COOK
鈴木慶一くんと、
非時事放談「月光庵閑話」。

矢野顕子をほめる。(6)
あっこちゃんは手離れがいい。



糸井 あっこちゃんは、いつも全力なんだよね。
ラクに、全力を尽くしてるのかなあ。
鈴木 そうなんだよね。
でもこっちはラクじゃないよ。
リハでもちゃんと全力で歌わないと
いけないんじゃないかって思っちゃうわけだよね。
糸井 だって、俺ら、慶一くんを知っている人間としては、
たとえばこないだのジァンジァンだって、驚くわけだよね。
「あんなに声が出るんだ!?」ってさ。
ビックリするほど、出ていたよ。
鈴木 それは、ああいう人間関係においてだからね。
糸井 ほかのチームだったらまた違う?
鈴木 違うねえ。ま、たしかに、今年は「ゲスト年」だから
上手い人と共演する機会は多い。そういう時は、
本番の時にグッと上げとかないとな、というのがあるよ。
上手い人と演奏を重ねたほうがいいんだよね。
得になる、というかさ。
糸井 蓄積されていくよね。
鈴木 できる人同士でやっていると、すごいですよ。
糸井 それは逆にいえば、誰にもわからないすごさの世界に
どんどん行きたくなっちゃう、って可能性はあるよね。
鈴木 それはちょっと怖いね。
わかんなくなっちゃうとね。
糸井 あっこちゃんがすごいなと思うのは、
そういう世界に行っていながら、
着実に、年に1枚なり、CDを出しているでしょ。
あれを追及していったら、
「もっといいのができるまでもう1年待って」
とか、一般的にはなるんですよ。
僕はゲームを作っているからわかるんだけれども、
ゲームって、もっといいシステムが開発できそうだ、
となると、そっちに行きたくなるんです。
でも、それをやったら、食いっぱぐれるんです。
なのに、つい、やっちゃうんだよ。
あっこちゃんはそれをやらないで、
100点とか110点とかを追い求める気持ちが
ありながら、98点とかのものを絶えず問い掛けている。
その“手離れの良さ”っていうのも、
才能だなあと思うんですよ。
鈴木 手離れの良さ、ね。
それは、詞を送るとすぐできる、っていうのと
同じことだよね。
糸井 「もっとやっててもしょうがないんだ」
ってことなんだろうね。
鈴木 完成するということは何か、っていうことなんだよね。
たとえば、画家が筆を置くときとは何か、
というようなことだよね。
あっこちゃんの作品に対する手離れは、
圧倒的に早いんじゃないんですか。
「できた!」って判断する瞬間は。
糸井 今思いついたんだけど、自分の本職の仕事も
まったくそうだね。
本当に、自分の本職だと思っていることは、
手離れ、いいね。
ムーンライダーズのレコーディングに、
かけすぎる時間なんてないでしょう?
鈴木 ない。全部、重要な時間だもん。
それがたとえばね、10何年前に1000時間
かかりました、とする。
でもそれはそれで、重要な時間だったりするんだよ。
その時の手離れの良さなんだよ。
その時の完成に至る道なんだよね。
いまは、「早くなりましたね」ってみんな
ビックリするけれども、それは当たり前なんだよね。
完成したぞという判断がどこにあるか、というのは、
年々、早くなっているよ。ものすごい勢いで。
糸井 ぼくは自分のことで、人に説明しやすいんで
よくこう言うんだけれど、
「できるのはものすごく早い。
 手離れも、ものすごくよくって、
 ただ、人に渡すまでに、ちょっと時間がある」
ってことなんだよ。
それはどういうことかっていうと、
「できた!」っていうのは瞬間なんだけれども、
それが正しいかどうかを確かめる時間が欲しい。
そして確かめ終わったら、テスト・プレイを
自分でするんだよ。ライダーズだったら、
マスタリングまではものすごく早いんだけれども、
「発売までに手直しがある可能性があるよ、
 だからお皿に焼くのは待っててね」
と言っておいて、結局何にも手を加えずにGO、
というみたいなね。
ところが、本職ではない仕事は、それができなくなる。
他人も当てにしたくなるしね。
鈴木 「これでいいんだろうか?」って、人に頼るね。
糸井 慶一くんでいうと、ソロアルバムのほうが
時間がかかるんじゃないかな。
鈴木 かかる、かかる。それはもう、ぜったいかかる。
本当に、手離れが悪くなるんだ。
ソロアルバムをずっと出し続けていれば別だよ。
それもあるし、決断がすべて自分だからね。
バンドだったら、これで行けるっていうところに、
なんとなくみんなの合意が生まれるんだよ。
それはもう慣れているわけだよ。
慣れているうちに、ものすごく早くなる。
自分のソロってなるとね……
他人に曲を書くのは早いよ。
自分の問題になるとだな、そういうことになるんだな。
糸井 自分が本当は何ができるのかが、
自分では一番よくわかってない。
鈴木 わかってないんだよ。
「もっとなのかな?」
とも思うしね。それをなくそう、なくそうと
思っているんだけれど……それでもなくなりつつあるな。
『SUZUKI白書』っていうアルバムを出したときは、
非常につらかった。
糸井 あれは、正直言って、聞いていてつらい。
鈴木 つらいんですよ。
糸井 なんて言うんだろう、歩く速度が自然じゃない。
ああいう時期なんだろうなあ、っていう雰囲気だよね。
鈴木 しかも、あえて、自分の歴史を語るフリをしよう、
ということを決めちゃったんで。
糸井 テーマを先に立てるって、善し悪しだね。
鈴木 作りながらテーマを決めるってのも、
これまた善し悪しなんだよね。
糸井 ああ、そうか……。
鈴木 多くの場合は作りながらテーマが決まっていくじゃない。
ここんとこ、ムーンライダーズは、
先に僕が何かひとこと、言ってから始まる。
たとえば夜だったらさ、
「テーマは、夜!」
とか言ってさ、みんなボーッとするわけだよね。
あいつ何言ってんだろう、ってね。僕としては、
言ったらどう出てくるかな、という立場になっているので、
楽しみでもあるんだよね。
糸井 長年やっているから、“モニターになってくれる仲間”
なんだ。
鈴木 そうそうそう。
糸井 それは気持ちいいなあ。
鈴木 それが個人だと、たとえばテーマは“愛”と
決めたとするじゃない。すると、そりゃ何だろうな、って
自分で考えなくちゃならない。
返ってくるものは自分だから、そこをだまさなきゃ
いけないから。そこをだます方法として、
コンピュータで音楽を作っているわけだよ。
糸井 コンピュータは“試し”ができるんだなあ。
鈴木 手離れがいいものに対して、
検証がもう1回、できるわけだよ。ワンテイクずつ。
糸井 コンピュータが俺達に与えてくれたものの
最大のありがたさって、その“試し”ができることだね。
鈴木 プレビューみたいなね。
糸井 それはゲーム作りもまったくそうですよ。
やってみて、「潰しましょう」と言えることで、
どれだけよくなったか。
失われるものも、そこには同時にあるんだけどね。
一発で「ええい!」って行っちゃう潔さよさ、
みたいのはなくなるよね。
鈴木 コンピュータは、記憶とか記録じゃなくて、
データなんだよね。
データが跳ね返ってくるから、そのぶん、
修正もしやすいよね。
テープに録音されたものって、
もう一度やり直さなきゃいけない。
データは直せばいいしね。

1999-09-21-TUE

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