こんにちは。ほぼ日刊イトイ新聞の永田です。
『MOTHER3』の開発者である
糸井重里のインタビューをお届けいたします。
『MOTHER3』の開発が再開されてから3年。
ぼくは、糸井重里が『MOTHER3』に関わる現場の
9割に同行していました。
ですから、このインタビューは、
第三者が疑問をどんどんぶつけていくようなものには
なっていないと思います。
けれども、挨拶や雰囲気づくりを抜きにして
核心に近いところで
ほんとうのことだけを
飾りなく語ってもらえたのではないかと思います。
12年ぶりの新作の、ライナノーツとして。

第1回

『MOTHER3』の再開。

『MOTHER3』の
開発を再開すると聞いたとき、正直、
よくそれをやる気になったなと思いました。

糸井
ああ、3年前に。

はい。
最初の『MOTHER3』の開発が頓挫して、
ふつうのゲームでは例のない
「開発中止宣言」までして、
いろんな人から、ものすごい反響があって、
ようやくほとぼりも冷めたかなというころに、
また、いちから引き受けるわけですから。

糸井
客観的にいえば、そうですよね。
しかも、ほぼ日刊イトイ新聞が軌道に乗って、
こういうと変ですけど、
ぼくがゲームに手を出さないほうが
ぼくの仕事としてはうまくいきますから。

そうだと思います。
もちろん、いちファンとしては
純粋にものすごくうれしいんですが、
曲がりなりにも
中止の経緯や大きさを知っている身としては
ほんとにやるのか、と。
ちょうど、ぼくが糸井事務所に入ったとき、
開発再開が決まったところだったので。
まずその、再開の経緯を訊かせてください。

糸井
はじまりはね、んー、京都に行ったとき。
任天堂に仕事で行って、打ち合わせが終わって、
任天堂から京都に向かうタクシーの中。
宮本(茂)さんと岩田(聡)さんが
いっしょに乗ってたんだけど、宮本さんが、
「『MOTHER3』を
ゲームボーイアドバンスでつくるのは、
ありえますか?」
というふうに訊いてきたんです。

「つくってください」でも
「つくりませんか?」でもなく。

糸井
「ありですか?」と。
で、正直、ぼくにはよくわからなかった。
けれども、「ありですか? なしですか?」
と訊かれると、ありえるんじゃないか、と。
だから、いま思えば、すっごく正直な会話だよね。
ぼくも、この先がどれほどたいへんかとか、
具体的にどうすればいいのかとか、
そこまで考えていたわけじゃない。
でも、ありえるんじゃないかと思った。
で、タクシーを降りたときに、
自分のなかに「うれしい」っていう
気持ちがあることに気づいたんですよ。
‥‥うれしかったんですよ、やっぱり。

はい。

糸井
もちろん、思いつきで事が運んだわけじゃなくて
そこに至るまでそうとう準備はしているんです。
それはもう、中止宣言の前後とか、
なにかにつけて、折に触れて、
当時はまだ社長じゃなかった岩田さんと
どういう環境があればいいのかとか
あるとすればどういう選択肢があるかとか、
ずっと、話してはいたんです。
でも、きっかけは、そのタクシーの中の、
正直な会話からだったんです。

開発再開がうれしい反面、
またあの渦の中に飛び込むっていうのは
こわくなかったですか。

糸井
こわかったですね。
というのは、理由のひとつとして、
最初の『MOTHER3』が
いわゆる「映画的な大作」として
つくられていたっていうことがあるんです。
ゲームボーイアドバンス用の
ソフトになることでスペックは落ちる。
当初、思い描いていた映画的なものを、
紙細工のようにして再現しなきゃいけない。
それを自分ができるかどうかが、
ちょっとね、自信なかったんですよね。
つまり、その、まえの『MOTHER3』では
あてにしてましたから、スペックを。
「風が吹いて砂煙が舞い上がる」
くらいのことをさ、
いったんは思っちゃったわけですからね。

当時は‥‥当時というと、
それこそニンテンドウ64が出るころですが‥‥
そういう映画的な表現によって
ゲームが豊かになっていくことが、
つくり手の糸井さんにとっては
やっぱりプラスだったんですね。

糸井
うん。
ゲームがどんどん映画的になることに対して
「そりゃ違うだろう」とは思うものの、
一方でうらやましかったんですよ。
「ああいうことができるなら、
こんなこともできるぞ」って
うれしくなるところは、やっぱりあるんです。
自分が思ってもいないところで
映像に助けられたりとかね。
逆に言えば、ゲームボーイアドバンスにしたとき、
自分の監督責任っていうか、
ウェイトが大きくなるぞっていうのは
すぐにわかりますから、
それはちょっと、こわかった。
台本さえよければ
劇場はどこでもいいんだという
言い方はできるけど、
いざ「小劇場でやりましょう」というときは
まあ、びびりましたよね。
いったんは、風呂敷広げたシナリオですから。

なるほど。

糸井
そういうこわさとか、予想できる障害とかは
もう、山ほどあったんだけど、
けっきょく、最終的には
「一ヵ月くらい集中的に時間をとって
どこかにこもってシナリオやセリフを書けば、
きっとできる!」
っていうふうに自分に言い聞かせて
やることにしたんです。

(続きます)

2006-04-18-TUE