1981年に放送された名作ドラマ、
『北の国から』をご存じですか?
たくさんの人を感動させたこのドラマを、
あらためて観てみようという企画です。
あまりテレビドラマを観る習慣のなく、
放送当時もまったく観ていなかった
ほぼ日の永田泰大が、あらためて
最初の24話を観て感想を書いていきます。

イラスト:サユミ

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#13

UFOと不思議な記憶。

『北の国から』第14回のあらすじ

純がお見舞いに訪れたことで
母・令子の容体は少し良くなった。
このまま東京にいて欲しいと願う
母の気持ちに純の心は揺れ、悩んだ末に、
とうとう北海道にいる父に手紙を書く。
しかし半年間の富良野での生活で、
生きる厳しさや工夫して
物をつくる喜びを知った純には、
流行を追うだけの東京の暮らしが
以前ほど素敵には思えなくなっていた。
その事に気付いた純は・・・・。

 

UFO、出てきた!
UFO出てきたよ、蛍原さん

『北の国から』を観ていない人は、
このヒューマンでネイチャーなドラマの
いったいどこにどうやってUFOが出てくるのか
気になってしょうがないだろうと思うから解説すると、
UFOは、まさにUFOとして登場する。
UFOは、いわゆるUFOらしく、
UFO然として、UFOっぽく登場する。

具体的にいうと、
まず、螢が畑でUFOを見つけちゃう。
で、それを話したところ
「うそだーい」みたいに純に言われて、
「うそじゃないもん!」みたいになって、
しばらくしたあとで、純と正吉くんが、
「新婚の○○さんちで、夜になると、
お嫁さんの泣くような笑うような
変な声がするから聞きに行こう」という、
たいへん男子らしい瑞々しい好奇心から
出かけることになって、
そのとき「星の観察に行く」とか
半端なうそをついたもんだから、
螢が「螢も行く!」ってついて来ちゃって、
もちろん男子は「ついてくんな!」って
走って置き去りにしようとするんだけど、
螢ちゃんは「かけっこなら負けないもん!」って
ぜんぜん置いてかれないどころか、
もう追い抜いちゃうくらいで、
ぼくはこの「螢ちゃんは足が速い」っていう個性は、
すごくいいなぁかっこいいなぁと思うんですが、
それはまた別の話で、
そうこうあって純と正吉くんと螢ちゃんが
夜の森を無闇に走っていると、
急に3人が立ち止まって夜空を指差し
「あっ!」てなことになるんです。

UFOです。夜空に。オレンジ色の。

映像としては出てきません。
UFOを見つけて唖然とする子どもたち、
という表現です。

でね、ぼくはね、ドラマを観ながらね、
この「唖然」で終わると思ったんです。
時間的にもずいぶん後半だったので、
こう、なんていうか、
虹を見て不思議な気分になった、みたいな、
ちょっと特別な感じでこの回は終わるのかな、と。
あれはなんだったのだろう、みたいな感じで。

そしたらね、もっと続くんですよ、UFOの表現。
3人が追いかけちゃうんです、森の方へ。
で、しばらく行くと、森の木の上から、
はっきりとオレンジ色の光が降り注ぐわけです。
葉っぱとか、明るく照らされちゃうわけです。
これはもう、そこに「ある」という表現なんですよ。
いやあ、これは、びっくりしたなあ。
そんなに「存在する」ものとして
このドラマにUFOが登場するとは思わなかった。

しかもこの回ってね、
病院で令子さんが純に
「東京に残ってくれるの?」って、
反則すれすれのことを言って、
純もいったんは東京に暮らすことを決意して、
五郎さんに手紙を書いたりして、
東京の便利で無駄の多い生活と
富良野の質素だけど自給自足な暮らしが
子どもの目線から比較されたり、
そうかと思うと東京の友だちが
純にエロ本貸したりして、
それをこっそり富良野に持って返った純が
正吉くんといっしょにそれを見て
「ちんちんが大きくなる」「おれもおれも」と
男子らしい清々しい意見交換をしたりして、
なんだかもう、わちゃわちゃしてるんです。

で、その、わちゃわちゃの回の終盤に、
UFOがドーンと登場するわけです。

ぼくのこのやや混乱気味の文体から
察していただけるかと思いますが、
観終わったばかりのぼくもなんだか
とっ散らかっているわけです。
だって、東京での生活、お母さんの病気、
自転車泥棒、文明批判、エロ本、ちんちん、
新婚さん、螢負けないもん、と来て、
「UFO!」ですからね。
なんだ、この回は、と。なんなんだ、と。

ついでにとっ散らかると、
妙におもしろかったのは、
これまで富良野の場面では頑なに
流れるBGMがさだまさしさんの
ギターとハミングのみだったんですけど、
UFO遭遇の場面では、
さすがにそれは無理だったようで、
なんか変な電子音が流れてました。
富良野なのに。

あと、森を照らすUFOの光の表現と、
夜道を走る子どもたちの映像から
ぼくは映画『E.T.』の影響、
もしくはオマージュなのかなと思ったのですが、
調べてみたところ『E.T.』の公開は
1982年12月で、放送よりもあとなんですね。
ということは、オマージュだとすれば、
1977年の『未知との遭遇』なのかもしれない。
いずれにせよ、スピルバーグ的な光なんだよな。

そして、ぼくの『北の国から』の師匠である
雨上がり決死隊 蛍原徹さんによれば、
この第14回は、ファンのあいだでも、
「なんやったんやろうな?」と言われている
不思議な回なんだそうです。
でも、演じている役者さんとかスタッフは、
この回が好きな人が多いんですって。

で、ぼくがどうかというと、けっこう好きです。
たとえば自分の小学校時代を振り返ってみると、
確かにこういうわちゃわちゃした印象がある。
ことに、何年も経ってから振り返ってみると、
いろんな記憶が混ざったり薄れたりして、
なんだかあのころってよくわからない
不思議な日々だったような気がする。
だから、なんだか、この回は、
なんだか妙に肯定できる。
なんなら、リアルだと言ってもいい。

子どもの頃の不思議な日々を
振り返ったついでに書いておくと、
ぼくは、あれが現実だったのか、
夢だったのか、映画かなにかだったのか、
もはや判然としない強烈な場面を憶えているんです。
あれはなんだったんだろう、
といまでもときどき思い出します。

ぼくは小学校の校庭に立っています。
小2の夏休みのあとに転校した、
徳島の富田小学校の校庭です。
ぼくは校庭の西の端から東に向かって立っていて、
左手には北校舎と呼ばれていた新しい建物、
右手には木造の南校舎が建っています。
時刻は夕刻で、あたりは橙色に染まっています。
ぼくは空を見上げているのですが、
そこに、その空に、なびく雲の向こう側に、
巨大な筒状の建造物が浮かんでいるんです。
あまりに大きすぎて、
逆にそれがあると気づかないような、
空全体に溶けているような円柱です。
円柱は空に向かってほぼ垂直に伸びていて、
見上げていくと上のほうは空との境目が
まったくわかりません。

はたして、これをぼくは、観たんだろうか?
それとも、そんなものが存在するわけがないんだから、
なにかの記憶が混ざっているんだろうか?
なんなんだろう、この風景は。

そういうようなことって、
みんなそれぞれにあると思うんです。
あれはなんだったんだろう、と思うようなことが。
現実的じゃないからこそリアルな不思議な記憶が。
ほんとにあったとわかってるのに
ほんとにあったのかなと思えるようなことが。
ありえないと理屈でわかっているのに
あったとしか思えないような思い出が。

そういうこともあって、ぼくは、
この第14回の不思議な演出が、
ぜんぜんイヤじゃないんですよね。

(つづくわけで。)

2020-02-13-THU

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