1981年に放送された名作ドラマ、
『北の国から』をご存じですか?
たくさんの人を感動させたこのドラマを、
あらためて観てみようという企画です。
あまりテレビドラマを観る習慣のなく、
放送当時もまったく観ていなかった
ほぼ日の永田泰大が、あらためて
最初の24話を観て感想を書いていきます。

イラスト:サユミ

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#6

走って逃げる。

『北の国から』第7回のあらすじ

五郎が山仕事に行き始めたので、
純と螢は学校が終わると中畑(地井武男)家で
父の帰りを待つ事になった。
そこには電話があり、東京に居る母令子と
簡単に話ができることに気が付いた純は、
誘惑に負けてこっそり母親に電話してしまう。
そして螢にも久しぶりに
懐かしい母の声を聞かせてやろうと計画。
数日後、ついに令子に
電話をかけるチャンスが訪れた。

 

このドラマでは、
しばしば子どもたちが逃げ出す。
責任を放棄するという
意味としての逃げ出すではなく、
物理的に、ある場所から、走って逃げる。

たぶん、おとなはあんなふうに、
走って逃げ去ることができない。
なぜなら、逃げてどうなる? と考えてしまうからだ。

たとえば、いやな仕事があったり、
理不尽な怒られ方をしたり、
腹が立ってたまらないという局面があったとしても、
その場から走り去るというのは、
どう考えても得策ではない。

たぶん、おとなが立ち去った場合は、
あとで説明したり謝ったりしなくてはならない。
つまり、その場を去ることで、
状況はさらにややこしく悪化するということがわかる。

だから、たとえここから逃げたいと強く思っても、
ぐっとこらえて、弁明したり、あるいは反論したり、
ときには愛想笑いしたり、もしくは不機嫌に黙ったり、
なんとかそこをやり過ごそうとする。
まあ、「ひとこと言って立ち去る」くらいのことは
するかもしれないけど、
それは立ち去ることが目的ではなく、
相手に自分の怒りをアピールすることが目的だと思う。

百歩ゆずって、もう何もかもがいやになって、
なにも言わずにその場を去るとしても、
おとなはおそらく、走らない。歩いて去る。
足早に去ることあるかもしれないけど、
全力で走って逃げたりはしない。
その場から急に全力で走り去るおとながいたら、
それはちょっとしたコメディだ。

いえ、おもしろいことを言いたいわけじゃなくて、
真面目に、そうだよなあ、とぼくは思ってるんです。

ぼくは思う。
そこから走って逃げることは、子どもの特権なのだ。
子どもは、そこから走って逃げて、いい。
子どもは、走って逃げる以外に、
なにもできないようなときがあるのだ。

糸井重里はしばしば原稿のなかで
子どもの無力について書くことがある。
ぼくが好きなのは、たとえばこんな文章だ。

子どもって、なんか天使のようだとか言われたり、
子どものころに戻りたいとか羨まれたりするけれど、
おとなに比べたら、不自由の質量がちがいます。
もう、まったく思うにまかせない毎日です。
ぼくは、絶対に子どものころに戻りたくないです。
無力のかたまりなんですよね、ほんとうは。
子どもたちが、その巨大な無力のかわりに、
神様にもらったものが「遊び」なんだと思うんですよ。
(糸井重里『思い出したら、思い出になった。』より)

『北の国から』では、
しばしば純と螢が、走って逃げる。

今日観た第7回では、
純から「電話に出てみろ」と言われ、
受話器を持った螢が、
その向こうにいるのが東京のお母さんだと知って、
思わず、走って逃げた。表へ飛び出した。
螢はたぶんじぶんでも整理できてないけど、
お母さんを許せない気持ちがあって、
でももちろん会いたくて、
でも会いたくなくて、
そんなときに急に受話器の向こうから
「もしもし?」とお母さんの声がして、
すごい勢いで逃げた。走って逃げた。
表はもちろん雪で、靴も脱げちゃうんだけど、
それでも螢はとにかく逃げた。走って逃げた。

その場面を観て、きっと多くのおとなが
胸をぎゅっと締めつけられる。
それはたぶん、ずっと昔に、じぶんが、
走って逃げたことがあるからだ。

ぼくも、ある。
ひとつ、はっきりと、忘れられない場面がある。
その風景をいまもありありと思い出せる。
土の匂い。青空。靴下の気持ち悪さ。
遠くから追いかけてくる人の
ぼんやりとしたシルエット。
書かないけど、いつかどこかで書くかもしれない。

あれは、ひとつの能力だとぼくは思う。
子どものときにだけ、
「逃げてどうなる?」という理性を、
「逃げ出したい」という思いが、
軽々と、圧倒的に、上回ることがある。
それは、子どものすばらしい能力だとぼくは思う。

そして『北の国から』がすばらしいのは、
くどくど言わないことだ。
ドラマは螢に逃げた理由を説明させないし、
号泣させないし、
はっきりと仲直りすらさせない。

つぎの場面で螢と純は2階で寝ている。
螢は背を向けている。
純は「悪かったよ」と言う。

それで十分だと思う。

(つづくと思われ。)

2020-01-30-THU

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