不確かな怖さ
さて、まずは、寝ながらクリアーしてしまった
猿のダンジョンについてご報告する。
あらためて入り直したところ、
そこはやはり通り抜けることを
目的とするダンジョンだった。
つまり、ある場所からある場所へ向かうとき
かならずそこを通り抜けなければないという
ダンジョンであったので、半分寝ながらではあるが、
僕はきちんと目的を達成していたということになる。
人体の神秘とはこのことである。
それでも、道中、
アイテムなど取り逃していると非常に悔しいので、
横道という横道をくまなく潰しながら
ダンジョン全体を歩き倒してみたのだが、
驚いたことにダンジョン内の
プレゼントボックスはすべて開封済みであり、
寝ながらにして僕はすべてのアイテムを
すでに回収していたということがわかった。
びっくり人間大集合とはこのことである。
抜けた先には新たな街が待っていて、
やはり新たな音楽が鳴っていた。
その音楽は軽快ではあったが
街が抱える問題はあまり軽いものではなかった。
この世界は、どうやらおかしなことになっている。
『MOTHER』というゲームが持つ
独特の転調を僕は感じる。
おしゃべりで軽快でユニークなゲームが
進むにつれて少しずつ無口になっていく怖さ。
それは、おのずから怖さを追求したゲームには
決して生じない種類のものである。
つんざく悲鳴もしたたる血もないのだけれど
じわりじわりと皮膚からイヤな感じが流れ込んでくる。
もともとここはおかしな世界だったけれど、
きっと、これまでは、
おかしな世界なりにルールや平和が保たれていて、
それが少しずつ歪みはじめているのだ。たぶん。
おかしな世界の根底にある平穏がわかるとき、
その平穏を浸食する「さらにおかしなもの」が
ゲームに含まれていることを意識する。
日常に「おかしなもの」が混じることは
恐怖としてわかりやすい。
だから怖くないということではなくて、
そういう出来事が構造として想像しやすい。
けれど、もともとおかしな世界に
よりおかしなものが混じるとき、
それはあまりにも不確かである。
「なにかおかしなことになってないか?」と
ぼんやり感じられるだけなのである。
つまり、そこでおこっているおかしなことは、
なんとも不確かであるがゆえ、
怖さが輪郭のなきまま存在感だけを持つ。
闇で得体の知れぬものが首筋を撫でるよな感覚。
それでも、おかしな世界に住む人たちは、
過剰に「さらにおかしなもの」をアピールしたりしない。
まじめに詮索していると
いきなりくるりと振り向いて
あかんべえをするようなことがしばしばある。
だから、一瞬、怖さを感じてしまった自分が
正しいのかどうかさえ不確かなのである。
そんなふうな積み重ねのうちに
いつの間にかゲームは無口になっていって
プレイヤーは最後に向かって進まざるをえなくなる。
ずいぶん昔のことだけれど、
僕が『MOTHER』というゲームに覚えている感触は
そういったものである。
意図せずわけのわからないことを書きました。
周囲の木々が針葉樹に変化しました。
もう、ずいぶん来たのかもしれない。