1981年に放送された名作ドラマ、
『北の国から』をご存じですか?
たくさんの人を感動させたこのドラマを、
あらためて観てみようという企画です。
あまりテレビドラマを観る習慣のなく、
放送当時もまったく観ていなかった
ほぼ日の永田泰大が、あらためて
最初の24話を観て感想を書いていきます。
イラスト:サユミ
#8
どういうことも起こりうる。
『北の国から』第9回のあらすじ
東京から突然令子がやってきた。
子どもたちに会わせてと五郎に頼むが断られる。
翌日令子は、楽しそうに五郎の手伝いをする
純と螢の姿をそっと遠くから見ただけで帰って行った。
「誰も来ないっていたけど、本当は母さんが来たでしょ?
パジャマに母さんのにおいがしている。」
しかし純と螢は父の気持ちを察して気付かぬふりをする。
いしだあゆみさんが、
あ、いや、令子さんが、
つまり、純の螢のおかあさんが、やってきた。
やってきてしまった。
そのきれいな人が
布部駅の改札に現れたとき、
ぼくはびっくりしてしまった。
なんというか、令子さんが麓郷にやってくるのは、
そんなに簡単なことではないだろうと思っていた。
このドラマはそういうところがある。
じっくり、ゆっくり、いろんなことを進めていき、
観ているほうが多少もどかしく感じるようなときも、
「だって、現実はそんなにぽんぽん進まないでしょ?」
という感じで、悠然と、頑固に、
ペースを崩さないところがある。
ところが。その一方で。
急に、ぽーんと大きなことが起こる。
振りかぶるモーションもなく、
ノールックパスをバウンズでいいところに出すみたいに、
一手で盤上の勢力図を塗り替えるみたいに、
すっと大きく転調することがある。
「だって、現実でも前触れなく
こういうことがあっさり起こるでしょ?」
という感じで、観るものに予感させず、
それはすでに起こっている。
それは、最近の映画やドラマである、
思いがけない方向へどんでん返ししまくる、
というのとは、まったく違う、やわらかい驚きを導く。
だから、ほんとに展開がわからないんだよ。
いや、先を読みたいわけじゃなく、
舗装されてない地面みたいに
ときどき身体ががくんとなる。
山沿いの地域の天気みたいに
あららら、という感じで状況が変わる。
だから、なんというか、どういうことも起こりうる。
それと似たことでいうと、
この『北の国から』というドラマにおいては、
しばしば問いかけられたほうが
なにも答えないことがあって、
そこにいつも驚いてしまう。
まず、問いかけはいつも鋭くて、
予想よりも早く、本質的なことが、
迷いなく誰かに向けて問いかけられる。
わ、そこ、訊いちゃうのか、とぼくはハッとして、
いったいどう答えるんだろうと身構える。
そうすると、多くの場合は五郎さんなんだけど、
なんだかずっと作業をしたままで、
けっきょく、なんにも答えない。
「え、答えないんだ?」とぼくは思う。
けっきょく答えは出ないまま、
つぎの場面に移ってしまう。
だって、現実でも、なにか訊かれて、
それにいちいち答えられるわけじゃないでしょ?
とでもいうように。
さて、毎回、どこかでかならず涙ぐんでしまうけど、
この第9回ではいつもと違う泣け方をした。
令子さんが帰ったあと、
決心して、無理して、お母さんのことを
切り出そうとする五郎さんを助けるみたいに、
純が、明るく、話題を変えるのだ。
ああ、ちょっとずつ
おとなになっているのだなあとぼくは思って
しみじみと泣けた。
これから来る「ほんとうの吹雪」ってなんだろう。
ただの天候のことならいいんだけど、
きっとそうじゃないんだろうな。
あと、ショウちゃんのお母さんが、
あんなにかっこいい台詞を吐くような
人物だとは思わなかった。
ただのくるくるパーマのお母さんだと思ってたよ。
※次回の更新は2月5日(水)と思われ。
(つづくと思われ。)
2020-02-03-MON