COOK
鈴木慶一くんと、
非時事放談「月光庵閑話」。

●月光庵閑話 第4シーズン その4
古田いいよね

鈴木 俺ほんとにさ、この対談ってさ、するたびに、
吸いあっていくような感じだよね。
たまたまおなじようなことを、ま、全部おなじことを
考えてるってのはないと思うんだけど、
時期がそうさせるのかね。
糸井 そうだね、時代がそうさせてるのはあるかもしれないね。
このごろ、いろんな人と話してて、
これ以上考えても無駄っていうことは、
それを考えること自体が間違ってるかもしれないって
問題を立てられるようになってきたんです、俺。
例えばね、大ビル街のなかに駄菓子屋のババァがいたと
するじゃない。で、あんず飴とか売ったりするわけですよ。
で、どうしたらいいか、子供に愛想よくしよう、とか、
1円おまけしてやろう、とか、やるだけのことは
すると思うんですよ。
しまいには、ばばあ、24時間営業すると思うんですよ。
鈴木 うわぁ(笑)。
糸井 おみやげにいかがですか、とかいろんなことをすると思う。
で、これ以上無理だっていうとこまでいくと思う。
そういう認識が俺の中には今、あらゆることに
あるわけなんですよ。構造がわからない限り絶対に
解決ができない問題は、船を乗り換えるか陸にあがるか、
一回休むか、大きな転回をしないかぎり何もできない。
サラリーマンだったら、その会社やめたほうがいいよって
いう人、いっぱいいると思うんですよ。
やめないって前提でいると、たいへんですよ。
阪神に入った青雲の志を持った野球選手がさ、
阪神に入って阪神を改革して優勝するっていうのは
無理でしょ。
鈴木 ぜったい無理だね。
糸井 で、ヤクルトとかだと、トップに入ってきたから
ああいうことになったけど、そのトップだって
ひとりじゃないですよね。そういう、こないだも、
古田敦也をスカウトするとき、眼鏡かけてるっていうだけで
皆が反対だったって話を、今ごろになってしてるんですよ。
野村監督も反対したらしいですよ。
でもその時にスカウトの意見をいちおう通すシステムは
あったし、もしぜんぶノムさんが決めてたら、
「俺が決めた」って言ってけるよね。
そしたらあのヤクルトはないわけですよ。
鈴木 それは集団の流れで決まったことかな。
糸井 いや、複雑な力関係とか、えもいわれぬ伝統とか、
あるいは新参者の監督に対する昔ながらのスカウトとかって
いう関係性とか、上司のめでたさだとか、
そういうことがぜんぶ絡み合ってるんでしょうね。
で、たまたま古田が眼鏡をかけてたっていう。
それ言われたほうもつらかっただろうねえ。
鈴木 そうだよね。
糸井 めがねをかけたキャッチャーは大成しないっていう。
鈴木 古田本人も言われたのかな。
糸井 言われたでしょうね、だって実は同時に藤田監督は
古田とりそこなったんだよってくやしそうな顔して
言ったからね。わかってる人はわかってるんですよ、
そういうことじゃないって。
鈴木 いいよな、古田って。
糸井 いいよね。今度ね、ここに来てもらおうと
思ってるんですよ。
鈴木 来たら会いたいな。
糸井 中井さんの夫じゃない? だからどっかのタイミングで、
忙しくないときに。今俺が忙しいからね。
古田いいよねえ。
鈴木 いい。
糸井 あの3番手くらいの栗山の解説がいいときあるんだから、
古田だったら最高だよね。
日韓戦の時の古田って知ってる?
こないだの。最高だったんだから。
鈴木 古田のおかげですよ。古田バントしなかった?
糸井 したよ。一塁に出たよね、ちゃんと。杉浦とかがさ、
一軍でプロで出られるなら、今までアマチュアでがんばって
オリンピック目指してる人の立場がないっていうんだよな。
それを懐柔しながら力で見せていったわけですよ。
慶一君がどっかのアマチュアバンドに入って、
俺の言う通りにすればいいんだって言ったら、
全部ついて来ないんじゃないですか?
鈴木 そうだね。99年スポーツ大賞だな、あのバントは。
糸井 でもさ、歌ってみせる作ってみせるって言って
じゃあ俺もやろうかなってひとりずつ思わせるような
もんじゃない? やりなよ。
鈴木 いいね。 
糸井 でも、うちほとんどそうだよ。
鼻っぱしらの強いやつはいないけど、
俺の年齢差を考えると、人のバンドに入って……、
鈴木 そうだよな、俺たちの年齢ってコンプレスされてるからな。
糸井 俺らって完全にじじいの年齢だからね。
鈴木 ただし、バンド以外のつきあいは10歳くらい下だよね。
遊んだり。
糸井 バンドもひょんなことからやってみられると面白いよね。
例えば俺、あの、よくは知らないけど、
椎名林檎っていう人がどこからどうやって
出てきたんだろうって考えるとぞっとするわけですよ。
鈴木 ムーンライダーズファンで椎名林檎ファンの人って
多いんだよ。
糸井 わかるよ、それ。つまり、これって商品の形、
してないですよっていうものを商品にしてるっていう
意味ではおんなじなんですよ。
で、ライダースにはフレッシュさがないんだ(笑)。
鈴木 長いからね。出てきたばっかってのは重要だよね。
糸井 だって出てきたばっかでそんなもんを作られたら
お前誰だよって言いたくなるじゃない? 
鈴木 みなさん何やってるんですか、そりゃそうですけどねえ、
って言われるね。
糸井 さすがですねえ、って。
鈴木 それも言われつづけると何も感じなくなって
くるんだけどさ、怒りもしないっていうか。
糸井 外人と組んだことって何回かあるんですか?
鈴木 個人的にはあるよ。
糸井 どうだった?
鈴木 外人と組むとね、ものすごい刺激があったのは、
どっかびびるでしょ? 自分が常にびびる。
糸井 あ、マイケル・ナイマンとやったでしょ。
鈴木 いいかげんなおっちゃんだったけどね。
で、その時じゃなくてソロアルバムの時なんだけどね。
日本でやってるわけじゃない。台湾でやって
ロンドンでやったわけだよ。台湾でやってる時も
外人なわけだ。だけど、欧米人って違うびびり方してる。
何か妙な、うーん、戦争とかさ、この人たち、
いつも私に対して怒ってるんじゃないかとかさあ。
糸井 慶一君は、家の中にある左翼の伝統がまだまだ重いね。
鈴木 そうなんです、ちょっとね。それでびびりつつ。
で、こんどロンドンはさ……。
糸井 先いってんじゃないかって。
鈴木 そう、で、びびりつつ、で、何人ものプロデューサーを
立ててやったけど、結局ね、そういうときって、
びびってるときって、決断のスピードが速くなる。
はっきりする。で、結局それってスピードを増すって
いうこと。で、それは向こうがスピードを求めてるんじゃ
ないだろうけど、それはすごくいいよ。
集中力がもう異様に高まる。
それが80年代のおわりごろにあったので……、
『MOTHER』の音楽のおかげでもありましたし。
糸井 それは何か刺激になったんですか。
鈴木 ありましたよ。『MOTHER』の場合は、
もっと一般の人をオーディションするわけじゃない?
びびるよりもプロデューサーみたいなもんじゃない。
それもすごく大変なわけだよ。
スタジオにいるすべての外国人は俺の決断を
待っているんだよ。それしなくちゃいけない。
糸井 ふだんしないの?
鈴木 ふだんはバンド内では、ああどうしようかな、
それはなあ、って。もうちょっと曖昧に
ゆるくやってるから。
他者との音楽の仕事のときにはしてるけど、
びびってるけどさ、みんなこっちを見てるっていうので、
それはあんまり日本ではないよね。
どっか話し合いになっちゃうから。
それに鈴木という人はこんなかんじってのは解られてる。
で、今決めないとやばいぞっていうのは
感じてるわけですから。違うやばさね。
糸井 あと外人って私は何がいけないんですかっていうのをさ、
鈴木 説明しなきゃいけない。君のここがいけないんで
もう一度やってほしいっていうのを
その場その場でやらなければいけないので、
非常に勉強になった。それ以降、違う人間って感じがある。
糸井 異文化交流の中で速度と決断を覚えた私。
鈴木 で、日本に帰ってきたら、まあ、なんて……、
糸井 ゆるい?
鈴木 ゆるい。もう、最初はなんて日本ってひどい、
と思ったんですけど、まあ、もう、どっちもどっちだよ、
って。高速道路に入ると喋ってくるじゃない? 
お釣りがどうとか、なんとこう便利で未来的な国だろうと。
糸井 快適だよね。
鈴木 よく外国にレコーディングしにいく人も多かったよね。
たいしたこと無かったって言って帰ってくる人も
多いと思うんだ。それはやっぱり日本人だけの
コロニーみたいなのを作って
それで動いてる人が多かったと想像できる。
糸井 コロニーごと移動してるっていう。
鈴木 ずっと日本人だけだった。で、接点はあるんだけど……、
糸井 観光旅行に近い。
鈴木 ほぼ同じ。でもそうじゃなくてひとりで英語も喋れないで
スタジオに取り残されてごらんなさいよ。
誰もいない、で、びびるじゃない?
二度目ですぐ大丈夫なんだけどね。
それは私の特性かもしれないんですけど。
そう、スタジオにいた日本人みんな
観光に行ってもらったりしてね。
ボクやっとくから、とか言って。
あえて、たった1人の日本人になったほうがやりやすい。
することがある人とない人がはっきりするんでね、
ない人は遊んできてもらう。
欲望を抑えながらそこにいなきゃいけない人って
みてるのも辛いし、かまうヒマもないし。

(つづく)

2000-02-09-WED

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