bonobosという、
スゴ腕ぞろいのメンバーのなかで、
ボーカルの蔡さんは、
もともと画家を目指す青年でした。
趣味でやっていたバンドで
デビューが決まり、
プロのバンドマンとなってからも、
しばらく自覚はなかったそうです。
でも、あるときから、
「自分の仕事はこれだ」と決める。
バンドがあったからこそ、
自分は歌ってるんだ‥‥とも言う。
蔡忠浩さんのバンド論、全6回。
担当は「ほぼ日」の奥野です。

>蔡忠浩さんのプロフィール

蔡忠浩(さいちゅんほ)

1975年うまれ、関西出身。bonobosのボーカル&ギターで作詞曲担当でもある。酸いも甘いも、多少包み隠しながら書く、人間味のある歌詞と、言葉にならない気持ちを音に変換させ、音楽を作り、奏でる。ここ数年はバンドやソロ活動の枠を越え、舞台の音楽監督や映像への音楽提供なども行う。

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第6回 歌を歌う、ということは。

──
これは前にも言いましたが、
ぼくは個人的に、蔡さんの歌声が
すごく好きなんですけど‥‥。
あ、ありがとうございます(笑)。
──
音‥‥とくに「人の声」って、
人を動かすもののひとつですよね。
ナチスの宣伝大臣のゲッベルスが、
プロパガンダの際に、
拡声装置を巧みに使ったことは
人間の声の力を
悪用した例なんでしょうけれども。
うん、そういう意味では、
人間が「歌」に感動すること自体、
素晴らしいと思う反面、
ともすれば
危ういことでもあるなと思います。
ロックって音楽はとくに、
拡声器でがなってるようなもんで、
意図せず、
人を動かしてしまうことの怖さは、
自覚していたいと思ってます。
──
分岐点が、どこかにあるんですね。
そうなんだと思います。
それもあって、自分たちの音楽から
エモーショナルな要素を、
徐々に減らそうとしてたりもします。
──
それは、歌詞の内容も含めて?
歌を歌うということは、
とってもシンプルで強い行為なんで、
どこかに
冷静さを混ぜておきたいんですよね。
そして、そういう音楽でなければ
到達できない領域が、
あるんじゃないかなとも感じていて。
──
なるほど。
歌詞も変わってきてますね。
やっぱり東日本大震災が大きかった。
あれほどの出来事を前に、
俺は歌うための言葉を書くのか‥‥
ということに、戸惑って。
──
そうだったんですか。
歌詞が、書けなくなったんですよね。
ぼくたちが若かった時代には、
まだまだ「王道」「ベタなもの」が、
存在していた気がするんです。
──
ええ、たしかに。
王道な表現が、
メインストリームを引き受けていて、
それに対するカウンターとして、
サブカルチャーも力を持ってました。
でも、いまは‥‥。
──
わかります。
人々の接するメディアだとか世界が
どんどん細分化しているから、
誰も「王道の役」を
引き受けられない状況なのかもとは、
思ったりしてます。
ものごとの中心に据わっている、幹。
それが痩せ細ってしまったとき、
気持ちの上で、
とたんに寄る辺がなくなるというか。
王道が消えてなくなったあと、
道案内のない荒野を延々、
歩かなきゃいけないのかと思ったら、
しんどいじゃないですか。
──
つまり、何に対して、
どんな「歌詞」を書いたらいいのか、
どんな「歌」を歌ったらいいのか‥‥
ということですか?
言葉というものを、
やっぱり信頼できるものとして、
もういちど、
取り返したいなとは思ってます。
──
よすがは、ありそうですか。
どこまでやれるかはわからないけど、
そのためには、
毎日レンガを積んでいくかのように、
真面目にコツコツと、
言葉を積み重ねていくしかないなと
思いはじめてはいますね。
──
簡単じゃないんでしょうね。
これから先、
いくつまでやれるかわかんないけど、
自分は何を歌っていくのか、
どういう言葉なら、
より「うそ」じゃなくなるのか‥‥。
そういうことを、ずっと考えながら、
それでもやっていくんだと思います。
──
バンドというものを。なるほど。
歌詞というものは、
メロディという大きな制約があるし、
常套句が並びがちなんです。
愛してる‥‥という言葉ひとつにも、
その裏側には、
ベッタリといろいろよけいなものが、
くっついちゃってる。
──
ええ。
それをどうやってひっぺ返すのか。
あるいは、
どう、新しい表現を発明するのか。
──
震災のときに、だんなさんが
行方不明になってしまった女の人が、
ただ「会いたい」って言った。
その言葉に、
ものすごく心が揺さぶられたんです。
ああ‥‥そうでしょうね。
──
会いたい‥‥という言葉自体は、
ラブソングの中でも、
日常生活でも、
さんざん、使われていますよね。
そういう「ふつうの言葉」に。
めちゃくちゃわかります。そうですよ。
仮に、その方のことをテーマに
「会いたい」って曲を書いたとしても、
同じ感情は入らないでしょうね。
──
何なんでしょうね、それって。
ねえ‥‥だから、いまのは
歌詞というものの限界の話でもあり、
同時に、
言葉というものの可能性の話でも
あるような気がしますね。
──
これは音楽の人に限らずなんですけど、
インタビューをしていると、
「音楽に救われた」というような話を
よく聞くんです。
ええ。
──
小説とか詩、絵画に救われた人だって、
もちろんいると思います。
そういう人が、
作家とか詩人、映画監督になるんだと
思うんですけど。
うん。
──
でも、「何かに救われた」という場合、
「音楽」がいちばん多い気がする。
だって、辛いことがあったら、
音楽を聴くっていう人、多いと思うし。
そうかもしれないですね。
──
歌って直接、人の心を触ってくるから。
蔡さんは歌を歌うということについて、
いま、どう思ってらっしゃいますか。
たまーに「カッコ悪いなあ」とかって
思うことがあります。
──
カッコ悪い。
だって、人前で大口を開けて、
夜中にちょこちょこ書いた言葉を
歌ってるわけでしょ。
すごくみっともないことのような。
そんな気がします、一面では。
──
表現というものには、
どこか、
そういう側面があるんでしょうか。
俳優の柄本明さんも、
まったく同じことを言ってたので。
人前で泣いたり笑ったり
怒ったり叫んだり、恥ずかしいと。
同じ気持ちなのかもしれないです。
──
蔡さんご本人としては、
その気持ちには、
どう、整理をつけているんですか。
歌というのは、
昔から芸術的な表現のひとつだし、
連綿と続いてきた
音楽の歴史のかたすみに、
自分も存在しているような感覚も、
実際には、あるんですけどね。
──
ええ。
たとえば、安東ウメ子さんの歌う
アイヌの歌なんかを聴くと、
ぼくらのポップミュージックとは
完全に違うと気づかされるんです。
──
なるほど。
歌を歌うという行為そのものには、
共通性はあるかもしれない。
でも‥‥あれほどまでの精神性を
獲得できているのかおまえは、
と問われたら、
ぜんぜん、そんなことはないから。
──
そう思われますか。
ぼくなんかにおこがましいとさえ、
感じてしまうこともあります。
だから一生、整理はつかないけど、
せめてそのことは覚えていようと。
──
なるほど。
それと、もうひとつは、
歌を届けたい‥‥というだけであれば、
ギターの弾き語りで十分だし、
本当に上手い人なら、
アカペラでも、ぜんぜんいいわけです。
──
はい。
でも、ぼくの場合、振り返ってみると、
曲や歌詞を書いたり、
つくった歌を歌ってる「理由」って、
やはり「バンドだったから」なんです。
──
ああ‥‥なるほど。
自分は、結局のところ、
「バンドがあるから歌ってるんだよな」
というところに、戻ってくる。
──
蔡さんが「歌を歌う」場所。
それがバンド。
たまに忘れそうになるんだけど、
そういうことなんだろうと思ってます。
バンドとか、歌というものについては、
いまのところ。

(おわります)

2021-02-06-SAT

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    写真:田口純也

    協力:酒場FUKUSUKE