1月5日、気仙沼の「トイレトレーラー」が
石川県能登半島にある輪島市へ向かいました。
トイレトレーラーは震災をきっかけに
サンドウィッチマンさんが発起人となる
「東北魂義援金」より気仙沼に寄贈されたもの。
個室のトイレが備えられた車で、
どこにでも快適なトイレを運ぶことができ、
今回、災害で初めて出動することになりました。
現地では、とても活躍していると聞きます。
気仙沼のトイレトレーラーがどういうものか、
輪島市ではどのように活躍しているのか、
気仙沼市役所の担当畠山さん、齋藤さんに
お話をうかがいました。
担当は、ほぼ日の羽佐田です。
- 2024年、1月5日、金曜日。
「東北魂トイレトレーラー」が、
気仙沼から能登半島に向かいました。
2024年1月1日夕方に発生した、
能登半島地震の被災地を支援するためです。 - 「トイレトレーラー」とは、
個室のトイレが備えられた附属車のこと。
災害時の利用を想定して設計され、
車に牽引されれば
どこにでも快適なトイレを運ぶことができます。
能登半島では一部地域で断水が続き、
排泄物を水で流せないことから
悪臭や不衛生なトイレが問題に。
トイレトレーラーは、そうした切実な問題の
解決手段のひとつとして考えられています。 - 「東北魂トイレトレーラー」は
洋式の温水トイレ2基と、
車いすの方も使えるバリアフリー対応の1基、
合計3基が備えられています。
大きさは全長5.7m、幅2.5m、高さ3.5m。
天井にはソーラーパネルが設置され、
バッテリーも搭載しているので
夜中でも明るい電気がつきます。
また、給水タンクを内蔵しているので、
断水の状況でも水で流すことができます。
- 「東北魂」とは、
宮城県出身のサンドウィッチマンが発起人となり、
東日本大震災で被害を受けた
被災者を支援するために立ち上げた
「東北魂義援金」に由来します。
震災直後、2011年3月16日に開設され、
2022年3月までに5億円を超える金額を集めています。
「東北魂トイレトレーラー」が寄贈されたのは、
2022年12月のことでした。 - それからは、市内のイベントで使用されていました。
「これからもこんな平和な活用ができたらいい」
そう思っていた矢先のことでした。
東北魂トイレトレーラーは
5日に気仙沼から能登半島に向かって出発し、
現在も避難所で利用されています。 - 気仙沼市の動きはとても早かったと感じました。
実際に、能登半島へ支援に向かった
先陣の団体のひとつだったと聞きます。
それは、同じく震災を経験している地域として、
備えがあったからなのだろうか。
気仙沼のトイレトレーラーのことを
もっとくわしく知りたいと思い、
気仙沼市役所でトイレトレーラーの担当をする、
畠山勉さんと齋藤岳大さんにお話をうかがいました。
トイレトレーラーとは。
- 「東北魂トイレトレーラー」が
気仙沼にやってきた理由。
そこには、震災当時に直面した、
「トイレで困った」記憶がありました。
- 畠山
- サンドウィッチマンさんは
震災当時、気仙沼の安波山に避難されたこともあり、
被災地に寄り添った支援をずっとしてくださっています。
「東北魂義援金」を開設して10年という節目に、
「形として残るものを届けたい」という思いで
私どもに「何か必要なものはないですか?」と
意見を聞いてくださったんです。 - そのとき思い出したのが、トイレのことでした。
それまで快適な生活に慣れてしまっていましたから、
震災直後、非常にトイレで困った記憶がありました。
仮設住宅や避難所の多くが和式トイレで、
使ったことがない人がいたり
足腰が悪い方には使いづらかったりする。
また、震災当時、気仙沼市の下水管と処理施設が
海水につかるなどして壊れてしまい、
水が流せず断水してしまいました。 - 悪臭がひどくなり、
トイレに行きたくないからと水を控えて、
食事を取らない人も出てくるように。
すると、あらゆるところで歪みが生じました。
食とトイレは人間の健康を維持するために
重要なものだとあらためて実感しましたね。
そこで「トイレトレーラーはどうでしょうか」
と相談させてもらいました。
- 齋藤
- サンドウィッチマンさんも
避難所を回られていたなかで、
「水が出ない」
「夜は暗くて怖いので、トイレに行けない」
といった声を聞くことがあり、
災害時におけるトイレの重要性を実感されていました。
- 畠山
- 納車いただいたのは、2300万円相当の車両。
2022年の12月6日にサンドウィッチマンさんに
安波山にお越しいただいて、
お披露目式を執り行いました。
3月11日も早春とはいえ小雪が舞っていたのですが、
同じく12月6日も雪が降りまして、
当時を思い出させるような雰囲気でした。
- 齋藤
- 余談ですが、
寄贈いただく際の条件のひとつとして、
「はじめて使うのは富澤さん」とありましたので
実際に使っていただいたのですが、
お披露目式の際に温水便座のスイッチを入れ忘れまして。
第一声が「鬼のように冷たい便座」とおっしゃっていて、
私たちも「スイッチを入れ忘れた!」と大慌てでした(笑)。 - 寄贈いただいてから4回ほど、
市内各地のイベントで稼働しました。
東北魂からトイレトレーラーをいただいたことを
みなさんにお知らせしたかったこと、
そして、いざという時の訓練も兼ねて。
できればこういう平和な活用を
していきたいと思っていました。
1月1日から1月4日の動き。
- 年明け早々に石川県能登半島で地震が発生し、
1月5日朝には気仙沼市を出発したトイレトレーラー。
調整、決断、そして動き出すまでの4日間、
気仙沼市ではどのような動きがあったのでしょうか。
- 畠山
- 元旦の夕方、ニュースを見て衝撃を受けながらも、
同時に、私の頭の中には3つのことがよぎりました。
まず、このような事態は起きてほしくなかったけれど、
トイレトレーラーの出番になるだろうということ。
2つ目に、能登半島までの道路は
隆起しているでしょうから、
どうすれば現地に到着できるのか情報を集めること。
気仙沼も津波や建物で道路がふさがれましたので、
当時の状況を思い出しました。
3つ目に、このトレーラーは車での牽引が必要なため、
ふだんの観光イベントでお世話になっている
市内のレッカー会社(有)熊谷建材さんに相談しないと、
実働について決められないということでした。 - どう進めようかと考えていたところ、
1月3日に熊谷建材の専務から我々に電話が入りまして
「とにかく向かいましょう」と
言ってくださったんです。
私たちもそう思っていましたが、
先方から言っていただけたのは大変心強かったです。
- 齋藤
- 実はサンドウィッチマンさんの事務所の
グレープカンパニーさんからも
3日にお電話をいただきました。
「サンドウィッチマンのふたりも含めて、
私たちもこの状況をかなり心配しているので、
トイレトレーラーを派遣できないだろうか」と。
- 畠山
- 私たちも動きはじめていましたが、
そうした各所の声や動きもあって、
すぐに市長に進言することを決めました。
すると、市長も「スピード感を持って対応せよ」と
早急に指示を出してくれたので、
我々の気持ちは固まりました。 - ただ、私たちが被災した当時のことを思い出すと、
まだ地震から3~4日というタイミングは
相当混乱の極みにあると想像しました。
そのため、現地の方に電話がつながるまで待ち、
詳細を調整してから出発するのでは遅くなるだろうと。
とにかく能登半島に向かって、
その道中で詳細を決めることにしました。
- 齋藤
- 本来、災害時は県からの要請を受けて
各市町村が派遣をします。
しかしながら、今回はスピード感を持ってということで、
気仙沼市独自の派遣というイレギュラーな形で
対応させてもらいました。
- 畠山
- そう思えたのは、我々も経験していますが、
トイレで困っていることは間違いないからです。
快適で衛生なトイレは現地で必ず活躍する、
と確信していました。
また、トイレトレーラーはほぼ自己完結しているので、
現地の手をあまりわずらわせませんし、
東北魂という支援の気持ちをお届けすることが、
かつて助けていただいた
気仙沼市としての責務だろうと強く感じていました。
- 齋藤
- 2~4日にかけて調整や準備をしました。
4日には気仙沼市の危機管理課と
輪島市の危機管理担当が話すことができて、
「ぜひ来てください」と同意を得られました。
詳細は決められないけれど、
とにかく来てほしいと。
また、トイレトレーラーの保守整備をお願いしている
事業者さんが各トレーラーの状況や道路状況を
逐一共有くださったので、
そうしたアドバイスも参考に能登半島に向かいました。
5日、能登半島へ向かう。
- 気仙沼から能登半島までは800キロ。
ニュースでは道路の隆起などが取り上げられ
どこに向かうか決まらず不安も残るなか、
「とにかく来てほしい」
という現地の声を胸に出発したそうです。
- 畠山
- 2024年1月5日の朝7:00に気仙沼を出発しました。
東北魂義援金から寄贈いただいた
トイレットペーパーと災害備蓄用ゼリーを
トイレの個室につめこんで。
向かったのは調整役の観光課の職員2名、
水洗トイレで水が必要なので、
1トンの給水タンクを積んだトラックに
ガス上下水道部の職員2名が乗り、
トイレトレーラーを牽引してくれる
熊谷建材さんで向かいました。
私たちは後方支援として、
気仙沼市役所に待機していました。
- 齋藤
- 道中で輪島市の担当者と話すことができ、
「日々状況が変わるので、
今日来られるのであれば今日来てほしい」と
回答があったそうです。 - 事前に、輪島市には宿泊できないだろうと、
富山県高岡市の宿を前線基地として押さえていましたが、
到着したのは夕方。
高岡市から輪島市までは100kmほど離れており、
道路状況もわからず停電で道が暗かったため
長丁場が予想されました。
そのためトイレトレーラーは高岡市に待機して、
観光課の職員は現地で担当者と調整するために、
輪島市役所に向かいました。
- 畠山
- 頼りにしていたGoogleマップの電波が入らず、
さらに道路に亀裂が走っていましたので、
道もわからず真っ暗な危ない道を、
ゆっくりゆっくり車を走らせたそうです。
そのため予定以上の時間がかかってしまい、
輪島市に到着したのは夜22:00でした。
- 齋藤
- 高岡まで戻ることは難しいということで、
観光課の2名は車中泊になってしまいました。
そんな状況になるとは予想できておらず、
毛布も持たせていませんでした。
真冬で深く冷え込むなか、
職員は帰り道のガソリンを心配して
暖房をつけずに泊まったと聞いています。
凍えないでなんとか乗り越えてくれたことに
安堵しましたが、
後方支援する側の準備が不足していたことは
たいへん申し訳なかったです。
今後の反省点になりました。
押しつけの支援にならないように。
- ようやくトイレトレーラーの向かい先が決まり、
実際に使用するための準備がはじまります。
日々状況が変化するなか、
臨機応変に準備を進める前線のみなさん。
自分たちも混乱を極めた当時の記憶をたどりながら、
丁寧に、冷静に、迷惑をかけないよう
引き継ぐことを心がけたと言います。
- 畠山
- 輪島市にある避難所のひとつ、
鳳至(ふげし)小学校に向かうことが決まりました。
難しいものではありませんが、
設置して「はい、どうぞ」で
使用できるものではありません。
排便したものを汲み取る仕組み、
給水タンクが空になった際の対応など
運用するための下準備と引き継ぎが必要でした。
6日、小学校に設置し、
引き継ぎができたのは7日の夕方でした。
- 齋藤
- 派遣するにあたって最も大きな課題が、
汲み取りについてでした。
トイレを流すための水は給水タンクでしのげますが、
汲み取りはバキュームカーが必要です。
行かないと解決方法がわからないということで、
現地で方法を探ることになっていました。
たまたまですが、バキュームカーが
定期的にまわっているエリアだと確認ができ、
そのルーティンにトレーラーを組み込んでもらうことで
話がまとまりました。
また、設置した小学校が自衛隊の給水ポイントで、
水の心配も解決できました。
- 齋藤
- ニュースなどで東北魂トイレトレーラーが
使用されているところを拝見し、
「使っていただけている」とホッとしました。
トイレトレーラーはソーラーパネルがありますので、
自家発電が可能で、夜も灯りがつきます。
今回は、電源がとれる場所だったので、
便座を温かくして使っていただけているようです。
ちょっとしたトラブルはあるようですが、
都度対応の仕方をフォローしながら
現在も現地と連絡を取り合っています。
- 畠山
- 快適なトイレゆえに殺到するだろうと思っていましたが、
高齢や足腰の不自由な方、女性の方に
優先的に使ってもらうなど現地に即したルールを決めて
運用していると聞いています。
- こうしてスピード感を持って動けたのは、
同じ被災地として備えがあったからなのでしょうか。
ふたりは「試行錯誤しながらですので、
言葉にするのが難しいですが‥‥」
と付け加えたうえで話してくれました。
- 齋藤
- 日頃からの備えや練習は今回活かされたと思います。
トイレトレーラーは4回地域のイベントに出動し、
実際に使うなかで課題を見つけて改良を重ねて、
練習をしていました。 - いざ初出動となったときも、
焦らず災害地に向かうことができたと思います。
また、関わる人々が迅速に動いてくれたこと、
とくに熊谷建材さんが被災地までの移動を
快く引き受けてくださったことには、
あらためて感謝を申し上げたいです。
気仙沼市役所だけでは実現できませんでした。 - また、我々も経験したことですが、
「押しつけの支援のならないように」
というのは大前提としてありました。
震災当時、思いを持って東北に来てくださることは
非常にありがたかったのですが、
受け入れる対応が整っていないなかで
そこにマンパワーを割く大変さもありました。 - 二の舞いにならないよう、
まずは現地のニーズを確認してから派遣できるように、
気仙沼市の災害担当部門である危機管理課が先導して
輪島市の担当者とやり取りを進めてくれました。
トイレトレーラーは仕組みが整っていて、
現地の手をわずらわせることがほぼないということも
早急に動けた理由だと思います。
- 畠山
- 避難所を運営している方々も被災者なうえに、
多方面から相談を受けて疲れ果てているはずです。
実際に、私たちもそうでした。
それを思うと、先方のニーズがあったうえで、
こちら側も丁寧に引き継ぎをしようと決めていました。
たとえば、一人が夜通し担当することにならないよう、
複数名に引き継いで交代制で担当いただけるように
何人かの方にやり方をお伝えしました。 - このような機会ですので、
東北魂、とりわけサンドウィッチマンのおふたりには
あらためて感謝の気持ちをお伝えしたいです。
また、私どもから能登半島の方々に対して
ひと言ではとても言えるものではないのですが、
13年前私たちも絶望的な状況になり、途方に暮れたなか、
全国、世界各地から救いの手を差し伸べていただき、
ようやく復興も進んできています。
大変な思いをされていると思いますが、
こうして距離は離れていても心を寄せておりますので、
能登の方々も一日でも早く生活が
落ち着きを取り戻せるようにお祈り申し上げます。
- 東北魂トイレトレーラーのこと、
そして能登半島地震について
サンドウィッチマンのおふたりも
伊達さん、富澤さん、
それぞれブログに思いをつづっています。 - 伊達さんは「避難所で一番大変なのがトイレ。
食料やお水などの救援物資は次第に届きますが、
トイレが全く足りない状況になります。
被災された方々のために、
トラブルなく活用して貰えたら我々も嬉しいです」。 - 富澤さんは「初めての稼働なので
不都合もあるかと思いますが、
トラブルなく使用できることを祈っております。
気仙沼の景色も描かれているので
少しでも癒やしになれば」
と現地にメッセージを残しました。 - 徐々に断水は解消され、輪島市の水道は
3月中の復旧を目指すと発表がありました。
避難所での生活も長引くなか、
清潔で夜間でも安全なトイレの存在。
その大きさをあらためて感じました。
宮城県気仙沼市役所の畠山さん、齋藤さん、
たいへん忙しいなかお時間をいただき
ありがとうございました。
2024-02-28-WED