やめることと腑に落ちること
- 糸井
- たぶん、散文を書くのと
ゲームのシナリオを書くことの違いって
「書くことをやめたいとき」の
対処のしかただと思うんです。
ゲームだと、書くことやめたいときでも、
埋めとかなきゃいけない死角があるんです。
- 川上
- あ、そうですか。
- 糸井
- つまり、たとえば散文を書いてたら
「書くことをそこで終わりにする」
っていう選択肢があると思うんです。
つまり、1冊の本の予定の分量と関係なく、
私はこれ以上は書かないほうがいいんだ、
っていうのが、言えるような気がする。
- 川上
- う~ん、現実的には、
締切や予定があるので言えませんけど(笑)、
あの、ええっと、概念的には、そう、
やめてもいいんです。はい(笑)。
- 糸井
- 概念的には(笑)。
- 川上
- 概念的にはやめてもいいんですよね。うん。
- 糸井
- はい。概念的には、やめてもいい。
いいですか?
- 川上
- はい、いいです。
- 糸井
- 以前、横尾忠則さんと話してたときにね、
「絵って、いつやめるんですか?」って
訊いたことがあるんですよ。
そしたらね、こうおっしゃったんです。
横尾さん、最初は壮大なイメージを持って、
そこにたどりつくように描き始めるんだと。
それで、描いたり消したりしながら
どんどん進めていって、あるときに、
「これ以上描くと、自分の技術が
ついていかない。これ以上描くと、
自分の身についていない技術を
使わなきゃなんない。だから、
そこでやめるんだ」って。
- 川上
- あー、それ、ご自分のことが
わかってるから決められるんですね。
- 糸井
- そうですね。
もちろん、そうとうな技術を
お持ちな方なんですけれど。
- 川上
- それ、すごいなー。
- 糸井
- そういう話がぼくはわりと好きで。
で、自分のことを考えてみると、
インターネットに何か書くときの自分は
予定に関係なくポンポンやめるんですね。
それは自分の性に合ってることだとも思うんです。
ところが、ゲームだとそれができない。
具体的な話をすると、たとえば
主人公がこの敵を倒したあとで
お母さんに会いに行ったらどうなるのか
っていうようなことを、やっぱり
書いておかなければならないんです。
- 川上
- あー、そうですね、全部の場合を
埋めていかないといけない。
- 糸井
- はい。そこに入れるべきものっていうのは、
どちらかというと、
あらかじめあるはずのものだから、
そこで終わりにしたくても、
「じゃあ、いまから考えるわ」っていうことで、
大人になれるんですよ。
逆にいうと、それができないと、
ゲームのシナリオって完成しないんです。
- 川上
- はー。でも、それね、
いろんなレベルがあるから、
一概には言えないかもしれないんですけど、
小説書いてるときもおんなじですよ。
- 糸井
- あ、そうですか!
- 川上
- つまり、ある人が行動するとしますよね。
じゃあ、まあ、何がいいかな、たとえば
男の人と一緒に住むようになった、と。
それを書くためには、
いっしょに住まなかった場合のことを考えて、
住まなかったというふうに書いたとしたら、
どういうふうにして住むほうにいくのか、とか。
どういうふうにしてダメになるのか、とか。
反対にぜんぜん違う場合ならどうなのか、とか。
そっちをいちおうは考えておくんです。
それ、つまり読んでる人としては、
いまの場面に必然性が欲しいでしょう?
- 糸井
- はいはいはい。
- 川上
- だから、すごく軽いものでいいんだけど、
違うほうへ行かない必然性、
それを証拠立てるようなことを、
チラッと書いておかないと、
「え? この話、なんか変!」
って思っちゃうんですよ。
その過程は、ゲームの死角を埋めることと
ちょっと似たものがあるのかもしれない。
- 糸井
- そこが丁寧なものは、読んでて、
やっぱりおもしろいんですね。
- 川上
- おもしろいっていうよりも──。
- 糸井
- 腑に落ちる。
- 川上
- そ、腑に落ちる。それそれ!
おもしろいかどうかは別として。
そこらへん、イヤな感じなものって、
けっこうあるから。
- 糸井
- 多いですね。うん。
- 川上
- うんうん。でもね、その、
「腑に落ちない感じ」って、イヤがる人と、
べつに気にしないっていう人と、
両方いると思うんです。