木曜日の夕方、
写真の展示がほぼ出来上がったところで
会場にやってきた
仲井戸“Chabo”麗市さんは、
拍手をしながら室内を見回しました。
写真展「あの日の橋本くん」実現にこぎつけた
妻・おおくぼひさこさんへの称賛であり、
友・橋本治さんへの「良かったね」の拍手であり、
スタッフへの労いの拍手でした。
20歳をちょっと過ぎたころ、
イラストレーター、カメラマン、
ミュージシャンとして出会った
橋本治さんとおおくぼさんと仲井戸さん。
橋本さんが作家になる前のことでした。
仲井戸さんのバンド古井戸のジャケット写真を
おおくぼさんが撮影し、
橋本さんがデザインするといった
仕事上のつきあいは、仕事であると同時に
遊びの要素もたっぷり盛り込まれたものでした。
あるときの撮影現場は橋本さんの自宅や、
それぞれの実家のそば。
移動のドライバーを務めるのは仲井戸さん。
今回の写真集『あの日の橋本くん』は、
3人の笑い声が聞こえるような作品でもあります。
当初は、お二人に写真展会場にお越しいただき、
トークライブをしていただく予定でしたが、
昨今の状況に鑑み、
ウェブ上でお読みいただくことにしました。
おおくぼさんと仲井戸さんのトーク
「あの日の橋本くん」をどうぞお楽しみください。
仲井戸麗市(なかいどれいち)
ギタリスト、シンガーソングライター。愛称はChabo。1970年に古井戸でデビュー。79年、RCサクセションにギタリストとして加入。90年のRC サクセション無期限活動停止を気に、本格的なソロ活動を展開する。著書に『だんだんわかった』『一枚のレコードから』。対談集に、橋本治氏も参加の『ON THE ROCK』。おおくぼひさこさんとの共著絵本に『猫の時間』がある。
おおくぼひさこ
青山学院大学在学中、写真研究部に籍を置く。卒業と同時に、管洋志氏のアシスタントとなる。同年、『カメラ毎日』に作品を掲載。エディトリアル、レコードジャケットなど手掛けるようになる。1985年、自身のオフィス「プラステン」を設立。主な写真集に『THE RC SUCCESSION』『Mr. & Mrs.』『HORIZON』、橋本治氏との共著に『DARK MOON』『写真集窯変源氏』などがある。
-
設営が終わった会場入り口で、
笑顔を見せるおおくぼさん(左)と仲井戸さん。
仲井戸さんは、マスクにフードの「コロナファッション」。
photo by 山本さちこ
「いっしょにいられる何か」- ――
- 橋本治さんの思い出を語っていただいた
「橋本治を忘れない」(※)のときに
おおくぼさんと橋本さんの信頼感って
すごいと思ったのですが、
写真集をよくよく眺めていると、
画面には映っていないけれど、
ドライバーとしてそこにいた
仲井戸さんの存在が見え隠れします。
3人で過ごした時間って、
どんなものでしたか?
- 仲井戸
- ほんとは彼の方が2歳アニキなんだけど、
最初から「橋本くん」と呼ばせてもらっていました。
おおくぼさんがそう呼んでいたから。
出会ったのは、イラストレーターとしての橋本くん。
レコードのジャケット写真をおおくぼさんが撮って、
それを橋本くんがデザインしてくれて、
「合いそうだな」と感じました。 - 「いっしょにいられる何か」があった。
ぼくら3人、世の中と混ざれないような、
ちょっとズレてた感じがあった。
3人まったく同じ質感じゃないんだけど、
どこか似たものがあった。
なぜか「いっしょにやろうよ」的なものがあった。 - フィットしたんじゃないかな。
出会っちゃった、というか。
忌野清志郎に出会っちゃったのもそうだけど。
まさか作家になるなんて……- ――
- お話でも文章でも、
橋本さんは「饒舌」な印象があるのに対し、
おおくぼさんはもの静か。
仲井戸さんも言葉よりギターの方が
饒舌な印象を受けます。
3人でいるときの会話のリズムって
どんな感じでしたか?
- おおくぼ
- 私と話すときの橋本くんは、
のんびりしてましたよ。
すごくゆっくりしていた。
私が話すのは支離滅裂だけれど(笑)、
彼はそれをすごく理解してくれた。
間の部分も含めて、理解してくれた。
3人の間に流れていた時間を思い起こしながら、話をするおおくぼさん。 photo by 山本さちこ- 仲井戸
- たしかに、ものすごい勢いで話す橋本くんはいたし、
あふれるアイディアを夢中で話す橋本くんは
いたけれど、同時に、おおくぼさんが言うように
ふっと間をあけたり、そういうところもあったよね。
- おおくぼ
- そう。作家になる前に、私たちのところに
ミュージカルの原稿を持ってきたときも、
勢いよく、というのじゃなくて、
「こんなの書いちゃったんだけどー」って
300枚の原稿を、見せてくれました(笑)。
- 仲井戸
- あれは驚いたな。
大作家になった今なら何の不思議もないけど、
当時はデザイナーだから、
「何いってるの?」って感じ。
「曲の作り方教えて」って言うから、
ちょっと「音楽なめんなよ」って思ったけどね(笑)。
その後、売れっ子作家になっていったけど、
当時はイラストレーターとしてすごかったし、
まさか作家になるなんて思っていなかったよね。 - でも、大作家になっても
関係はずっと変わらなかった。
橋本くんからすれば、
それがおもしろかったのかもしれない。
「ノー」を言ったもんね、大作家に(笑)。
- ――
- なんですか、それ?
- おおくぼ
- 『Mr. & Mrs.』という写真集を出したとき、
橋本くんに帯の言葉を書いてもらったんだけど、
ちょっと違う印象がして、
書き直してもらったんです(笑)。
そしたら次はとってもいいのを
書いてくれちゃいました(笑)。
- 仲井戸
- でも、「ノー」が言えるからこそ
信頼してくれたんだと思う。
会場内の写真をひとつひとつ見てゆくおおくぼさんと仲井戸さん。
ぼくら二人のボーイフレンド- おおくぼ
- いいなぁと思った時は、
ほんとにそう思っているのが伝わるからかな。
そういえば、橋本くんがタイトルをつけてくれた写真集
『HORIZON』に寄せてくれた文章が嬉しくて、
「すばらしいです。ありがとう」と書いて
ファックスしたんです。2001年のことです。
そんなことすっかり忘れていたんだけど、
去年1月に橋本くんが亡くなったあとの
四十九日の法要のときに、妹さんが
「こんなのが出てきました……」とおっしゃって、
そのファックスをいただきました。
ずーっと持っててくれたんだ……と、驚きました。 - 亡くなったあとで文庫本が棚から落ちてきたのも
そうだけど(「橋本治を忘れない」参照 ※)、
橋本くんとは長い年月つきあってきて、
人生の随所で現れるんです、彼は……。
本当に不思議な関係。
- 仲井戸
- 橋本くんは、
ぼくら二人の「ボーイフレンド」だったのかも。
おおくぼさんの写真にぼくが文をつけた
忌野清志郎の写真集に「BOYFRIEND」という
タイトルをつけたんだけど、
清志郎も橋本くんもオレにとってのボーイフレンド。
ぼくら二人それぞれにとっての、
深い意味でのボーイフレンドだったと思う。
- ――
- その大切なボーイフレンド不在の中で、
今回、写真展を開いていただきました。
いつも、おおくぼさんの写真展で
レイアウトなどを手伝ってくれていた
橋本さん不在の写真展オープンを迎えて
どんなことを考えられますか?
- おおくぼ
- 口出ししたかっただろうなー……(笑)。
- 橋本くんはいなくなったけど、
その不在を感じないんです。
逆に、準備中ずっと写真を見ていたし、
いつも「いる」感じ。
喪失感より「いる」感じの方が強いくらいです。
どうしても「いる」という感じが抜けきらない。
どこでつながっているのか、わからないけれど。 - もちろん「さびしい」けれど、
「いる」と思う気持ちの両方があります。
だから、この写真展も
「橋本くんを偲んで」いるわけじゃない。
追悼本を作ったつもりはないんです。
ただ、「あの日の橋本くん」をまとめておきたかった。
そんな気持ちです。
- ――
- ありがとうございました。
たくさんの方に、「あの日の橋本くん」に
出会っていただきたいと思います。
※ おおくぼさんインタビュー「橋本治を忘れない」
ここは「3人」の空間でもある。photo by 山本さちこ
(おわり)