ムーンサイドへようこそ
ゲームという娯楽と長くつき合っていて、
心底怖いと思った経験が二度ある。
ゲームにおける「怖さ」について話すとき
僕はその2回を避けて語ることができない。
『バイオハザード』で
狂犬が窓から飛び込んできたときも怖かった。
『かまいたちの夜』で
ペンションの管理人夫婦の部屋に入るときも怖かった。
けれど、その2回の怖さは別次元である。
ひとつ目の怖さはゲームセンターで味わった。
当時、『バーチャファイター』という
格闘ゲームが大ブームになっていた。
3D格闘ゲームの元祖ともいえるこの作品は
多くのゲームファンをゲームセンターへ導いた。
『バーチャファイター』は
あまりにもかっこよく、新しく、おもしろかったため、
ふだんあまりゲームセンターへ行かない僕ですら
熱心に通って対戦に興じることとなった。
千円札を何回両替したかわからない。
ある日、僕はひとりでゲームセンターにいた。
対戦相手がいなかったので、
大型のプロジェクター型筐体の前に座って
コンピュータを相手に戦っていた。
たしか、阿佐ヶ谷の駅前にあるゲーセンだったと思う。
なんでまたそんなところにひとりでいたのか
いまとなってはまったく思い出せない。
何人かのキャラクターを倒しながら、
僕は黙々と勝ち進んでいった。
つぎの相手はパイという
中国拳法を使う女性キャラクターだった。
コンピュータを相手に戦うことは
それまで数え切れないくらい
くり返していたことだったから、
僕はほとんど惰性でプレイしていた。
女の拳法使いがくり出す上段回し蹴りをしゃがんで避け、
そのあとに投げ技を入力する。
それだけで楽に勝ち進めるはずだった。
言いようのない恐怖は
ステージが始まった瞬間に訪れた。
ふだんはすらりとしている
女の拳法使いの姿がおかしいのだ。
いや、おかしいどころではない。
姿形がぐしゃぐしゃになっているのだ。
おそらく、マシンのトラブルだと思うけれど、
3Dの表示が完全に狂ってしまっているのだ。
具体的にいうと、
パイの頭は腰のあたりにあった。
足と手がバラバラに配置されていた。
どちらかの手は宙に浮いていた。
自分のキャラクターも、
ステージも、背景もふだんどおりである。
ただパイの姿だけが滅茶苦茶に表示されている。
さらに恐ろしかったことは、
パイの機能そのものはまったくふつうだったということだ。
つまり、その滅茶苦茶な姿をした対戦相手は
試合の開始とともに僕に襲いかかってきた。
ぐしゃぐしゃになった手足が、
あり得ない位置からパンチやキックをくり出してくる。
僕はもう、無我夢中で
パンチボタンとキックボタンを連打した。
技の連携も、ガードの概念も、必勝パターンも
まったく意識の埒外に追いやられた。
相手の攻撃は、きちんと当たるのである。
自分の攻撃も、きちんと当たるのである。
連打する攻撃がその異形の姿を捕らえる。
食らって相手はダウンする。
しかし、あり得ない速度でぴょこんと起きあがる。
おそらく、僕は何か叫んだと思う。
純粋な恐怖に駆られて僕は連打した。
経過はあまり覚えていない。
なんとかKOすると、
つぎのステージからはまったく元通りだった。
それがひとつ目の経験だ。
もうひとつが『MOTHER2』だ。
ムーンサイドだ。
僕は、ロールプレイングゲームをプレイしているとき、
なるたけそこにあるすべてを見ようと努める。
置かれているアイテムはすべて回収したいし、
登場するキャラクターのメッセージはすべて読みたい。
だから、ゲームのなかで新しい場所を訪れたときには、
そこにあるすべてのものを手に入れるべく
隅々まで歩き回る。
けれど、9年前にプレイした『MOTHER2』のなかで
ムーンサイドという街を訪れたとき、
僕は一刻も早くここから出たいと思った。
否、ここから出してくれと思った。
ひと言でいえばムーンサイドは狂っている。
プレイしたことがない人のために
この場所を説明したいけれど、
絶対に描写できないという自信がある。
「はい」が「いいえ」で、
「いいえ」が「はい」だ。
絵画や時計の姿をしたおかしなモンスター。
フォーサイドのようでいてフォーサイドではない場所。
奇妙な音楽。ネオンの色彩。ホテルに泊まっても真夜中。
「いまおれはすうじをへらしているところなんだ」
「どいつもこいつもだ! そうおもわないか?」
「はい、ちがうわよ」
「ハロー! そしてグッバイ!」
「ようこそムーンサイドへ
ようこそムーンサイドへ
ムよーンサうイこドそへ」
「ムムーーンンササイイドドへへよよううここそそ」
「ンサイ、ンサイ、ンサイドムー、
こそよう、こそよう、こそよう」
「あんたたちったらゆうびんポストのくせして
ふらふらあるきまわったりして
おかしいったらありゃしない
ムムーーンンササイイドドへへよよううここそそ」
いつもは屋外でプレイする僕だが、
9年ぶりにムーンサイドを訪れたとき
よりによって寝床でプレイしていた。
ここから出してくれ! と思いながら、
僕は夜の闇のなかでじっくりとその狂気を脳裏に刻む。
拒否しながらも刻まずにはいられない狂った世界。
寝床でゲームボーイアドバンスSPを握りながら
じっとりと汗をかいていたのは、
真夏の気温のせいばかりではないと思う。