外出自粛暮らしが2ヵ月を過ぎ、
非日常と日常の境目が
あいまいになりつつあるようにも思える毎日。
でも、そんなときだからこそ、
あの人ならきっと「新しい思考・生活様式」を
身につけているにちがいない。そう思える方々がいます。
こんなときだからこそ、
さまざまな方法で知力体力を養っているであろう
ほぼ日の学校の講師の方々に聞いてみました。
新たに手にいれた生活様式は何ですか、と。
もちろん、何があろうと「変わらない」と
おっしゃる方もいるでしょう。
その場合は、状況がどうあれ揺るがないことに
深い意味があると思うのです。
いくつかの質問の中から、お好きなものを
選んで回答いただきました。

前へ目次ページへ次へ

第20回 小さな池のほとり 小さな四阿 小さな演劇 串田和美さん(俳優・演出家)

「ここにない空間」を創りだす——
ぞくぞくするような演劇の世界の凄味を、
シェイクスピア講座のワークショップで
味わわせてくださった串田和美さん。
舞台を休止せざるを得ない日々を
どう過ごされているのか、お尋ねしました。
戻ってきたお返事は、休止どころか、
その中から、演劇の原点に戻って
また新たな発見をされた瑞々しい生活。
新しい舞台が生まれる瞬間に、
立ち会うような感覚を味わえる
珠玉のエッセイをお楽しみください。


あがたの森での公演。薄暗くなったところで、
たったひとつの照明となるランプを点灯。

●リアリティのない「おとぎ話」

なるべくひと気のないところをひたすら歩き回る。
自転車に乗って目的地もなくただ走り回る。
対象の曖昧な怒りのような感覚。
解きようのない理不尽な謎解きに似た苛立ち。
薄川沿いの気持ちの良い風や、里山辺の畦道の陽射し、
林の中の木洩れ陽にからかわれ、
苦笑して鼻歌を歌いながら気を取り戻す。

今年2月、私が主宰する、松本を拠点とした
劇団TCアルプの公演『Jam!』は無事に終了したが、
いよいよコロナウィルスのパンデミックが
切実な事態となり、3月に入ると
和田誠さんの「お別れの会」が中止になり、
人々が密集して集まることを懸念するようになる。

それでも、演劇工場生と公募した若い役者たちや学生との
合同特別ワークショップを敢行することができた。
途中何度か中止するべきか議論しながら、
なんとか月末の身内だけの発表会を終了。

題材は中世イタリアのコメディアデラルテの作家
カルロ・ゴッツィの『トゥーランドット』。
オペラにもなっているこの古いおとぎ話のような物語が、
演出によっては、かえって新しいリアリティを持った
作品になるかもしれないなあと思えてきた。
だって、今この世はまるで、リアリティのない
おとぎ話の中にいるようじゃないか。

「自然界に対し人間たちはあまりに
傍若無人に振る舞うので、怒った神様は
人間の手に負えない病気を世界中に撒き散らしました。
その病気は、他の恐ろしい病気ほど
致死率が高いわけではないのですが、
誰が感染しているのかよくわからないのです。
感染していても全く症状が出ない人もいます。
でもその人は、無自覚に自分の感染した菌を
他の誰かに感染させてしまうのです。
どこに菌を撒き散らす人がいるかわからない。
それどころか、ひょっとして犯人は
自分かもしれないのです。人々は戦々恐々として、
人に会うことを避けるようになりました。
大勢の人々が集まるなど
とんでもないことだと考えたのです。

ところが、そもそも人間は、この大自然界の中で
それほど強い生き物ではありませんでしたが、
みんなが寄り集まって知恵を出し合い、
励ましあって君臨してきたので、
その寄り添うことを禁止したり自粛してしまっては
全く力のない生き物になってしまったのでした」

これは、なんの面白みもない不愉快なおとぎ話だ。
3月から4月にかけて東京中の、
さらに全国の演劇公演が次々と中止になり、
稽古中の公演も、その先に予定していた公演も
中止になった。もちろん演劇だけではなく、
コンサートもライヴイベントも、スポーツ観戦も、
そしてとうとう、飲食店も
自粛休業をせざるを得なくなった。
私はそのことに強い違和感を感じながら、
それでもそうせざるを得ない今の状況を
理解し、納得しようと努力した。
しかし、どうしても腑に落ちない、
理屈では解決できない想いが付きまとって離れない。

●なんだか、どうしても腑に落ちない

自分には受け入れがたいことでも、
冷静によく考え、理解することは大切だと思っている。
さらに、その考えに従うべきだと
納得することもできるだろう。
けれど、どうしても腑に落ちないという、
なんとも説明できない感情なのか感慨なのかが
つきまとうのだ。例えば俳優が演技をするときに、
その役の人物の背景やその場の状況を一生懸命
分析し、理解し、それを演じる喜びを想像し、
納得する。しかしそれだけで演じると、どうしても
観念的な演技になる。たとえ上手い演技であっても。
人間は、ほとんどの人が自分のことを
ちゃんと理解していないし、
多分あまり納得なんかしていないのだから。

でも“腑に落ちる”という、ある感覚をつかむと
もう何も説明などいらなくなる。
いや、今私は、“腑に落ちる”という
ある種の感覚を説明しようとして、
かえって話を解りにくくしたかもしれない。

要するに、私にはこのコロナパンデミックと
その社会的対処や人々の思い込みに従うことに対し、
なんだか、どうしても腑に落ちないのだ。
だからといって、赤ん坊のように
駄々をこねる訳にもいかないこともわかっている。

この騒動はどのくらい続いて、いつ頃治るのか、
確かなことは誰にもわからない。
もうしばらく辛抱すれば、ふっと治るのかもしれない。
いやひょっとして、またぶり返して
第二波が襲ってくるのかもしれない。
そうこうしているうちに、
人々の感覚や感性が、自分の想像できないものに
変わってしまっているかもしれない。

長い人生のほとんどを費やしてきた演劇の感覚が、
すっかり変わってしまうかもしれない。
それは良いことなのか、
それとも恐ろしいことなのか想像できない。

●演劇そのものをしながら生きる

私は空気を吸ってご飯を食べるように、
演劇そのものをしながら生きるしか、
生きかたを知らない。
もうそのぐらい長い年月、演劇をし、
演劇を通して社会と関わり、未来を見つめてきた。
その感覚は、どうも若い俳優たちと共有するのは
難しいようだということもわかってきた。

私は4月も5月も空想の演劇プランを立て、
ときには一人で興奮したり、
悦にいったりしたこともあったが、現実の演劇は
決してそんなものではないということも
よくわかっているので、不意に絶望し、
人影のほとんどないゴールデンウィークの松本の街中や、
郊外の畑の辺りを無闇に自転車で走り回ったりしていた。

●幻想の拍手が聞こえた

その松本の一角に、
旧制松本高校の古い校舎や講堂が保存され
活用されている「あがたの森公園」というところがあり、
大きな芝生広場があったり、小さな丘や
子供の遊び場のようなものがある。
その中央にこれも小さな池があり、
ほとりに 四阿 あずまや がある。
その辺りはしょっちゅう散歩をしているのだが、
ある日の薄暗くなりかけた夕方、
四阿のベンチに腰掛け池を眺めながら、
ぼんやり芝居のことを考えていた。
すると突然その四阿が小さな演劇空間に思えた。


「舞台」から「客席」はこんな風に見える。

それまで気付かなかったが、そこは普通の四阿のように
真ん中に木のテーブルがあり、
四方を木の長椅子が囲んでいるのではなく、
正面に三、四人腰掛けられる背のない長椅子が二列、
その両脇に同じ大きさのベンチが二列ずつ、
ハの字に開いて置いてある。
中央と一角は何もない石畳の小さな空間で、
六つのベンチは、その空間を眺めるように
設置されている。私は思わずその空間に立って、
ベンチに向かって頭を下げた。
幻想の拍手が聞こえた。

ここで一人で芝居をしてみようと発想し、
自分でそのことに驚き、
果たしてそんな事ができるのだろうかと思いあぐね、
家に戻り二、三日迷ったが、
取り返しのつかないところに自分を追い込まないと
きっと日和って後で後悔すると思い、
世間に向かって宣言することにした。
そしてフェイスブックにこう載せてしまった。

「松本に居るみなさん 突然ですが
ひとり芝居をやってみようと思い立ちました。
場所は、あがたの森公園中央池の小さな四阿。
6月3日〜5日。時間は18時頃から多分19時過ぎ、
暗くなって見えなくなったら終わり。
出し物は『月夜のファウスト』独り芝居バージョン。
風通しはやたら良い! 定員は15人くらいかなあ。
密接するわけにはいきませんので。
この公演は僕ひとりでやる
全くのプライベート企画なので、
覗いてみようという方は
このFacebookまでご連絡ください。
大勢集まるとご迷惑をおかけしますし、
誰もこないと寂しいので。
と、こう宣言してしまったので、
もうやめる訳にはいきません。あと一週間!
必死に稽古します!」


Facebookに掲載するために、串田さんがサラサラと
数分で手描きした「チラシ代わり」のイラスト。

●何もかも、一人で

ここまで来て、
これは結構危険な冒険かもしれないと身震いし、
なんて無茶なことを宣言してしまったのだと
案の定後悔もしたが、何より他の人、
とりわけ自分が芸術監督を務めている
市立の「まつもと市民芸術館」に
迷惑がかかるようなことはできないと思ったので、
まず公園の管理事務所に行き、
市役所の公園課に行って手続きをし、
何もかも自分一人で進めた。

出し物の『月夜のファウスト』の内容を書き出すと
長くなるので省略するが、
ゲーテのファウストよりずっと前の
民衆本や人形劇にもなった中世の
実在したかもしれない錬金術師ファウスト博士の
怪しげな伝記を元に自分で脚色した台本。
これまで様々な形で公演したものを、
独り芝居に急遽書き直したのだ。
太鼓とハーモニカを使い、何役かを演じ、語る。

果たして、この告知の反応は驚くほど多く、
来場を制限するのに苦労するほどで、
結局3回の公演をそれぞれ40 人くらいずつ
観てくれたことになった。
そして観に来られなかった市外県外、
東京の方々のツイッターやフェイスブックの、
これまでにないほどの反応にも驚いた。


午後6時、四阿の屋根の下でお芝居がはじまる。

彼らは鋭い想像力で、
観ることのできなかった幻の芝居、
噂だけの小さな池のほとりの、
とっても小さな演劇を幻視し、
想いを膨らませてくれた。
そのことに今私は身震いし、感動し、
心から感謝している。


池に映るお客様の姿、池の鯉が跳ねる音、鳥の声、
犬の鳴き声、木の葉のそよぎ、子供たちの声……
すべてが舞台を包んだ。

●迂闊にも想いを巡らせている

私はこの企画公演から、
なんと多くのことを学ぶこと、
新たな発想を見つけることができただろう。

これからの、コロナ後の人々の営みのあり方、
演劇のあり方、科学的なものと芸術文化の関係、
論理的な感性と感覚的感性。
苦しむ他者への思いやりの持ち方、
絶対的な絶望の彼方の希望について、
また迂闊にも想いを巡らせている。

今夜、もう跡形も無くなったあの劇場、
あがたの森公園の小さな池のほとりの四阿に行って、
あの木のベンチに向かって頭を下げよう。

プロフィール

俳優、演出家、舞台美術家。1942年東京生まれ。1966年、劇団自由劇場を結成(後にオンシアター自由劇場と改名)。1985~96年までBunkamuraシアターコクーン初代芸術監督を務め、「上海バンスキング」「もっと泣いてよフラッパー」などレパートリー制の導入、コクーン歌舞伎など様々な企画を築く。2003年4月、まつもと市民芸術館芸術監督に就任し現在に到る。歌舞伎、サーカス、現代劇を、劇空間ごと既成概念にとらわれない手法でつくりあげ続けている。

連載「私の『新しき生活様式』」はこれで終了です。
ご愛読、ありがとうございました。

(おわり)

2020-06-10-WED

前へ目次ページへ次へ