小学生のころ、お隣りさんの寝タバコが原因で、
実家が全焼してしまったこと。
お母さんが蒸発し、お父さんが亡くなり、
中学生以降、親戚の家を転々として暮らしていたこと。
そんな生い立ちをはじめ、
人生に訪れるさまざまな「切ないできごと」を
クスッと笑えるユーモアに変えて届けてきた、
「実家が全焼したサノ」さん。
今回ほぼ日はサノさんに、
「『自分の人生をコンテンツにする』って、疲れませんか」
と、質問をしてきました。
日々の暮らしの中から
「コンテンツ」になりそうなものを探してみたり、
自分の人生を「コンテンツ」として捉えてみたり。
いつの間に染みついていたそんな感覚に、
ふと疲れてしまう瞬間が、今の時代にはある気がします。
気になるんです。そんな中、たくましく、面白く、
「自分の人生をコンテンツにし続けている人」の、
頭の中や、心の中が。
そんな問いに、心の奥深くから、
丁寧に丁寧に言葉をすくいあげるように応えてくれた、
サノさんへの全4回のインタビュー。
聞き手は、ほぼ日のサノです。ややこしくて、すみません。
実家が全焼したサノ(じっかがぜんしょうしたさの)
広告代理店で働くサラリーマン。
「実家が全焼したサノ」という
X(旧Twitter)アカウントで、
毎日切なかった出来事を投稿している。
幼少期に実家が全焼したことを機に、切ない人生を送る。
学生時代にホストクラブで働き、卒業後はバーを経営。
その後、事業拡大を目指し大学院でMBAを取得するも、
バーは潰れてしまう。
著書に『実家が全焼したらインフルエンサーになりました』
(KADOKAWA)がある。
第1回
「実家が全焼したサノ」には、
なりきれなかった。
- ――
- サノさん、本日はよろしくお願いします。
- サノ
- はい、サノ×サノで。
- ――
- あの、じつは僕たち、面識があるんですよね。
覚えているでしょうか、前回のインタビュー。
- サノ
- 覚えてます。もうけっこう前ですよね。
サノさんがまだ、前の会社にいらしたときで。
- ――
- はい、さきほど確認したら、2020年でした。
なので今日は4年ぶりに、
サノさんにお聞きしたいことがありまして。
それが企画書にも書かせていただいた、
「自分の人生をコンテンツ化しつづけるって、
疲れちゃわないんですか」、なんですけど。
- サノ
- はい。
- ――
- 僕、SNSが
「みんなのどうってことない日常が流れてくる場所」
から、
「自分をコンテンツ化することで、何者かになれる」
みたいな場所になってきたあたりから、
「フォロワーを増やそう」とか、
「『いいね』がつきそうなツイートをしよう」とか、
そういう頑張り方をするようになったんですけど‥‥
あるとき、自分の人生や起きたできごとに対して、
「コンテンツとしての価値はあるのか」
みたいな目線を向け始めている自分に気づいて、
すっかり疲れてしまったんです。 - それで、このあいだサノさんと連絡を取ったときに、
「あ、ぜひこのテーマでお話ししてみたいな」
と思いまして。
- サノ
- ありがとうございます。
あの、それで言うと僕も、
「SNSに人生を蝕まれてる」と感じた時期は、
あったと思います。
なんか、こう‥‥僕の持ち味である「ちょっと切ない」を、
自分から探しにいってしまった時期があったというか。
- ――
- ああー。
- サノ
- まず、そもそも僕がTwitterで
「実家が全焼したサノ」というアカウントをつくったのは、
「広告代理店で働いてるのに、
SNSにまったく詳しくなかったから」だったんです。 - 僕は、だいぶ遅めなんですけど
2019年に28歳で広告代理店に新卒入社していて。
それでも一応新入社員、若手枠ということで、
「こういう企画どう?」「バズりそう?」
「最近の子にウケそう?」みたいなことを
先輩方に聞かれることがすごく多かったんです。
でも僕はSNSをやってなかったからまったくわかんなくて、
「じゃあ始めてみようか」と会社員2年目のタイミングで
アカウントを作ったんですね。
なので、最初は完全に「勉強目的」で。
- ――
- 2019年って、Twitterはとっくに全盛期というか、
世の中に浸透しきっていた時期ですよね。
当時、Twitterをやったことがない20代って、
相当珍しかったんじゃないでしょうか。
- サノ
- はい、だいぶ乗り遅れてたと思います。
なので、「バズりたい」とかじゃなくて本当に、
そもそもどういう人たちがSNSを使ってるんだろう、
どういう使い方をしてるんだろうという、
「SNSの作法」を学びに行った感覚でした。 - で、投稿することがとくに何も思い浮かばなかったから、
「日常に起きた出来事」をただ日記のように書いてみたら、
アカウントをつくって2投稿目か、3投稿目ぐらいで、
「1万いいね」ぐらい行ったものがあって。
- ――
- いま、一気に「普通のストーリー」じゃなくなりましたね。
- サノ
- たしか、京都で大学院生だったころに
友達とカラオケ屋に行ったときのツイートで、
「通常のお部屋は満室で、
スケルトンルームだけ空いてます」と言われて、
あんまり意味がわからなかったんですけど
「あ、じゃあ、そこでいいです」と言ったら、
「外から丸見えの部屋で、
観客に囲まれながら歌わされる」
っていう部屋に連れていかれたんです。 - そこで、店員さんが「オイ!オイ!」って、
オーディエンスを沸かせようとしてくれる、
地獄みたいなカラオケを経験したんですけど。
カラオケ屋に行ったら「スケルトンルームなら空いています」と言われたので、意味もわからないまま入室してみたら、すごくスケルトンルームでした。1人で歌う僕と、スケルトンルームの外で全力で応援してくれるジャンカラのお兄さんの動画を添付致しましたのでご査収ください。 pic.twitter.com/zdTWTyD5Bp
— 実家が全焼したサノ🏠 (@sano_sano_sano_) May 16, 2019
- ――
- あははははは(笑)。
- サノ
- そのエピソードを投稿したときにバズったのが、
最初だったと思います。
当時はたぶんフォロワーもまだ100人とかで、
そこから3回連続ぐらいでバズって、
一気に1万人ぐらいまで増えて、
最初のうちに、6万人ぐらいまでいって、
本の出版も決まりました。
- ――
- とんでもない一年だ。
- サノ
- で、その1年は、
自分の身の上話を中心に投稿していたんですけど、
投稿していくうちに、見てくださった人たちが
「なんかコイツの投稿、切なくね?」と言い始めて、
「あ、俺、切ないんだ」って、そこで気づいたんですね。
- ――
- 「実家が全焼したサノ」に求められているのは、
「切ないユーモア」だと。
- サノ
- はい。そこから2年、3年は、
自分の人生から厳選した「切ないエピソード」を出せたので
とくに疲れるということもなかったんですけど、
4年目ぐらいになったとき、
さすがに「過去の話」が尽きてきたというか、
「現在の話」が中心になってきて。
そこからの僕は、
人生なんて切なくないに越したことないのに、
気づくとそこらじゅうから「切ない」を探して、
なんかもう‥‥
「切ないの当たり屋」みたいになっていったんです。
- ――
- サノさんのほうから、切ないほうに、切ないほうに(笑)。
- サノ
- 自ら切ないほうに行こうしている、
そういう自分に気づいたとき、
「あれ、これ、不健全だな」って思い始めたんですよね。
この生き方って、SNSではバズるかもしれないけど、
「自分の人生」として見たときには
まったく幸せじゃない気がして。
「切ない」に引っ張られて生きていきたくはないなって。
- ――
- イメージとして適切かわからないんですけど、
ちょっと、矢沢永吉さんの、
「俺はいいけど、YAZAWAはどうかな」の
「YAZAWA」みたいに、
サノさんのなかで「実家が全焼したサノ」という人格が
大きくなっていった感覚なんでしょうか。
どんどん、そっちに引っ張られながら
暮らすようになってしまったというか。
- サノ
- それで言うと、矢沢さんは「引っ張られる」んじゃなく
完全に「YAZAWA」という人間になりきったから
あそこまでいけたと思うんですけど、
僕はやっぱり、「その一線を飛び越えられない自分」が
いるのかもしれないです。
「実家が全焼したサノ」にはなりきれないというか。
- ――
- ああー‥‥。
- サノ
- SNSで切ないことをつぶやいてはいるものの、
べつに「切なくない自分」もいますし、
当たり前ですけど、いろんな、多面的な自分がいて。
SNSでウケるために自分の人生を
「切ない自分」だけに全振りしていくことは、
僕にはできないなと思って。 - そこからは「毎日投稿する」みたいな投稿ノルマをやめて、
本当に切ないことが起きたタイミングだけ
投稿するようにしました。
他にも、「切ない自分」のときはXで、
「楽しい自分」のときはインスタで、みたいに、
SNSごとに自分の人格を切り離して
バランスを取るようにもなったり。
結果、「実家が全焼したサノ」としての投稿頻度は
当時に比べるとたぶん相当落ち着いてるんですけど、
今の状態のほうが、自分には健全なんだと思います。 - まあ、やっぱり人よりは
切ないことが起きやすい人生なので、
結局今でも、投稿することにはそんなに困ってないですし。
‥‥それがいいことかはわかんないですけど(笑)。
(つづきます)
2024-12-17-TUE