前橋ブックフェスが近づくなかで、
本にまつわる個人的なことを、
ほぼ日の永田泰大が書きました。
思い出しながらじっくり綴ったのは、
本が好きな親戚のおじさんのこと。
すこし長いですがどうぞお読みください。

  • 子どものころからあこがれていた
    おじさんとその本の思い出。

    前橋で、「前橋ブックフェス」という
    本のイベントが開催される。
    みんなで本を持ち寄る、前例のないイベントだ。
    ここ数ヶ月関わっているうちに、
    本のことをいろいろ考えるようになり、
    いろんな偶然も重なって、
    ひとつ、書いてみたいことができた。

    とても個人的なことになるけど書いてみる。
    なにしろ、ぼくの伯父さんのことだから、
    どうしても個人的な話になってしまうことを
    あらかじめお断りしておきます。

    誰にでも、ひとりくらいは、
    親戚のなかに好きな伯父さんや叔母さんが
    いるんじゃないかと思う。
    親戚の集まりなんて、
    子どもからすると面倒なだけだけど、
    なんだかこの人はおもしろいな、というような。

    ぼくにとってはそれが順二郎おじさんだった。

    順二郎おじさんは父方の伯父である。
    8人兄弟の次男で、
    親戚の伯父さんや伯母さんたちに、
    なにかと頼りにされていた印象がある。

    佐賀の本家に親戚が集まると、
    うちの父を筆頭にみんなお酒を飲んで
    陽気にしゃべりまくるのだけれど、
    順二郎おじさんはほどほどに飲んで、
    ときどきぼそっと短くおもしろいことを言う感じだった。
    色白で、お酒を飲むとすぐに赤くなった。

    子どものころからぼくはずっと
    順二郎おじさんのことをかっこいいなと思っていた。
    いろんな物事をよく知っていたり、
    トランプやゲームが強かったりという、
    内面的なかっこよさもあったけれど、
    順二郎おじさんは見た目もかっこよかった。

    「あの人は昔からもてたんだよ」
    とほかの伯父さんたちがよく言っていた。
    ハンサムだったし、公立高校を出たあとに
    現役で九州大学の工学部に入ったというから、
    そりゃあ、まあ、もてただろう。

    順二郎おじさんの父、
    つまりぼくのおじいさんは、
    昭和19年に戦死している。
    8人の兄弟は、祖母が文字通り女手ひとつで育てた。
    当時、13歳だった順二郎おじさんは、
    おそらく弟や妹たちにとっての
    父親代わりを務めたのだろうと思う。

    そういうこともあってか、
    順二郎おじさんは親戚のなかでも
    立ち振舞がもっとも穏やかで落ち着いていた。
    九州特有の自分語りする伯父さんが多いなかで、
    順二郎おじさんはいつも集まった兄弟たちを
    ひと回り外側から静かに眺めていた。

    そして、順二郎おじさんは、
    8人兄弟のなかでただひとり独身だった。
    お見合いが盛んだった時代にそれはけっこう
    めずらしいことだったんじゃないかと思う。

    親戚の集まりのなかでそれはしばしば話の種になり、
    酔っ払った伯父さんのうちの誰かがかならず
    「昔は順二郎兄貴が一番もてたっちゃけどねー」
    などと言い出すのがいつものパターンだった。
    順二郎おじさんはそれをとくに肯定も否定もせず、
    ただにこにこと微笑みながらお酒を飲んでいた。

    こうして書きながら思うのだけれど、
    ぼくの価値観のなかに、
    順二郎おじさんのそういう在り方というのは、
    けっこうはっきりと影響を及ぼしている。
    わかりやすくいえば、
    ぼくは順二郎おじさんにあこがれていたのだ。

    あこがれとは、その人を見ることだ。
    見た方向へ、人は進む。
    順二郎おじさんをかっこいいなと感じるぼくは、
    そういう人でありたいなと思い、
    自分のかっこよさの指針のひとつに
    してきたのだろうと思う。

    いま、書きながらぼくは、
    そうか、そうだったのかと思っている。

    さて、ぼくが順二郎おじさんと会うのは、
    たいてい夏休みかお正月の休みに
    両親とともに帰省するときで、
    場所はかならず佐賀の本家だったが、
    順二郎おじさんは佐賀に住んでいたわけではない。

    おじさんの職業は高校の理数系の教師で、
    ふだんは神奈川や東京の学校で教えていた。
    ぼくが十代の頃、順二郎おじさんの住まいは東京にあった。

    ぼくはその家に一度だけ行ったことがある。
    ずいぶん昔のことだから記憶がおぼろげだけれど、
    たしか2泊したと思う。

    ぼくの父親は転勤が多く、
    幼稚園のころからぼくは転園や転校をくり返した。
    中学と高校をぼくは広島で過ごした。
    大学を受験するにあたり、
    将来に具体的な目標などとくになかったが、
    なにしろ東京に出たいとぼくは思っていた。

    そして高3の冬、東京の大学を受験するとき、
    ぼくは順二郎おじさんの家に泊めてもらった。
    そのころ東京の知識が皆無だったぼくは、
    おじさんの家がどこにあったのか特定できない。
    どこかの私鉄の沿線だったような気がする。

    まだらになっている当時の記憶のなかで、
    強烈に覚えているのはおじさんの家のことだ。
    びっくりしたのは、その家にテレビがなかったことだった。

    スマホやPCやインターネットが
    当たり前にあるいまなら
    とくにめずらしいことではないと思うが、
    1980年代の終盤にテレビは文化の中心だった。
    ぜんぶの情報はテレビからもたらされ、
    ニュースも娯楽も教育も名作も、
    テレビから受け取る以外になかった。
    テレビがないというのは、
    ぼくにとってちょっとよくわからないことだった。

    それだけではなく、おじさんの家には、
    家電らしきものもほとんどなかった。
    調理器具もなかったような気がする。
    それどころかふつうの照明器具もなかった。

    いまも一枚の写真のように
    その順二郎おじさんの部屋の光景を
    はっきりと頭の中に再現することができる。
    生活の中心となる畳敷きの広い部屋の真ん中には、
    裸電球がひとつ、ぶらさがっていた。
    あの、漫画に出てくるような、
    電球のソケットの横のスイッチを
    カチッとひねって点けるような裸電球だ。

    裸電球の真下には畳んだ布団がある。
    たぶん、ぼくの布団もそこに並んで敷かれたと思う。
    裸電球のオレンジ色の光に照らされる、畳と布団。

    そしてその風景にはもうひとつ重要な要素がある。
    布団を囲むように積み上げられた、大量の本である。

    本棚はなく、本は表紙を上にして
    うず高く積み上げられていた。
    文庫本や新書もあったが、
    ハードカバーや古書といった
    しっかりとした本が多かったように思う。
    それが、壁際から部屋の中央にかけて、
    畳も見えないほどぎっしりと置かれていた。

    天井から裸電球、部屋の真ん中には布団、
    そしてその周囲に積まれた、
    大量の本、本、本。
    あこがれの東京に住む
    あこがれの伯父さんの家を訪ねるにあたり、
    大学受験とはいえ多少はわくわくしていたぼくにとって、
    それはかなりのギャップだった。

    けれどもそれでぼくが落胆したり、
    順二郎おじさんの印象を悪くしたかというと逆で、
    なんだかまだまだ世界には知らないことが
    たくさんあるんだなというふうに
    ぼくは気持ちよく途方に暮れた。
    それで、その環境について
    おじさんにとくに聞かなかったし、
    ぼくらは当たり前のように二日間を過ごした。

    滞在中のことでもうひとつ憶えている場面がある。
    述べたようにその部屋には生活感というものがほぼなく、
    夕食はというと、おじさんに連れられて外に食べに行った。

    二日とも同じ店だった。
    それは線路のそばにある古いお寿司屋さんで、
    順二郎おじさんはその店の常連どころか、
    ほとんど毎晩そこで食べているのではないかとぼくは感じた。

    ぼくはおじさんと並んでカウンターに座り、
    お店の大将とおじさんが親しくしゃべるのを
    聞きながらお寿司を食べた。
    お寿司は、なんだか、やたらにうまかった。
    思えば当時の高校生が知っているお寿司なんて、
    スーパーのお寿司コーナーとか
    チェーン店の握り寿司のセットくらいのもので、
    ちゃんと握られたお寿司をお店で食べるのなんて
    ほとんどはじめての経験だったと思う。

    順二郎おじさんは出されたお寿司を食べるとき、
    箸でお寿司をつまんでころんと横向きに倒してしまう。
    そして横になった状態のお寿司を箸でつまみ、
    ネタの部分にだけちょんと醤油をつけてぱくっと食べる。

    行儀がいいのか悪いのか知らないが、
    なにしろそれがかっこよく見えたため、
    ぼくはいまでもお寿司を食べるときは
    箸で握りを一度ころんと横に倒してから食べる。

    それもこうして書きながら気づくのだけれど、
    あの二晩の夕食がその後もずっと続く
    ぼくの習慣をひとつ決定づけてしまったのだ。
    おもしろいなぁ。

    その後、ぼくは東京の大学生になったのだが、
    順二郎おじさんの家を訪ねることはなかった。
    理由はシンプルで、地方から上京した大学生にとっては、
    ほかに優先すべきたのしいことが多すぎたのだ。

    そしてぼくはそのまま東京で就職し、
    結婚し、家族ができ、生活するようになる。
    お正月に佐賀に帰ることもあったけれど、
    まったく帰らない年もめずらしくなかった。

    一方、順二郎おじさんは退職したあと、
    東京でも佐賀でもなく、福岡に移った。

    おじさんは、お盆とお正月は本家で過ごしたから、
    ぼくが家族を連れてたまに帰省すると、
    昔と同じようにすこし赤い顔で静かにそこにいた。
    順二郎おじさんはいつも変わらなかった。
    きっと向こうからするとぼくは
    どんどん変わっていったのだろうと思うけれど、
    順二郎おじさんはいつも順二郎おじさんだった。

    数年に一度、本家の居間で顔を合わせると、
    すこし頬を赤くしたおじさんが、
    いくつになったかねといつものように聞いて、
    ぼくは年齢や、会社のことや、
    自分の子どもの学年などを答える。
    いつもだいたいそんなふうに
    同じようなやり取りをくり返していた。

    昔泊めてもらった本だらけのあの部屋について、
    もっと突っ込んで聞いておけばよかったなと思う。

    順二郎おじさんが亡くなった、
    という知らせが届いたのは、
    今年の8月の終わりのことだ。

    今年のお盆はいつごろ佐賀に来る予定なのか、
    本家の叔母さんが電話で聞こうとしたところ、
    何度かけても出ないことからそれがわかった。

    事件でも自死でもなく、
    眠ったままの姿で亡くなっていたそうだ。
    91歳。
    大きな病気を患うこともなく、
    誰かに迷惑をかけるでもなく、
    順二郎おじさんはひとりで逝った。
    とても彼らしい、とぼくは思った。

    お葬式に行きたかったが、
    そのころは新型コロナウィルスの感染者が多く、
    佐賀の両親もいまは来なくていいと言った。
    いつかきちんとお墓参りに行こうとぼくは思った。

    それで、ひとまずお香典を送ることにして、
    その段取りを相談していたときに、
    母親が電話口でこんなことを言ったのだ。

    「順二郎おじさんの本をね、
    どうしようかと思っているのよ」

    聞いた瞬間に、あの風景が浮かんだ。
    裸電球に照らされた、あの本の山。

    「売るか、処分するかなんだろうけど、
    なんだかそれもねぇ‥‥
    本が大好きな人だったから」

    順二郎おじさんは、退職したあと、
    兄弟たちのいる佐賀に住む予定もあったという。
    けれども、大きな本屋がそばにない、
    ということはおじさんにとって切実な問題だった。
    それで順二郎おじさんは福岡に引っ越し、
    その街に住みはじめてからは、
    大きな本屋と図書館を行き来しながら
    気ままに過ごしていたそうだ。

    たぶん、亡くなったその部屋には、
    順二郎おじさんの愛したたくさんの本が
    残されたのだろうとぼくは思った。

    親戚の誰もが順二郎おじさんの
    そういう生き方を知っていたから、
    残された本をどうしようかと気にしていた。
    お墓の場所や、葬儀の形式よりも、
    「順二郎おじさんの本をどうしようか?」と。

    それを聞いた瞬間に、
    ぼくのいくつかの思いは勝手に結びついて
    具体的な提案になって自然と口から出ていた。

    必然性のあるものごとは、
    それどうしが勝手に引き合うのだと思う。
    それを、縁とか、めぐり合わせとか、
    アイディアとか呼ぶのだろう。

    「じつは今度、前橋で、
    本のイベントをすることになっていて」
    とぼくは言った。

    あり得ないことだけれど、
    なんだかぜんぶ順二郎おじさんが
    見越したことだったのではないかとぼくは感じた。

    本棚で眠っているような本を全国から集めて、
    そこに来た人たちが自由に持っていく、
    というようなイベントなんだよとぼくは説明した。
    それはほんとうに冗談みたいに
    残されたおじさんの本にうってつけの機会で、
    しかも開催が数ヵ月後だというタイミングのよさもあって、
    ぼくは自分がその場で適当なでまかせを
    言ってるような気まずささえ感じたくらいだ。

    だって、ねえ、順二郎おじさん、
    そんなことってありますか?

    そして、ぼくがその説明をしながら考えていたのは、
    その本を自分が運んだほうが
    いいのではないかということだった。

    なにしろ、きっと量がある。
    百冊や二百冊ではないだろう。
    たくさんの本を前橋に送るとしたら、
    誰かが一気に運んじゃうのがいちばんなんじゃないか。

    さいわいというかなんというか、
    ぼくは東日本大震災のあとに
    ハイエースにいろんなものを詰め込んで
    全国のあちこちに運んだ経験がある。
    九州にも3回ほど行ったことがある。

    実際、本は何冊くらいあるのかとぼくは尋ねた。
    母親は、見当もつかない、と言った。
    まあ、そうだろうなあと思う。
    近々、母親は順二郎おじさんの部屋に行くと言うから、
    そのときに写真を撮って送ってもらうことにした。

    ダンボール10個くらいで済むなら、
    さっと送ってもらったほうがいいかもしれない。
    でも、たぶん、そんなもんじゃないだろうなあ、
    とぼくは思った。
    なにしろぼくは順二郎おじさんの家に
    泊まったことがあるのだ。

    後日、母親が撮影を頼んだ人からメールで、
    おじさんの部屋に残された本の写真が送られてきた。

    ああ、やっぱり、と、ぼくはすこしうれしくなった。
    順二郎おじさんの部屋だ、と実感したら、
    妙にリアルな悲しみがずいぶん遅れて
    身体の芯から湧き上がってきた。
    おじさんはここにいたのだ、とぼくは思った。

    写真を拡大しながら数えたところ、
    2千冊くらいはありそうだった。
    ハイエースの積載量を調べると、
    小さいダンボールが100個くらい詰めるらしい。
    そのサイズのダンボールに入る本は30冊から40冊。
    そして、福岡から前橋まで、約1100キロ。
    まあ、なんとかなるだろうと思う。

    そもそも迷っている時間はない。
    なにしろ前橋ブックフェスの開催は2週間後なのだ。
    決行日も今週末と決めた。
    つまり、10月15日と16日、
    ぼくは福岡から前橋まで、
    順二郎おじさんの本を車で運ぶ。

    ところで、ぼくはさきほど、
    本を車で運ぶ理由を、
    それがいちばん手っ取り早いからだと書いた。
    しかし、それは方便である。

    正直に言うと、ぼくはただ単に運びたいのだ。
    順二郎おじさんの本を、自分の力で運びたいのだ。
    それを、ぼくなりの供養と表現すると、
    かっこつけすぎだとは思う。わかっている。
    けれども、ぼくはもう、そうすると決めている。

    ぼくは、ときどきそういうふうに、かっこつける。
    どうなの、それは? と自分が自分に突っ込む。
    そんな悪目立ちする面倒なことをやらずに
    無難に済ませたほうがいいんじゃないか、
    みたいなことはもちろん自分でも思う。

    けれども、自分の10年とか20年を振り返ったときに、
    自分が何かをいちおう成し遂げたと感じるのは、
    かならず無難の鎖を引きちぎって、
    かっこわるくてかっこいい、
    いや、かっこよさそうでかっこわるい選択をしたときだ。

    かっこわるさは、なにかを実行するときに
    かならずついてくるお通しのようなものだとぼくは思う。
    その先にいいリターンがあるにせよ、
    やっちまったと頭を抱える後悔があるにせよ、
    まずは前提としてはじまりのかっこわるさがある。
    これを乗り越えられない人はなにもはじめられない。
    どの道を行くにせよ、まずはかっこわるいのだ。

    そもそも、100パーセント後悔しないなんて、
    そんなのっぺりしたものは決断とはいえない。

    そして、そういうかっこわるさを引き受けたうえで、
    合理的に目論んでいることもじつはちゃんとあって、
    なにかというと「前橋ブックフェス」のアピールである。

    自分の家の本棚で眠っている、
    誰かに読んでほしい本をひとつの場所に集め、
    そのやり取りに参加する費用だけを払って、
    自由に本を渡したりもらったりできるというこのイベントは、
    ものすごく斬新で刺激的だとぼくは思っている。
    大げさにいえば、これからのイベントの在り方を、
    変えてしまうヒントになるかもしれない。

    いったいどうなるのか、見当がつかない。
    本がなくなるのか、余るのか。
    強欲の人がぜんぶ持ってっちゃうのか。
    意外になにもかも普通に成立するのか。

    それもこれも、失敗も成功も、
    とにかく本がたくさん集まらなくてははじまらない。
    だから、ぼくは、今回の本の運搬が、
    前橋ブックフェスに本を送ることの
    アピールになればいいなと真剣に思っているのです。

    そういうこともあって、
    この週末、ぼくは福岡から前橋まで本を運びながら、
    道中のことをときどき自分の
    個人アカウント( @1101_nagata )から
    ツイートしようと思っています。

    コースとしては、まず山陽自動車道を行くと思います。
    まだどうなるかわからないけれど、
    途中のサービスエリアに本を持ってきてくれる人がいたら、
    それを集めながら前橋まで行こうとも考えています。
    (ひとまず、佐波川SA、宮島SA、福山SA、吉備SAに
    立ち寄ろうと思ってますが、予定が変わったらすみません)。

    順二郎おじさんの本とともに、
    この週末、そういう冒険をしようと思っています。
    明日と、明後日です。
    道中のツイートをリアルタイムに掲載するページを
    ほぼ日にもつくる予定ですので、
    もしも時間があったらのぞいてみてください。

    しかし、まずは、おじさんの本が
    ハイエースにぜんぶ載り切るのかとか、
    それを現地で確かめてみなければならない。

    あとは、いろいろ、現場で、
    そのときどきで判断します。

    最終的に、順二郎おじさんの本が、
    全国から集まったたくさんの本のなかに溶け込み、
    前橋を訪れた本好きの人の手に渡っていけば、
    ぼくはそれを最高にうれしく思います。

    ずいぶん長くなりました。
    それでは、明日、
    おそらくばたばたしながら、お会いしましょう。

    2022-10-14-FRI


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