ダンジョンおとこ
もう、なんだろう、ダンジョンおとこというのは、
成り立ちや意味を探ることすら難しい気がする。
難解だというわけではない。
ナンセンスという言葉に収めるのも違う。
なんというか、ダンジョンおとこについて考えるには、
圧倒的に自分に力が足りないように思う。
ひとつだけ感じるのは、
細かく考えると非常に怖いものであるということだ。
ダンジョンについて深く深く考えるおとこが、
ついにダンジョンそのものになってしまう。
そのあたりをちらりと思い浮かべるだけで、
僕はちょっと怖くなる。
だから、ダンジョンおとこについては考えたくない。
なんだこりゃ、ということでおしまいにしたい。
たとえばそれは、僕にとって昆虫に似る。
僕は子どものころカブトムシが好きだった。
平気で手づかみできたし、
幼虫がいる腐葉土を熱心に掘り返したし、
ヘラクレスオオカブトの載っている
図鑑のページをうっとりと眺めた。
ほかの昆虫にもけっこう詳しかった。
いま「カブトムシが好きか? 昆虫が好きか?」と
訊かれたら、「好きだ」と答えると思う。
けれど、その細部を眺めることはあまりしたくない。
カブトムシの柔らかい腹部には気孔という
小さな穴があって、そこから空気を取り入れる。
ミツをなめるときはオレンジ色の舌が出る。
アゲハチョウの舌はぐるぐると丸くなっている。
コオロギの耳は足についているという。
よく見るとトンボは凶暴なアゴを持っている。
昆虫は好きだけど、好きだというだけにしておきたい。
昆虫の祖先が宇宙からやってきたというようなことは
あまり深く考えないようにしたい。
「カブトムシってかっちょいいよなー」で
おしまいにしたい。
ダンジョンおとこは、なんだかもう圧倒的である。
いろんな愉快さでぐしゃぐしゃになっている。
『レボリューション9』みたいな音楽が鳴っている。
ダンジョンの内部に顔があって、言葉をしゃべる。
モンスターの動物園のようなフロアーがある。
アイテムを回収するよりも、
そこにある看板の文字が読みたい。
だけどその看板は誰が立てたのか?
──考えてはいけない。
「 ダンジョンおとこって、おっかしいよねえ。」
それ以上を語るに僕は力不足である。