のわがままぶりです。
今ではこんな母に関する愚痴を
その孫である娘にこぼしていますが、
「いいかげん、もう諦めなよ」
と、これまたクールに言われてしまいます。
祖母が自分を後回しにする、
出来すぎた人だったので、
母がこうなったのでしょうか。
強くて筋の通った、凛とした雰囲気を持った、
明治生まれの祖母が懐かしいです。
(ひろこ)


(りか)
母も生まれたときから母ならず、
誰かの子供だったのだ!
これこそ「教育木の葉現象」。

(きょうこ)
小さいときは、
「親というものは、間違ったことはしないものだ。」
って思い込んでましたけど、
自分が当時の親の歳に近づいてくると、
こういうのが親になったりするんだもんなあ、
そりゃ時には子供っぽかったりもするよね、
って親の奇妙な行動も妙に納得しちゃったりしてます。


私の母がつくるお弁当も
「茶系」だったんです。
ある日彼女はついに、
「究極の茶系弁当」を作ってしまったんです。
「どうせまた、さつま揚げと
 キャベツの煮たやつなんだろうな〜
 ご飯に煮汁がしみてなきゃいいな〜」
といつものように、ご飯の無事を祈りながら、
お弁当の蓋をあけたんです。
するとうれしいことに、
その日はめずらしくご飯が無事でした。
でも、なにか違和感を感じたんです。
いつもなら、漬物が入っている
アルミカップのなかに・・・
虫が! 虫が入っていたんです!
どう考えても、目に入ってきたものは
虫の足でした。
「!?」もしやゴキブリ!?
私は、もう、恐ろしくて急いで
弁当の蓋を閉めました。
頭は既にパニック状態です。
挙動不信な私を見た向かいの子は
「大丈夫?」などと声をかけてきます。
意を決し、おそるおそる蓋を開け、
そ〜っと確認すると、
そこに入っていたのは『イナゴ』の佃煮でした。
「茶色いバッタが・・・」
私のおなかはペコペコでしたが、抗議の意味もこめて、
その日のお弁当は一口も食べないで持ちかえりました。
もちろん、帰ったら母と大喧嘩です。
「中学生の女の子のお弁当に
 イナゴを入れるなんて信じられない!」と私。
「でも、あなた昨日の夜、めずらしいねぇって
 おいしそうに食べてたじゃない!」と母。
「だからって、お弁当にバッタが入ってるなんて!
 虫だよ、虫!」と泣きながら抗議する私。
「・・・」
明日から気をつける、と母は約束し
その日は私が喧嘩に勝ったのです。
そして翌日再びお弁当の時間がやってきました。
友達とおしゃべりしながら、弁当の蓋をあける私。
「・・・・」。
弁当箱のすみっこに、アルミカップに入れられた
茶色い物体を確認。
「・・・またイナゴだ・・・」。
「しかも、切断されている・・・」。
「虫だって判別できなきゃいいんでしょ〜♪」
とイナゴを刻む母の姿が目に浮かびました。
「・・・・」。
しょうがなく、私は目をつぶって
冷えたご飯と一緒にイナゴを食べたのです。
(うにゃら)


(りか)
忙しい母に我が子の思春期など、関係なく。
でも、「おいしそうに食べてた」 から
入れてくれたんですよね、きっと。

(ほぼ日)
思春期じゃなくても、イナゴはいやだよ!

(きょうこ)
イナゴの佃煮、渋っ!
「おいしい」なんてうっかり言おうものなら、
翌日から食卓にそれが並びつづける現象、
たしかに、ありますね〜。
「錦松梅、っておいしいねー」
と言った翌日からしばらく私の弁当には、
「錦松梅」が敷詰められてました。
まあ、おいしいとは言ったけどさー、
中学女子の弁当にしては、渋すぎだよ。


うちの母もかなりヘンです。
わたしは小さい時から感じてたんですが、
父親は上回って変なんで
妹は見抜けなかったみたいでした。
で、両親が離婚して母親のみと向き合って
「おかあちゃん変や…」
とわかったみたいです。
母親の味は一言「めっちゃ塩からい」んです。
見た目もやる気のなさ加減炸裂で、
母曰く「作るのより洗いもんのほうが得意やねん」。
食器洗いはわたし担当だったんですが…。
そして私が働くまで食事も担当。
そんな姉妹の作る料理は薄味。
受け継ぎませんでしたねー、母の味。
ある日テレビで男の人が
「自分が死ぬ前の最後の食事は母親の作る食事!」
と言うのを見て二人で
「そんなん絶対いやや〜!死にきれん!」
と叫びました。
(はる)

(りか)
母の味が最高!
じゃなくてもいいんですよね。
母の価値はそれだけじゃないんですから。

(きょうこ)
母の味、って我が家も受け継いでないっすー。
うち、おばあちゃんがすごい濃い味の人で、
母ハルオは超薄味で、
私は、濃い味好きだもん。
こうやって、うちの家系は、
濃→薄→濃→薄→濃って繰り返して行く気がする。
どっかで、ちょうどいい頃合いの味に
行き着かないものですかね〜〜。


うちのお母さんも
そうとう、いっちゃってます。
とにかく、しゃべる時に
なんでも強調しないと気がすまないんです。
始める→おっぱじめる
急いで行く→ふっとんで行く
凄く焦って→あわ食って・・・ てな具合です。
「フツー「おかあさん」は、
 そんな(野蛮な)言葉遣いしないんじゃない?」
と意見してみましたが、
「だってー、感じ出ないじゃん」と
平然と言ってのけました。
高校時代、先輩の男子から電話がかかって来た時も
わたしは疲れて寝てしまっていたんですけど、母は、
「○○○(わたしの名前)は、
今日はもう『へばって』寝ました!」
とこたえたらしく、翌日先輩に会った時
「お前、昨日、『へばって』寝てただろー!!」
と、みんなの前で発表されて、
すっごく恥ずかしかったです。
もう最近は、諦めてますけどねー。
(プッチンプリン)

(りか)
でた! ハイテンション母。


(ほぼ日・シェフ)
うちの母、ハイテンション電話を
ときどき会社にかけてきます。
むかし、「会社には男の子はひとりだけ」
だと思い込み、電話に出た男子=僕、
だとかんちがいした母は、
「はい、●●●(社名)です」
「もしもし、あら、たけいさん?
 じつは、あたしも、たけいさんなのよ。
 おほほほほほほほ!」
「‥‥‥‥少々お待ちください。(受話器をふさいで)
 たけいさん、お電話ですよ、
 おうちの方だと思います‥‥」
「ひゃ、ごめんごめん、(替わる)
 もしもし? あ、母さん?」
「いやああああああ! はずかしい!
 あんたかと思ったじゃないの!
 ちがうならちがうって早く言ってよ!」
‥‥ということもありましたっけ。


うちの母親もへんです。
というか、『貨幣に価値がある事』が
わかっていない。
家計簿は、何にいくら使ったか
毎日レシートを転記するが
決して合計し、反省しないし、
預貯金は、管理が全く出来ず、
金融機関の人に見るに見かねて有利な商品に
預けかえられたりする始末です。
お蔭で、私は「お金」のありがたみが
身に染みまして、自分で管理してました。
1番面白かったのは大学生のとき。
たいていの人は親に丸ががえに
してもらいますよね??
自宅外だと、何から何まで親の仕送り
+バブルの頃なのでバイト代は遊興費に
って人多かったのですが・・・。
うちの場合
「ごめん、授業料、高校みたいに
 勝手に引き落とされるもんだと思ってた」
(当時はまだ、大学の授業料が、
 当局への手渡し入金でした)
すっかり忘れられてても、
私が自分で払えましたが、
あとで返してもらいました。
(だって、私が亡き父の職場から
 もらっていた奨学金、
 振りこみ先が母の口座に!!)
高校生の時は、毎朝起こしてやったし、
小学校の教諭だというのに、
忘れ物をしたのを職場に
届けてやったこともあります。
(まめたぬき)

(りか)
きょうこさんちといい、
「教師母」っておもしろい方が多くないですか?

(きょうこ)
あっ、うちも、
何のために、家計簿をつけてるのかってところは、
長年、実に謎ですね〜〜。
だって、いつになっても「エンゲル係数」は
めっちゃ高いし、母ハルオ購入の
いらない通販グッズが家中満載だし。
最近出た結論ですが、母ハルオは、
どうも、趣味で家計簿つけてる、
単なる“家計簿つけ好き”ではないかと。

(まだまだあるけど、また次回!)

2002-12-09-MON

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