作家の川上弘美さんは
『MOTHER2』を何回となくやったファンで、
『MOTHER2』をつくった糸井重里は
川上弘美さんの小説やエッセイのファンで、
ゲームを切り口にいろんな話が盛り上がりました。
前回大好評いただきました
「男女が同居するということ。」に続き、
ふたりの放談をたっぷりお届けします。
『MOTHER』ファンも、そうでない人も、
ごいっしょにその場にいる気分で、
ほんわりとお読みくださいませ、なんですよねー。
そうそう。

第12回

やめることと腑に落ちること

糸井
たぶん、散文を書くのと
ゲームのシナリオを書くことの違いって
「書くことをやめたいとき」の
対処のしかただと思うんです。
ゲームだと、書くことやめたいときでも、
埋めとかなきゃいけない死角があるんです。
川上
あ、そうですか。
糸井
つまり、たとえば散文を書いてたら
「書くことをそこで終わりにする」
っていう選択肢があると思うんです。
つまり、1冊の本の予定の分量と関係なく、
私はこれ以上は書かないほうがいいんだ、
っていうのが、言えるような気がする。
川上
う~ん、現実的には、
締切や予定があるので言えませんけど(笑)、
あの、ええっと、概念的には、そう、
やめてもいいんです。はい(笑)。
糸井
概念的には(笑)。
川上
概念的にはやめてもいいんですよね。うん。
糸井
はい。概念的には、やめてもいい。
いいですか?
川上
はい、いいです。
糸井
以前、横尾忠則さんと話してたときにね、
「絵って、いつやめるんですか?」って
訊いたことがあるんですよ。
そしたらね、こうおっしゃったんです。
横尾さん、最初は壮大なイメージを持って、
そこにたどりつくように描き始めるんだと。
それで、描いたり消したりしながら
どんどん進めていって、あるときに、
「これ以上描くと、自分の技術が
ついていかない。これ以上描くと、
自分の身についていない技術を
使わなきゃなんない。だから、
そこでやめるんだ」って。
川上
あー、それ、ご自分のことが
わかってるから決められるんですね。
糸井
そうですね。
もちろん、そうとうな技術を
お持ちな方なんですけれど。
川上
それ、すごいなー。
糸井
そういう話がぼくはわりと好きで。
で、自分のことを考えてみると、
インターネットに何か書くときの自分は
予定に関係なくポンポンやめるんですね。
それは自分の性に合ってることだとも思うんです。
ところが、ゲームだとそれができない。
具体的な話をすると、たとえば
主人公がこの敵を倒したあとで
お母さんに会いに行ったらどうなるのか
っていうようなことを、やっぱり
書いておかなければならないんです。
川上
あー、そうですね、全部の場合を
埋めていかないといけない。
糸井
はい。そこに入れるべきものっていうのは、
どちらかというと、
あらかじめあるはずのものだから、
そこで終わりにしたくても、
「じゃあ、いまから考えるわ」っていうことで、
大人になれるんですよ。
逆にいうと、それができないと、
ゲームのシナリオって完成しないんです。
川上
はー。でも、それね、
いろんなレベルがあるから、
一概には言えないかもしれないんですけど、
小説書いてるときもおんなじですよ。
糸井
あ、そうですか!
川上
つまり、ある人が行動するとしますよね。
じゃあ、まあ、何がいいかな、たとえば
男の人と一緒に住むようになった、と。
それを書くためには、
いっしょに住まなかった場合のことを考えて、
住まなかったというふうに書いたとしたら、
どういうふうにして住むほうにいくのか、とか。
どういうふうにしてダメになるのか、とか。
反対にぜんぜん違う場合ならどうなのか、とか。
そっちをいちおうは考えておくんです。
それ、つまり読んでる人としては、
いまの場面に必然性が欲しいでしょう?
糸井
はいはいはい。
川上
だから、すごく軽いものでいいんだけど、
違うほうへ行かない必然性、
それを証拠立てるようなことを、
チラッと書いておかないと、
「え? この話、なんか変!」
って思っちゃうんですよ。
その過程は、ゲームの死角を埋めることと
ちょっと似たものがあるのかもしれない。
糸井
そこが丁寧なものは、読んでて、
やっぱりおもしろいんですね。
川上
おもしろいっていうよりも──。
糸井
腑に落ちる。
川上
そ、腑に落ちる。それそれ!
おもしろいかどうかは別として。
そこらへん、イヤな感じなものって、
けっこうあるから。
糸井
多いですね。うん。
川上
うんうん。でもね、その、
「腑に落ちない感じ」って、イヤがる人と、
べつに気にしないっていう人と、
両方いると思うんです。

(続きます!)

2003-08-19-TUE