5月31日午前11時からはじまる
「ほぼ日ストアお買いものキャンペーン2020」の
セールの売上の一部を、子どもたちのためにつかいます。
発案した糸井重里の思いをどうぞ。
寄付先となる「むすびえ」さんについても
取材しましたので、あわせてお読みください。

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3.「再開支援」に取り組みます。(むすびえ・湯浅誠さんインタビュー)

※今回の寄付にあたっての糸井の言葉はこちらです。

――
今年の2、3月頃から
新型コロナウイルス感染症の拡大が騒がれはじめ、
4月7日には全国に緊急事態宣言が発令されました。
それまでの「こども食堂」は、
集まることが大事な場所だったと思うのですが、
今回のような想定外の状況下で、
どのような対応がなされていたのでしょう。
湯浅
4月13日から17日にかけて、
各食堂がどうなっているのか調査をしたんです。
そうしたら、継続して何らかの居場所を
開けている所は全体の10%でした。
また、食堂自体は閉鎖しているけれど、
無料でお弁当や食材の配達をしたり、
来てもらった方に配ったり‥‥それを
「フードパントリー(食材配布)」と言うのですが、
そういう新たな活動をはじめた所が46.3%でした。
つまり、何かしらの活動をしている所が
過半数になります。
これはすごいことだと私は感激しましたね。
やっぱり、この緊急事態宣言下で、
いろんなものが休止になったと思うんですよ。

▲フードパントリーのための仕分けをしている様子。
(むすびえさん提供)
▲フードパントリーのための仕分けをしている様子。 (むすびえさん提供)

――
そうですね。
湯浅
「こども食堂」だって、
普通に考えれば、できなくてもしょうがない。
――
そうですね。
「集まることがいけない」と
言われてるわけですもんね。
湯浅
集まることがむずかしい。
ですから、単なる休止だけでもよかったんですよね。
「残念ながら今月はできません。来月もできません」
そう言ったって、誰も文句言わなかったと思うんですけど、
でも、やっぱり皆さん、それまでの活動の中で、
課題のある子や家庭と関わっちゃってるので。
――
ああ。
湯浅
「休止はいいけど、
じゃあ、あの家庭はどうするんだ?」
「あの子はどうなるんだ?」
「給食もなくなる」‥‥と考えると、
「やめられない」となったんですよね。それで、
「居場所はできないが、つながり続ける方法はないか」
ということで、
「フードパントリーというやり方がある」
と気づいて、それがワーッと広がった。
この柔軟さというか、たくましさというか、
臨機応変さというか、機動力というか‥‥
これはもう、たいしたものだと思いました。
――
なにか指示があったのではなく、
その現場の人がそれぞれ、
子どもさんに対してだったり、
ご家族の方だったりと関わりがあるから、
「放っておくわけにいかない」
という気持ちが芽生えて、
それぞれの判断で、そうされていた‥‥。
湯浅
そういうことですね。
単に休止、ということにならなかった理由は、
これまで来てくれていた人たちの顔が
「見えていたから」であり、
「つながっていたから」だと思います。
――
本日は5月18日で、
まだ首都圏などは緊急事態宣言下にありますが、
これが全国的に解除されていくと、
「こども食堂」の復活というか、
再び集まれる場になっていくのでしょうか。
湯浅
そうですね。
私たちは「再開支援」ということに
まずは取り組んでいきます。
やっぱり3月から休んでいた食堂などは、
「よいしょ!」という気持ちが
必要だと思うんですよね。
ボランティアさんの中には、
「まだ早いんじゃないか」と言う人もいるだろうし、
再びやりはじめるのは相当大変です。
そういう気持ちを応援するような
仕組みを作っていきたいと思っています。
また、「フードパントリー」は、
いわば緊急避難的にはじまったことなんですが、
来られる方たちの中に、
困窮者の割合が高かったそうで、現場の人から
「今までと違った人たちと関わりが持てた。
やってよかった」
という声がたくさん聞こえてきています。
ーー
ああ、すごいことですね。
湯浅
そういう意味では、
「こども食堂」を再開した後も、
単に元に戻すだけじゃなくて、
「こども食堂」は「どなたでもどうぞ」でやる。
「フードパントリー」は、
もう少し大変な家庭の支援として続ける、
そんな両立を図られる方たちが、
それなりの数出てくるんじゃないかなと予想しています。
それには費用がかかりますから、
私たちも両立支援をしていく心づもりです。
そのためのクラウドファンディングも
立ち上げました。
――
コロナ危機の前の状態に戻すだけじゃなくて、
新しい形が生まれていくわけですね。
湯浅
ある意味、このコロナ危機で、
「こども食堂」が得た教訓というか、発展型です。
私がイメージしてるのは阪神大震災で、
阪神大震災もとても大変な経験でしたけど、
数年後には「ボランティア元年」と
呼ばれるようになりました。
今回も大変な経験をしていますけど、
数年後に「あれで社会が得たものもあった」
と言われるようにしたいですね。
――
今こうして「こども食堂」のことを
うかがっているわけですが、
湯浅さんご自身は、何十年も貧困問題に取り組み、
路上生活者の支援にも関わってこられていますよね。
今もさまざまなことに
取り組んでいらっしゃると思うんですけど、
湯浅さんが目指されている社会って、
どういうものなんでしょうか。
湯浅
私自身は、もう20年くらい変わってないんですけど、
「インクルーシブな地域や社会づくり」
というふうに言ってきました。
「インクルーシブ」は
「配慮し合う」と訳したほうが
しっくりくるんですけど、
みんなを包みこむような、そういう社会ですね。
ーー
「誰も取りこぼさない」
という言葉に通ずるものを感じます。
ご著書を拝読していると、貧困問題にしても、
一人ひとりケースが違いすぎて、
「自己責任」なんて言葉で片付けられないし、
「その人のせいじゃない」というようなことが
本当に多いんだなと気づかされます。
湯浅
はい。それに、人間、
完璧な人ばっかりじゃないですからね。
私たちだってそうですよね。
病院へ行ったほうがいいと分かっていても、
なんとなく行き渋っていたり、
お酒を飲みすぎないほうがいいのに、
ついつい飲みすぎちゃったり。
そういうことっていくらでもあります。
「なんでこうしないんだ」
と人から責められたら、
よけいできなくなる、みたいなところもあるので、
人と人はお互いにもっと上手に関わり合えたほうが、
世の中うまくいくんだと思っています。
ーー
湯浅さんは、どうしてそのような考えに
至るようになったのでしょう。
湯浅
そうですね‥‥自分で自分のことは
なかなかわからないものですが、
私、3歳年上の兄がいて、
その兄が障害を持っているんです。
昔から、兄の車椅子を押していると、
道でよくジロジロ見られました。
必ずしも差別的な視線ではなかったかもしれませんが、
40年前だし、車いすで外出する人って、
今に比べればまだ珍しかったし、
皆さんやっぱり気になっちゃうみたいで。
あの「見られる側」を体験したというのは
やっぱり大きかったんじゃないかなと思います。
私にとって、やっぱり障害のある兄がいたり、
ホームレスの方と関わってきたり、
長年、取りこぼされる人たちを見てきましたので、
やっぱりそういう社会は
私は嫌だなという感じがずっとありました。
ーー
見られる側としての体験が、
今の湯浅さんの活動に影響を与えた‥‥。
湯浅
ただ、あんまり私は
誰かのためにやっていると思ったことはなくて、
自分のためにやっていると思っています。
そういう世の中のほうが私自身が暮らしやすい。
安心して暮らせて、幸せな気分になれる。
それこそ、
「どこかで子どもが泣いてる傍で、
自分はあんまり幸せな気分になれない」
みたいな感じがあるので、
自分のためにそういう地域や社会をつくりたい、
そういう思いで活動をしています。
ーー
「どこかで子どもが泣いてる傍で、
自分はあんまり幸せな気分になれない」
‥‥本当にそうですね。
本日はオンラインでお話をうかがいましたが、
今後、緊急事態宣言が解除されましたら、
実際に現地の様子を見て、より深く知りたいと思っています。
また改めてうかがわせてください。
どうもありがとうございました。

ほぼ日ストア
お買いもの応援キャンペーン2020
5/31(日)〜 6/19(金)

上記期間中の「セール」の
売上の一部を寄付します。

<寄付先>
NPO法人全国こども食堂支援センター・むすびえ

※寄付総額はセール終了後に、
あらためてお知らせいたします。

直接、寄付をされたい方は
こちらからどうぞ。

むすびえ公式サイト
「こども食堂を支援したい」

「新型コロナウイルス対策緊急支援」
むすびえさんによる
クラウドファンディングのページです。
(~2020/7/31まで)

こども食堂再開支援Facebookグループ

 

(おわります)

2020-06-02-TUE

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