それは、ちょっとした事件でした。
ある日のことです。
「ほぼ日の學校」の校長・河野通和宛に、
なんの前ぶれもなく、
布製のボックスがゆうパック便で届けられました。
送り主の名前は、田中靖夫。
「ほぼ日」の昔からの読者は
この名前をご存じかもしれません。
21年前(!)に「千体のお気楽な骸骨たち。」
というコンテンツでご紹介した人物です。
2005年には、田中靖夫さんが描いたガイコツを
「ガT」というTシャツにして販売もしました。
そんな田中靖夫さんは、
河野校長と古くからの知り合いなのだそうです。
しかしそれにしても、
突然送られてきたこの箱の中にはいったい‥‥?
はたして、ふたをあけた河野校長が目にしたのは、
大量の、スケッチブックでした。
まずは量に驚きますが、
よーく見るとこれらのスケッチブックは
どういうわけか、
紙がすべて「紙ナプキン」でした。
‥‥何を言っているのかおわかりでしょうか?
通常、スケッチブックとは、
絵が描きやすい白くて厚手のきれいな紙が
リングなどで束ねられているものです。
ところが、この箱に入っている
すべてのスケッチブックは、
絵を描く白い紙が「紙ナプキン」なんです。
そう、レストランやハンバーガーショップにある、
あの「紙ナプキン」です。
ふかふかでやわらかい紙ナプキン。
それにびっしりと、
ほんとうに、これでもかとびっしりと、
大量のイラストが描き込まれています。
それを束ねたスケッチブックが、
何十冊と箱にぎっしり!
これを見て、途方に暮れた河野校長からのメールが
ほぼ日社内に向けて送信されました。
「田中靖夫さんから大量の絵が到着。
どうしたらいいか相談にのってほしい」
何名かの乗組員があつまり、
箱の中身に触れました。
「‥‥すごい」
「量もすごいけど、質もすばらしい」
「だめだ、いつまでも見ちゃう」
そうやって唖然としていたら‥‥
なんということでしょう。
数日後に、もうひとつ同じ箱が届いたのです。
送り主は、再び田中靖夫。
中にはぎっしり紙ナプキンのスケッチブック。
もちろん、すべてにびっしりイラストが。
とんでもないクリエイティブの箱が、
2つになってしまいました。
こ、これをどうすればよいのだろう‥‥?
「とにかく田中靖夫さんにお話を訊きたい」
そんな声が挙がったのは当然の流れでした。
後日、田中靖夫さんに
「ほぼ日神田ビル」にお越しいただき、
お話をうかがうことができました。
最終的には、
この2箱分のスケッチブックを
TOBICHIに展示することが決まりました。
わたしたちが受けたのと同じ衝撃を
体験していただくために、
あえてこのまま手にとってご覧いただきます。
また、田中靖夫さんからは、
展示についての強い希望がありました。
「できるだけ宣伝をしないで、
来た人がたまたま見るような展示にしてほしい」
このご希望に応えるため、
TOBICHIでの事前告知は行いませんでした。
いま読んでいただいている
このコンテンツ自体も
展示を行う初日に忽然とアップしています。
ひっそりひらく展示会なので、
会期も短く、一週間です。
TOBICHIのご案内ページはこちらをご覧ください。
と‥‥
導入の文章だけでこんなに長くなっていますが、
この企画は長くなっても一気にお届けします。
どうぞ一息でお読みください。
「ほぼ日神田ビル」の会議室で、
田中靖夫さんにうかがったお話を下に記します。
3月中旬の月曜日、午後4時過ぎ。
わたしたちは山ほどの質問を抱えて
田中さんを待ち構えていました。
なのですが、
わたしたちが質問をするよりも先に、
田中さんは椅子に座るやいなや、
持参した道具を取り出し、
なにやら作業をはじめました。
‥‥田中さん、
もしかしたら、いまここで、
スケッチブックづくりの実演を‥‥??
-
- ───
- ‥‥あの、いまここで、
スケッチブックづくりの実演を?
- 田中
- ええ。
このセットで作っていくんですよ。
昔の和綴じのスタイルで。
- ───
- 和綴じ。
- 田中
- こうやって目打ちで穴をあけて。
台はかまぼこの板です。
これが、柔らかくてやりやすい。
それで、あ、これです。刺繍の糸。
これで縛るっていうか、綴じる。
- ───
- この作業は、
いつもはお家でやるんですよね。
- 田中
- うちでやります、夜中。
家族が寝てからがいちばん。
- ───
- 落ち着いてできる?
- 田中
- そうですね、
楽しいっていうか。
- ───
- 環境が違うのに、
見せてくださってありがとうございます。
- 田中
- 「なんちゃって和綴じ」です。
‥‥(つくり終えて)こんな感じで。
- ───
- 拝見します。
- 田中
- 元はペロッとした
ただのペーパーナプキンの束なんですけど、
こうすると、一応、和綴じの本っていうか、
何も描かれてない
スケッチブックができるわけです。
で、さあ、
中の余白をどうやって埋めていくか。
- ───
- 何かを描かなくてはいけない、
そういうものになりますよね。
- 田中
- そうそう!
- ───
- 自分で用意した余白ですが、
それを「埋めなくては」と思うのですね。
- 田中
- 埋めることに重きを置いてます。
- ───
- 量で埋めることに。
- 田中
- この大きさだと電車の中でも描けるし、
喫茶店でも描ける。
手に入れる店によって紙の質もいろいろです。
通販でも買えますし。
でも、通販とかで買うと、
もうドカーンと来ちゃうんですよ。
あんまり多すぎるとちょっとね。
それも大変なんです。
- ───
- 紙ナプキンに描くというのは、
いつ頃からなんですか。
- 田中
- まあ、わりと長いことやってます。
じつは最初は、
これが売ってたんですよ。
- ───
- こういうスケッチブックが売られていた。
商品らしく、これはリングで綴じられてます。
あ、ほんとだ中の紙は紙ナプキンだ。
- 田中
- ペーパーナプキンを綴じたのが
お店にあった。
これ面白いなぁと思って使ってたんだけど、
ある日突然、発売中止になっちゃったんですよ。
- ───
- それでこうして、ご自分で綴じている。
- 田中
- そうですね。
あと、紙ナプキンに描いたのは、スターバックス。
ニューヨークに時々、1カ月とか行くことがあって、
その時にいつも行くスターバックスが、
朝すごく早くから開いていて、そこでずっと。
そこの茶色い紙のナプキンに描いていて、
それは「スタバの1日」っていうタイトル付けて、
シリーズになったんですけどね。
- ───
- 日課のように描かれてる感じなんですか。
- 田中
- いや、ダラダラと。
何だろう、
何かから逃げ出すために描いてる(笑)。
- ───
- 逃げ出すように。
- 田中
- 喫茶店が遅くまでやってた時はね、
夜の9時くらいに家から逃げ出して。
あとは、ファミレスとか。
いまはね、コインランドリー。
- ───
- コインランドリー?
- 田中
- そこくらいしか開いてない。
- ───
- あ、そうか、
こういう時期(非常事態宣言)ですから、
喫茶店、夜は開いてないですよね。
- 田中
- コインランドリーは、やってるんですよ。
- ───
- たしかに(笑)。
- 田中
- あそこに行って描いてる。
回ってる間、ずーっと。
そのために洗濯をするんです。 - ブーンっていうモーターの音が
何となくいいんですよ。
ブラッドベリの文章に出てきそうな、
こう、夏の祭りの、ブーンっていう。
- ───
- そうして描き続けたものを河野校長へ‥‥。
河野さんは、田中さんとお知り合いだった。
- 河野
- そうですね。
- ───
- かなり昔からの?
- 河野
- 菊地信義さんなんですよ、最初は。
- ※菊地信義さん
1997年に独立以降、
日本のブックデザインを牽引してきた装幀家。
そうそうたる作家たちの本を
1万2000点以上手がけている。
- 田中
- そうです。『中央公論』のころ。
- 河野
- 僕が『中央公論』に入って、
駆け出しの若いころだから、
1982年とか3年とかそこいらです。
『中央公論』を紙面改革しようとした時に、
ブックデザイナーの菊地信義さんが、
エディトリアルデザインに関わってくれたんですよ。
それはなかなかのチャレンジだったんだけど、
保守的な雑誌に新しいデザイン感覚を持ち込むのは
当時の編集部では、すごい抵抗があったんですね。 - 菊地さんと僕がまた型破りで、
あいつらがメチャクチャなことを始めた、って
白い目で見られがちで、
僕はもう編集部では居心地悪くて、
針のむしろに座ってるようで(笑)。 - その時に菊地さんが、イラストの切り札として
連れてきてくださったのが、
田中さんだったんですよ。
編集部はね、田中さんのイラストを見て、
ちょっとみんな面食らってました。
- 田中
- 当時、雑誌のイラストレーションって、
「埋め草」って言われたんです。
空いたところを埋めていくから。
- 河野
- 菊地さんはね、
イラストを大きく使おうとした走りだったんですよ。
「埋め草」ではなく、
むしろイラスト中心にしたページをつくろうと。
- ───
- なるほど、
おふたりにはそういうご縁があったんですね。 - 21年前にも、田中さんがある日ふらりと
スケッチブックを持って
当時の糸井事務所に来られたそうですが、
今回また前ぶれもなく箱が届いた、と。
- 河野
- そうなんです、前ぶれもなく。
会社の受付から
「届け物があります」っていうメールが来て、
レターパックか本だろうなと思って行ったら、
それらしきものは見当たらない。
床を見ると、これが置いてあるわけです。
- ───
- 立方体が。
- 河野
- そう。
たぶん何かの間違いで、
社内の別の人宛だろうなと。
だけど、送票を見たら僕の名前が入ってる。 - この箱ですからね、
きっとすごく重いと考えてグッと腰に力を入れて、
持ち上げたらそうでもない。
- ───
- はい(笑)、紙ナプキンですから。
- 河野
- 開ける前はわかんないですからね。
自分の机に持っていって、
開けてびっくり玉手箱ですよ。
「エッ?」
ほんとに声が出ました。
これをどうすればいいのか、
田中さんからの
ご要望が添えられているわけでもなく。
- ───
- 田中さんは、
なぜ河野校長に送ろうと?
- 田中
- 河野さん、校長でしょう?
とにかく校長にぶつけてみようと思って。
僕の知り合いの校長って他にいないから(笑)。
- ───
- とにかく校長先生に。
- 田中
- 昔だったら橋本治さんのところへ
持っていったと思います。
「こんなのまたやっちゃいました」って。
でも橋本さんはいないので。
橋本さんを忍ぶ会で
河野さんにお目にかかったのを思い出した、
ということもありました。
- ───
- そうでしたか。
- ‥‥いや、それにしてもすごい量です。
以前の記事でも田中さんは、
「量に意味がある」
とおっしゃってました。
- 田中
- 量しかないでしょう。
- ───
- 量しかない。
- 田中
- 昔、会社にいた頃から、
自分は量で立ち向かうしかないかなって
感じてたんです。
東京から横須賀へ通う横須賀線の中で、
その間の2時間くらいをたっぷり使って
スケッチブックに描いて、溜めてました。
- ───
- 21年前のスケッチブックには
ガイコツが描かれていて、
その量が、とんでもなく膨大だったんですよね。
量の説得力でみんなの心が動いて、
Tシャツをつくったり、展覧会をやったり。 - そして今回もやっぱり、
この量と質に心が動かされています。
見はじめたら止まらなくて。
- 田中
- いま、デザインでもなんでも
コンピューターでやっちゃうじゃないですか。
それにちょっと一石を投じるっていうか。
スケッチブックには、人の手触りっていうか、
そういうのがあると思って。
- ───
- 手触り‥‥。
たしかにこの作品たちは、
「手触り」が鑑賞するときの
ひとつの大切な要素だと思います。
- 田中
- 何かを訴えるとかじゃないですから。
ただこのふかふか感を感じてもらえれば
いいんじゃないのかなと。
- ───
- あの‥‥
この作品をTOBICHIに展示してもいいでしょうか。
- 田中
- ええ、もちろん。
素手で見てもらうようにしてください。
- ───
- 素手で、ですか。
みんなが触ってもいいんですか。
- 田中
- 構いません。
触ってもらわないと意味がない。
- ───
- じゃあ、たとえば
これをぜんぶテーブルに置いて。
- 田中
- もう、それが理想です。
椅子があって、座って、勝手に見て。
とにかく、触ってくれれば。
こう、めくる時の楽しさっていうか、
このふかふかを感じてもらって。
- ───
- わかりました。
そういう展示にします。
‥‥ちょっといま、
このテーブルに出してみますね。
- ───
- これは‥‥(さらに出す)。
- ───
- はあー‥‥(すべて出し終わる)。
- ───
- ぜんぶを並べるのは無理ですね。
- 田中
- 重ねてドンと置いてもらえば。
- ───
- スケッチブックの山から
好きなのを手にして見ていく。
- 田中
- はい。
あと、こういう時期ですから
密にならないように気をつけてもらって。
- ───
- ええ、それはもちろん。
- 田中
- できれば宣伝をしないで。
- ───
- え? 宣伝をしない。
- 田中
- たまたま来た人が、
たまたまやってるのをたまたま見る。
そういう展示にしてもらえると。
- ───
- なるほど、たまたまですか‥‥。
前例はないですが、
試みとしておもしろそうです。
- 河野
- なかったですね、
TOBICHIでそんな展覧会は。
前衛的です。
触る感じがアート。
- 田中
- ほんとに何もしなくていいので。
これを置く、それだけでいいです。
とにかく指の感覚でこのふかふかを触る。
そういう会にしてください。
- ───
- わかりました、
事前のお知らせなしで、
たまたま出会う展示をやってみます!
打ち合わせのあと、
会場となるTOBICHIを見ていただきました。田中靖夫さんへのインタビューはこれで終わりです。
2021年4月5日(月)、
このページが更新される午前11時から、
田中靖夫さんの展示会、
『ぼくのスケッチブック』、スタートです。
会期は7日間。
4月11日(日)で終了です。この記事を読んでくださった方はもう、
「たまたま見る」というわけにはいきませんが、
できれば偶然出くわしたようなお気持ちで、
この膨大な数の絵を
見て触って感じていただけるとうれしいです。最後までお読みくださり、ありがとうございました。