元気な男の子ふたりを育てる
シングルマザーのなおぽんさん。
ふだんは都内ではたらく会社員ですが、
はじめてnoteに書いた文章が話題になり、
SNSでもじわじわとファンを増やしています。
このたび月1回ほどのペースで、
子どものことや日々の生活のことなど、
なおぽんさんがいま書きたいことを、
ちいさな読みものにして
ほぼ日に届けてくれることになりました。
東京で暮らす親子3人の物語。
どうぞ、あたたかく見守ってください。

>石野奈央(なおぽん)さんのプロフィール

石野奈央(いしの・なお)

1980年東京生まれ。
都内ではたらく会社員。
かっこつけでやさしい長男(11歳)と、
自由で食いしん坊な次男(7歳)と暮らす。
はじめてnoteに投稿した記事が人気となり、
SNSを中心に執筆活動をはじめる。
好きなものは、お酒とフォートナイト。
元アスリートという肩書を持つ。

note:なおぽん(https://note.com/nao_p_on
Twitter:@nao_p_on(https://twitter.com/nao_p_on

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焼肉の日

4つの目が焼網の上の肉にロックオンされる。

月に一度の、焼肉の日。
私たち家族3人は街道沿いにある安楽亭へ行く。
最近、兄は大盛りのご飯を平らげ、
弟はアツアツの肉を
上手にひとりで食べられるようになった。
ちょっと前まで大人用セットひとつで
お腹いっぱいだった兄弟は、
2セットをペロリと平らげ、
すこし物足りなそうな目をする。
財布がやや気になりつつも、
モリモリとほお張る嬉しそうなふたつの顔に、
ビールが進む。

私が子供の頃にも「焼肉の日」があった。
月に一度、家族そろってご馳走で
お腹いっぱいになる幸せな日、
私は父を怒らせたことがあった。
温厚で娘に甘い父に怒られたのは、
その時を含めて、生涯でたった二度だけだった。

30年ほど前の「焼肉の日」、
高校生だった私と3歳下の弟は、
成長期の食欲にまかせて、
近所の個人経営の焼肉屋で、
ろくに値段も見ずにパカパカと注文して、
肉で腹を満たした。
払う側にまわった今考えると、ゾッとする。

家から歩いて10分もかからない場所に店はあった。
小さい頃は、道中で弟と母の手を奪い合ったり、
ある日は姉弟で手をつないだり、
徐々に家族からすこし離れ、
後ろからわざとのそりとついていったり、
4人家族は時間の流れと共に隊形を変えながら、
それぞれに心を弾ませてその道を歩いた。
いくつも団地が並ぶ道を抜けると、
平屋と草だらけの駐車場がつづく。
電灯もまばらな道の先、
こうこうと入り口が見える焼肉屋は、
すこしオシャレなつくりで、安くはなさそうだった。
数台のテーブル席の奥に小上がりの座敷席があり、
仕切りがなく広々と店内を見渡せる。
たいてい1、2組の客がいるだけで、
天井の隅に備えられたTVの前の座敷席が
いつも私たちの指定席だった。

あの日、父が肉を食べていたのか、思い出せない。
決まっていつも、キンと冷えたビールジョッキに、
おまけみたいな小皿のチャンジャをつまんでいた。
そして、肉を焼いては、
姉弟の皿にせっせとのせてくれた。
おいしい肉を食べているあいだも、
満腹で幸せな気持ちになったはずの帰り道も、
私は不機嫌にしていた。
中学からはじまった反抗期をこじらせていたのだ。

家に着くと父が、
ずっとふてくされた態度の私に
「ほら、もうみんなでテレビでも観ようよ」
と声をかけた。
その頃、狭い団地で私だけが個室を持っていた。
四畳半に学習机とベッド、
ラジカセからはブルーハーツ。
父母弟はリビングに雑魚寝していた。
1台しかないテレビは
家族の団欒の大事な「場」だった。
父の優しい呼びかけにも応じず、
誰に向けてでもない文句をブツブツ言っていた時だった。
「もういい!勝手にしなさい!」
急に父が大きな声をあげ、背中がビクンとなった。

中学生で反抗期になる前まで、
私は父が大好きだった。

父は見た目は「厳格そう」と言われるが、
陽気で優しい人だった。
そしてなにより、
娘が見とれる程の端整な顔立ちで、
スタイルも良かった。
銀座を歩いていたら、
名の知れたロックバンドから
スカウトされたこともあったという。
「何の楽器もできない」と断る父に、
「あなたは顔が良いので、
ギターをもって横でただ立っていてくれればいい」
と言われたそうだ。
父自身は身なりに無頓着で、
友人の見習い美容師の実験台になって
不自然にボリューミーアフロがのっかっていたりした。

面食いな私の自慢の父が急に疎ましくなったのは、
小さなきっかけだった。
当時、好きな先輩の写真を生徒手帳に入れていた。
それを偶然、父が見つけてしまった。
父も動揺して慌てたのだろう、
「なおちゃんってこんな人好きなんだ~」と茶化した。
それから、ろくに口もきかなくなった。
デリカシーのなさが嫌い。タイミングが嫌い。
においが嫌い。存在が嫌い。
よくある思春期の成り行きだろうが、
父と笑顔で写る写真は小学校を最後になくなった。
それでも、父は毎朝、遅刻しないよう私を起こしてくれた。
その度に私が「あっちに行って!」と大声で追い払っても、
父が怒ることはなかった。

そんな父が声を荒らげたのが、
焼肉の日だった。
今ならわかる。
あの日は、父にとって大切な日だったのだ。

デザインの仕事をしていた父は、
忙しい時期には夜も帰ってこなかった。
根っからの職人気質で、
大手の会社に勤めていたのに、
ある時、技術部門から別部門への
異動を言い渡されて納得がいかず、
辞表を叩きつけたと、母から聞いた。
次の仕事までのつなぎに、
コンビニで朝も夜もなく働いていたこともあった。
ソフトクリームをつくる仕草を見せて
「ハロハロが上手に作れるようになったよ~」
と笑う父は、家族の前ではいつだって陽気だった。

思い出すのは笑顔の父ばかりだが、
本当は心身クタクタだっただろう。
家族のために懸命に働いて、
好きな焼肉をお腹いっぱい
食べた子どもたちの笑顔を見る。
それが父にとっての一番のごちそうだったはずだ。
どうして素直に「おいしい」と
笑うだけのことができなかったのだろう。
あの時、父は怒っていたけれど、
心では泣いていたのだ。

父に怒鳴られたあと、
バツが悪くて部屋に引き上げたのか、
黙って家族でテレビを観たのかは覚えていない。
でも、ごめんなさい、と言った覚えもない。
翌朝、父はいつも通りに私を起こしにきてくれた。
「あっちに行って!」と追い払われても、
その日も仕方なさそうに笑っていた。

今、息子たちは、
絶賛「おかあさん大好き!」期だ。
焼肉屋ではどちらが隣に座るのかで
大喧嘩を繰り広げたのち、
「おかあさんの顔が見えるほうがいい」と、
結局ふたりとも向かいの席に座る。
私からもよく見える。
ふたりがモグモグと幸せそうに食べる顔。
それを見ているだけで、
いくらでもレモンサワーが飲める。

この子たちにも、
いつかは反抗期がくるのだろうか。
思春期の子どもは、
なんだかわからないものと日々闘っている。
身体も心も思うとおりにならない。
親はすぐそばでそれを
受け止めることしかできないのかもしれない。

めいっぱいの幸せと、
やるせない悲しみが幾重にも折りかさなって、
子育ては進んでいく。
成長の喜ばしさと裏腹に
すこしずつ心につもりゆく不安を、
ハイボールで流し込む。
すかさず長男から
「お酒はそのくらいに」とチェックが入る。
飲まずにいられない気持ちを隠して、
あー美味しかった、と笑ってみる。

ちなみに、2回目に父に怒られたのは、
結婚相手候補にびっしりとタトゥーの入った男を
連れて行ったときのことだった。
それはまた、別のお話。

イラスト:まりげ

2023-02-27-MON

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