贈りものについて考える
「ほぼ日の贈りものマルシェ」では、
2024年4月、母の日・父の日について
アンケートを実施しました。

たくさんのご参加をいただき、
ありがとうございました!

今回から3回に分けて、
母の日についてみなさんからいただいた
回答をご紹介します。

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回答編02

 
昨日に続き、「母の日・父の日アンケート」の
母の日について寄せられた回答の中から、
みなさんの心に残るエピソードをご紹介します。
おもしろかったり、しんみりしたり。
ゆっくりおたのしみください。

お小遣いが100円だった小学校1年生の頃、
母の日にはカーネーションを贈るものだと
知ったけれども、自分のお小遣いでは買えず、
友達とお小遣いを合わせて買って、
代わりばんこにそれぞれの母親に
見せた記憶があります。
その花が最終的に誰の家に行ったのかは
覚えていません。
(tama)

母の日はカステラを贈ります。
何年か前
「お母さん具合悪くって、お父さんに、
大好きなカステラなら食べられそうだから
買ってきてって頼んだのよ。
そしたらスーパーの安いの買ってきて、
もう頭に来て。」

と聞かされるまで、
母がカステラ好きだとは知りませんでした。
それから母の日は
ちょっとお高めなカステラを贈っています。
金婚式も過ぎてそんなこと言われちゃったお父さん、
可哀想だな。
(うらら)

中学生くらい? の時に
カーネーションの刺繍をした巾着袋を作って
母にプレゼントしました。
母は手芸とかとても得意で、
私達三姉妹の手提げや上靴入れを全て手作りし
刺繍やアップリケで飾ってくれていて、
私のヘタッピな刺繍入り巾着なんて
今思えば誰に渡してるねんなんですが、
なんかすごく喜んでくれたことがありました。
うれしかった。
(えびすき)

母は、私が母の日にプレゼントした
傘の持ち手の部分を、
バス停で知らないマダムに褒められたことが
嬉しかったようで、
母の日になると必ずその話をします。
(ジョデイ)

結婚して初めての母の日、
義母にカタログギフトのカーネーションを贈りました。
届いたカーネーションは満開だったそうで、
届いてすぐに見頃が終わってしまい、
あまり楽しめなかったとのことでした。
義母はお花が大好きな人なので、
喜んでもらえるかな~と思い選びましたが、
「もらえるならお花屋さん専用のギフト券の方が嬉しい」
と言われ、翌年からは毎年、ギフト券を贈っています。
言われた時は少しショックでしたが、
今は、義母の好きな花を
好きな時に飾って楽しんでもらえている、と
私も楽しみな気持ちでいます。
毎年深く悩まずに済むし、
言ってもらえて本当に助かりました!
(ちょこ)

離れて暮らしている母には毎月会いに行っていたのに、
母の日の特別なプレゼントをしたことがなかった。
どうしてだったのか、母を見送った今頃考えています。
行くととても喜んでくれたので
それだけでよかったのかな。
(マサヒメ)

ネイビーのスニーカーを贈りました。
幅広の足にも適応するメーカーであったため、
ぴったりサイズで、毎日履いているそうです。
腰のリハビリに通っていて、
同世代の多くの人がスニーカーを履いているのを見て、
自分も欲しかったらしく、喜んでもらえました。
(まど香)

学生の頃は毎年プレゼントとお手紙を渡して、
家族でご飯を食べに行くのが恒例でした。
毎日ご飯を作ってくれているので、
母の日は必ず父が家族みんなを
ご飯に連れて行ってくれていました。
(tipami)

小学生のころ。
初めて母の日にカーネーションを贈ろうと
こっそり貯金箱から出した100円玉3枚を握りしてめて
近所の花屋さんへ。
駄菓子屋やスーパー以外で一人での買い物は
これが初めてだったかもしれません。
どうしたら良いかわからず、もじもじしていると、
花屋のお兄さんがどれにする? と声をかけてくれて、
掌の中の100円玉を見せると、
「こっちのカーネーションなら1本、
こっちなら2本買えるよ」と教えてくれました。
「じゃあこっちの」と150円のカーネーション2本に
リボンをかけてもらって帰りました。
優しくしてくれたお兄さんのことが忘れられず、
しばらくの間は用もないのにその花屋さんの前を学校の帰り道に遠回りして通っていました。
(うさ)

離れて暮らす母に、手紙を送った。
大学生になり一人暮らしを始めて、
家事の大変さを感じたり
家族がそばにいることの温かさを
感じることができたので,
いつもより想いを込めた文章になってしまった。
ほんとならハンドクリームとか、ティーパックとか
リラックスするものが良いかなぁと思ったけど、
普段欲しいものを滅多に口にしない母だったから、
お手紙になった。
(あおい)

幼稚園の母の日の会で、
お母さんにプレゼントを作って送ろう
という企画があったのですが、
原色の画用紙でできたお花と、
カラフルなストローを切ったものを紐に通して
ネックレスにして渡す、というものでした。
できあがったネックレスは、
かわいげのない子どもだった私には
全然素敵なものには見えず、
こんなのあげても母は喜ばないだろうなぁと、
すごくムスッと渡したことを覚えています。
もっとマシなものを
作らせて欲しかったんだと思いますが、
当時はそんな風に言葉にできませんでした。
自分が母になってみて、
あんなのでも嬉しいんだよって、
あの時の自分に伝えてあげたい気がします。
(北国あひる)

 
明日に続きます。
おたのしみに。

2024-05-02-THU

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