脳研究者の池谷裕二さんと糸井重里が、
教育というテーマを入口に、
ほぼ日の生放送で語り合いました。
その内容をテキストで公開いたします。
そもそもの脳のしくみ、
人が出会うことのおもしろさまで、
話題は予想外の方向に連鎖していきます。
脳も人も同じように、
孤独とつながりを行き来しています。
ふたりのやわらかく広がっていくおしゃべり、
全4回です。どうぞ。
*
この内容は後日「ほぼ日の學校」で
動画で公開いたします。
池谷 裕二(いけがや ゆうじ)
1970年生まれ、静岡県出身。
東京大学薬学部教授。薬学博士。
ERATO脳AI融合プロジェクト代表。
研究分野は脳の神経回路に内在する
「可塑性」のメカニズム解明。
2013年日本学術振興会賞および
日本学士院学術奨励賞、
2015年塚原仲晃記念賞、2017年江橋節郎賞。
第1回
成長がうれしい。
- 池谷
- 本日は、よろしくお願いします。
- 糸井
- 久しぶりで、うれしいです。
ちょっと会わない間に
お互いに変化したと思うんですけど、
脳の研究の分野だと、
「見ない間に様子が変わってる」なんてことは
ザラにあるわけですよね。
- 池谷
- 「いつの間にこんな新しい技術や発見があったの?」
なんてことはしょっちゅうで、
オチオチしてられないと同時に、
ワクワク感があります。
コロナも経て、やっぱりサイエンスは、
自分も変化し続けなきゃいけない分野なんだと
改めて思います。
- 糸井
- ネガティブに言えば、
コロナの影響で
知識を吸収して変化する機会を
失ってしまった人もいますよね。
それはけっこう大きな問題だと思います。
僕は20年以上、
同じ歯医者さんに通っているんですが、
この歯医者さんは
いつも変化している人なんですよ。
- 池谷
- 本当に優れた人って、
自分の技術へのこだわりすら
捨てられるんですよね。
- 糸井
- そうなんです。
自分の腕を自慢するんじゃなくて、
科学や治療、患者のよりよい暮らしに
貢献しようという気持ちがいつもあって。
- 池谷
- そうかぁ。
自分の背丈がよくわかってる人ほど、
足りないものを吸収して
成長し続けるものかもしれない。
- 糸井
- それは、
池谷さんにも当てはまるんじゃないですか。
- 池谷
- 自分に対しては、やっぱり過信できないです。
脳の研究をしていると、特にそうなります。
脳はけっこういい加減なものですし、
自分の脳ももれなくそうなってるはずだから。
- 糸井
- そうか(笑)。
若いときは「勝ち負けにこだわる」みたいな
ちょっと単純な脳も持っているものですよね。
ネット社会では、
それぞれの取り巻きが
勝ち負けを決めようとするようなこともある。
- 池谷
- ありますね。
- 糸井
- 周りを煽って妙なところに向かわせないためにも、
自分が知りたいことや
やりたいことが「まだたくさんある」という
余白を作らなきゃいけないと思っています。
そう考えたときに
真っ先に思い出したのが、
池谷さんのおっしゃる
「可塑性(かそせい)」という言葉でした。
- 池谷
- 「可塑性」、まさにそうですよね。
何歳になっても脳は、
新たな試みを展開し、つながりを生もうとします。
- 糸井
- ぼくらの脳は
「可塑性」を持っています。
だから変わっていくし、もっと大きくもなる。
- 池谷
- 脳って、いくらでも好きなように変えられるんですが、
「好きなように」というところが大切で、
ただ可塑性の能力を抱えているだけだと
何ができるのか、よく分からないんです。
そこに「楽しい!」みたいな気持ちがあると、
練りがいが出てきます。
ですから、自分の研究分野にいる学生に対しては、
「楽しむ」ということが
「可塑性」を花開かせる
いちばんいい方法だと信じて、話をしています。
今日はちょうど
「子育てと教育」というテーマで
企画をいただきましたが、
大学では、ず~っと教育はしてるんですよ。
赤ちゃんを育てるのとは
まったく違うんだけど、でも、
違うベクトルを向いているかっていうと、
そんなことはない気がします。
どちらも人対人ですから。
- 糸井
- 教育や子育ては、
人生に自然と関わってくるものだから、
それにまつわる疑問は消えることがないですね。
- 池谷
- どう育てたらいいのか、
子供からの疑問にどう答えようかという
ダイレクトな疑問もあるんですけど、
「そもそも『教育』って何だろう?」みたいな、
メタな疑問も生まれてきます。
おそらく、そういう疑問を持つこと自体が
自分を変化させていくものなのでしょう。
- 糸井
- 軸にあるのはやっぱり「可塑性」ですね。
「可塑性」は「変える」という意志次第で
発揮されたり、されなかったりします。
とすると、子供と接するうちに
「ここでこうしてあげたら喜ぶかな?」だとか、
絶えず応用問題が出てきますよね。
- 池谷
- その応用問題がまた、楽しくもあり、
けっこう難しいのです。
最適な解だと思っていた自分の対応が、
長期的に見たときに
「これでよかったのかな」となることも
出てきます。
ここからはどうしても抜け出せないですね。
- 糸井
- 試行錯誤は永遠に続くとしても、
ここ数年で、教育の大きな変化は
いくつかあったような気がしています。
例えば、昔は、
個人が「社会に合わせる」のが主流でした。
しかしいまぼくの孫が受けている教育を見ていると、
「社会に適合しなさい」という教えが
重視されてないんです。
「個としての子ども」が自然にやっちゃうことがある、
ということを前提にしながら、
周囲がそれに合わせよう、と
判断されている気がして。
- 池谷
- ああ、そうなんですよね。
ぼくたち以降の世代、
その環境で育ってきた若者たちが、
基本的に「いい子」「いい人」になってるのは
事実です。
- 糸井
- 価値観がバラバラの状態で、
おんなじ年の子たちがいることが
許されてる状態なんです。
お遊戯でも、踊りたい子は踊ってるんだけど、
そうじゃない子はただ立っていますし‥‥。
- 池谷
- それも個性なんですよね。
- 糸井
- 面白いのは、
それなのにだんだんと、
「できる側の表現に寄っていったほうが楽しい」と
いつのまにかとらえて、
子どもなりに判断して上達していくということです。
ネガティブな言い方をすると、それは
「同調圧力」なんだけど。
- 池谷
- 不思議ですよね。
でも、それの根底にあるものって、
よ~くよく考えてみたら
「成長するのが嬉しい気持ち」なんですよね。
- 糸井
- あぁ、なるほど、そうですね。
先にルールがあって
それに合わせてやっていたのが
これまでの教育だとすると、
今はそれこそ「可塑性」の塊を
バンと置いておけば
子どもが自分たちでうまく回していく、
ということなんでしょう。
- 池谷
- しかも、そのほうが能力も高くなるんです。
だから今は学生たちに
教えることも少なくなっていて、
「自由に走らせておけば、
自律的にうまく走ってくれる感じ」
があると思います。
そのまま「わが子」にも
同じ方法でうまくいくかっていうと、
また別問題ではあるんですけど(笑)。
- 糸井
- そうですね(笑)。
でもそう考えると、
「体系」という道具を使って進化していく、
という発想自体が工業社会的だった、
ということになるのでしょうか。
- 池谷
- 制御しようとしますからね。
- 糸井
- それよりも、元々持っている
「向上したい」気分だとか、
「覚えるのが嬉しい」という気持ちだとかを
教えるほうが必要になってくるんですね。
- 池谷
- 個別の知識を教え込むよりは、
本人たちが体系そのものをつくれるような「場」を
つくらないといけないのかもしれない。
- 糸井
- ああ、それができたら、最高ですよね。
(明日につづきます)
2023-02-08-WED