次第に日差しがあたたかくなってきました。
きれいで、やさしくて、おいしいものが
大好きなわたしたち。
親鳥であるニットデザイナー・三國万里子さんの審美眼に、
ときめきに花を咲かせる4人が水鳥のようにつどい、
出会ったもの、心ゆれたものを、
毎週水曜日にお届けします。
「編みものをする人が集える編み会のような場所を」と、
はじまったmizudori通信は、
ニットを編む季節の節目とともに一旦おやすみします。
ニット風景も一挙ご紹介です!
♯013
2021-02-03
- 『折々のうた』をご存知でしょうか?
朝日新聞に長く連載されていた詩歌のコラムです。
もう少し言うと、万葉集から現代詩までの、有名無名、
老若男女による日本語の詩(翻訳も含む)1~2行に、
ツィッターにちょっと足したくらいの字数(180字)の解説を、
自身が詩人でもある大岡信さんが付けたものです。 - わたしが『折々のうた』を知ったのは新聞紙上ではなく、
岩波文庫としてまとめられたもので、でした。
もともと母が熱心に読んでいたのに影響を受け、
わたしも自分用に少しずつ集め出したのが20代の頃。
今のところ11冊持っているのですが(全巻揃えると19巻)、
わたしはこれらを、少し変わった方法で楽しんでいます。
コピーして、トイレの壁に貼っているのです。
1見開きに詩と解説が4組。
これを毎朝貼り替えます。 - この習慣を思いついたのはもう20年ほど前、
息子がまだ幼い頃でした。
育児に追われる合間の一人になれる時間に
滋養のある文章を読みたい、
という気持ちから始めたことだったと思います。
当時わたしは家族以外に知り合いのいない
ベッドタウンに引っ越したばかりで、
ほとんどの時間を母子二人で過ごしながら、
外の世界に飢えていました。
息子との時間は幸せなものでしたが、
自分たち以外の人生があることも知っていましたし、
なんというか「他人の人生の発露」に
触れたかったのだと思います。
その意味で『折々のうた』のテーマである「詩」は、
まさにわたしが求めていたものでした。 - 数ある詩のアンソロジーの中からこの本を選ぶ理由は、
何をおいても大岡信さんの解説にあります。
たとえば万葉集って難しい。
歌われているのは、恋する気持ちや、近親者の死への嘆きなど、
時を超えて共感できる事柄のはずなのに、
文化や言葉遣いのギャップのために、
知識のないわたしには半分も理解できないものが多い。
そこまで遠くない、たとえば昭和の詩歌でも、
それが詠まれた状況がわからないと、
詩というタイトな形式のためにとっつきが悪く、
文字の上を目が滑ってしまうこともしばしばです。
それを大岡さんが、作者の生きた時代や作家性にも触れつつ、
鋭く、ぐっと踏み込んで解説してくれるのです。
1行の詩を読んで、次に大岡さんの解説を読んで、
また詩を読み直した時に、
キュッと締まっていた蕾がほどけていくみたいに、
詩の姿が見えてくる。
詩の解釈というのは読み手に委ねられるもので、
ある意味無限とも言えるし、
「大岡さんはこう読む」ということではあるけれど、
それをわかった上で、遠い誰かの発した思いと言葉に
ここまで近づけるって、こんなにうれしいことか、
と、トイレの中でしみじみするのです。 - それにしても生きているといろいろあります。
この頃は特にニュースを見ていて、
何やら不安な気持ちに心が占領されてしまい、
でも大人だしそんなことも言ってられない、
と自分の中に封じ込めて日々を過ごしています。
そんな中で、この『折々のうた』を集中して読むことが
わたしにとっていい解毒剤に
なってくれているような気がしています。
一つの詩を理解することで、
自分の中に新しいものの見方の筋道がつく。
それが心のもやもやと直接に関係がなくても、
行き詰まった心のエネルギーの、一つの出口になってくれる、
ということかもしれません。
もう一つ思うのは、詩というものには「頭の中」と現実を
結びつける作用があるみたいだ、ということです。
たとえば詩の中で冬のみかんの匂いがしたり、
蟻がぞろぞろ石を超えていくのを、
しばし言葉の中に没入してたどるうちに
自分にとっての現実に着地しやすくなる、とでもいえばいいのか。
そうしているうちに
「その時々のことにちゃんと気持ちを向けて生きる他に
することってないよね」というような、
明るい諦めにも似た、さばさばした気持ちになります。
詩を読んでさばさばするのも、なんだかおかしいですが。 - トイレに『折々のうた』を貼る習慣は、
引っ越しがきっかけでしばらく途絶えていたのですが、
少し前に夫が思い出して
「また『折々』貼ってもいいぜ」というので再開しました。
「今日のあの詩だけどさ」、なんて話が
夫婦でできるのも、悪くないですよ。
好きな色合い
- 最近はやたらと整理をしたくなるのか
部屋の片付けをしていたところ、
クローゼットでご無沙汰していた
1枚のシャツをみつけました。
友人からもらったもの
(正しくは友人のおばあさまのものだったそう)
で当時試着したところ、
一見派手に見える模様も肌なじみがよく、
譲ってもらいました。 - やっぱりどことなく魅力的だとみていたら、
ある絵画がふと思い浮かびました。
エミリー・ウングワレーさんというオーストラリアの画家で、
曲線やドットで描かれた抽象的な表現が印象的です。
ずいぶん前に、美術館でみたことがあるのですが、
自分の身長の2倍も3倍も大きい画面に広がる色彩が
力強く、そして美しく、
とても圧倒された記憶があります。
彼女のアボリジニという文化的な背景や
オーストラリアの風土も興味深く、
どうしたらこんな色になるのだろうと
頭の中はどんどん感嘆と疑問でいっぱいに‥‥。
当時のわたしは茫々とした色たちにどきどきしていました。 - なんだかとても飛躍して
大袈裟になってしまいましたが、
そうでした、
このシャツもオレンジとブルーが重なり合って
なんともいいがたい色合いが
いいなあと思ったのでした。
そしてこの好きな色合いをまとえることが
またうれしく、春に向けて、
すこし陽気な気分になれる気がします。
風のように生きた人。
- 「女というのは心をみせないものだと思っていた。
歌や言葉で飾り、衣装で身を包んで、
時には裏腹なことを言う。
だが、あなたは違う。
まるでじかに心を抱いているようだ。」 - これは、向田邦子さん脚本のドラマ、
「源氏物語」の一節です。
母が頻繁に向田さんのセリフを口ずさむので、
私もいつの間にか覚えてしまいました。 - 好きな作家の中でも、
ほぼすべての書物を読んでいるのは
向田邦子さんくらいかもしれません。
とくに『父の詫び状』などエッセイを読むと、
自分らしく気持ちよく居られるように感じます。
そんな向田さんの展示が
1月末まで、青山のスパイラルにて行われていると聞き、
お気に入りのエッセイをカバンに入れて向かいました。 - 展示会場には彼女の原稿や旅の記録、
黒柳徹子さんとの対談動画など展示されています。
とくに印象的だったのは、お洋服のコーナー。
お洒落だった彼女が、
大切にしてきたコートやワンピースが
クローゼットをのぞくように展示されています。
どれも美しい状態で、
彼女がそれらをどれだけ丁寧に扱ってきたかが
一瞬で伝わってきました。
時代も合間ってだと思いますが、
心奪われたのは「マント」の存在感。
また、色違いで揃えていた
エルメススポーツのニットポロシャツも、
彼女の価値観を纏っているようでした。 - 旺盛な好奇心があった人だった、とは
よく聞く話ですが、
そうした彼女の性格や思考までもが
それらから垣間見えるようでした。
向田さんの美しい文体は、
生活のいたるところに溢れていたんだと。
KIGIさんのアートディレクションも素晴らしく、
「風のように軽やかに生きた」というテーマが、
あらゆる場所で生きていました。
向田邦子展、ウェブ上でも見ていただけるので
ぜひのぞいてみてください。
お休みの日は、午前中に家の仕事を片付けて、
午後はドラマを観な
ああ、もうすぐ楽しい編み込み模
この先のながーいメリヤス地獄。
飽きずに編むよい作戦はあります
とっても綺麗な編み込みですね!
わたしも、はじめたばかりの編みもののお供は
もっぱらラジオとおやつです。
まだはじめたばかりなので手元に集中してしまい、
ドラマをみられるようになるのはまだまだ先です……
“わたしのニット風景”を引き続き募集します。
ほぼ日の中で編みものの進み具合やできばえを
みんなでたのしみあえたら、と思います。
完成した作品のコーディネート、お供のお菓子やお茶など
写真とひとこと添えて送付ください。
送り先→postman@1101.com 件名→わたしのニット風景
三菱アルティアムにお越し頂きありがとうございました。「編みものけもの道 三國万里子展」は渋谷PARCO「ほぼ日曜日」にて、2月7日(日)より巡回開催します。詳細はイベントページをチェックしてください!
2021-02-03-WED