しなやかであること。
これからを自分らしく、
楽しく生きていくには
大切なキーワードなのかも知れません。
「こんなはずじゃなかった!」というような
不測の事態が起こったり、
あるとき突然やってみたいことが
湧き上がったり。
一方で、たくさんの“選択肢”から
選べる時代にもなってきています。
だからこそ、強く、柔軟に、
竹のようなしなやかさで
自分らしい時間を選びとれたら。
2024年に能登半島を襲った大地震。
そのなかにあって、
しなやかに生きる人に会いにいきました。
二人目にご紹介するのは、
「柚餅子総本家中浦屋」の屋号を引き継ぐ
4代目の中浦政克さんです。

  • えがらまんじゅう、丸柚餅子、
    輪島プリンにモッツァレラチーズまで!
    輪島にある、えがらまんじゅう中浦屋
    (マリンタウン店)の店先には、
    所狭しとたくさんの商品が並びます。

    「うちの店は創業115年。
    人気のえがらまんじゅうは
    その当時から作り続けています」

    店頭に置いてあるベンチに一緒に座った、
    柚餅子総本家中浦屋の屋号を引き継ぐ
    4代目の中浦政克さんは話し始めます。

    えがらまんじゅうとは、
    まんじゅうの生地に黄色く色付けされた
    餅米をのせたもの。
    中身は黒のこし餡です。
    くちなしで色付けされた餅米が
    栗のいがらに似ていることから、
    命名された生菓子。
    「いがら」が「えがら」になまって
    現在の呼称につながります。

    「朝は6時から作り始めます。
    およそ3時間半で300個ですかね。
    生地を作って、あんこを包むまでは
    私にしかできないから、
    朝早く起きてせっせとやってます」

    想像するだけで結構な重労働。
    てっきり機械で製造しているのかと思いきや、
    中浦さん自ら手作りしている事実に驚きます。

    「いや、本当は機械で作っていましたよ。
    でも年明けの震災で、
    工場の屋根が落ちてしまって、
    仕方なく私が手作業で作っています。
    ちょうど店の近くに、
    もともと定食屋だった場所が空いていて、
    そこを借りて朝から製造しているんです」

    大変なのは、
    えがらまんじゅうだけではありません。
    屋号の中にも入っている柚餅子も、
    この震災で大きな影響を受けました。

    銘菓の丸柚餅子(撮影:中浦屋さん)

    「創業時からつくっている丸柚餅子は、
    柚子の中身をくり抜き、
    味付けした餅米を詰めて蒸して
    乾燥させてつくります。
    できあがったらすぐに売るのではなくて、
    3年くらい寝かせるのが通常です。
    屋根が落ちた工場では、
    ほとんどの冷蔵庫がダメになった。
    でもその丸柚餅子が入った冷凍庫だけは
    奇跡的に通電していて。
    ひとまず他の商品を作っている工場に
    移しました。
    だから、丸柚餅子に関しては、
    とりあえず3年分は大丈夫なのですが、
    製造ラインがなくなってしまったので、
    その先をどうするか考えなくてはなりません」

    自分ができる最大限の力で
    大変な状況に向き合い、
    伝統を受け継ぐ中浦さん。
    お話を聞けば、
    なかなかのアイデアマンだと分かります。

    「ずっと作り続けている柚餅子ですが、
    30年くらい前、時代の変化と共に、
    思うように売れなくなってきたんです。

    たくさん研究や検討を重ねて出した結論が
    “お菓子としては高い”ということ。
    だから、お菓子のカテゴリではない
    売り方を考えました。

    じつはその頃の私は柚餅子をつまみに
    ウイスキーを飲んでいました(笑)。
    だからお酒に合うことは分かっていたので
    “酒のつまみ”として売ることに。
    チーズと合わせたらいいかなと思って、
    自社工場でチーズを作ることにしたんです」

    その視点とアイデアの鋭さに加えて、
    すぐにアクションに移すその行動力たるや!
    その力はビジネスのみならず、
    被災した人たちの心と体も支えました。

    震災直後、中浦さんは
    理事を務めるNPO法人輪島朝市と連携して
    炊き出しを開始。
    たくさんのおにぎりで、
    輪島エリアの人たちを助けます。

    「ゴールデンウィークまでは、
    ボランティアで炊き出しをしていました。
    そこからは経済復興のフェーズに入ったので、
    そのままおにぎりを
    販売することにしたんです。

    いま私たちが話しているこの場所の隣を
    厨房にして、おにぎりを売っています。
    7、8月には、店の前で
    ビアガーデンもやりました。
    今こそ人が集まる場所が必要だと思って」

    今はSilbern(ジルバーン)という
    ボランティア団体の岩本良さんと、
    支援に集まってきた人たちで
    おにぎり屋を切り盛り。

    土曜日から火曜日の営業で、
    提供するのは6種類。
    なるべく能登の素材を使って、
    心を込めておにぎりを握ります。
    土日は昼過ぎまでに
    100個が完売する状況です。

    「ボランティアの受け入れもやっていて、
    今は店の上に住み込みで働いている
    大学生が数人います。
    彼ら彼女らがYouTubeを使って、
    自分たちの目線で輪島の現状を
    伝えてくれています。

    単純な作業のボランティアも
    とてもありがたいのですが、
    自分たちのビジネスアイデアを
    持っている人たちに
    来てもらえたら嬉しいです」

    そう語る中浦さんは、
    新たにご自身と仲間たちで
    街の再建計画に着手するそうです。

    「どうなるか分かりませんが、
    本店のある商店街の若者たちは
    輪島に仮設の店舗を集めた
    商店街を作ろうとしています。

    復興とひと言で言っても、
    何をどうしたらいいか
    イメージがつきづらい人もいるはずですし。
    なるべくたくさんの人たちに、
    かたちとして見せていければと思っています」

    人任せではなく、まずは自分から。
    その背中が果たす役割はとても大きそうです。

    写真 |幡野広志


    • 柚餅子総本家中浦屋

    1910年創業。和菓子から洋菓子、さらにはチーズまでを手がける。輪島市内を中心に、パティスリーまで含めて5店舗を展開。輪島市河井町わいち4部97番地(輪島わいち本店)
    https://yubeshi.jp/

    • 中浦政克

    1964年生まれ。18歳のときに菓子作りの道を選ぶ。柚餅子総本家中浦屋の4代目としてその伝統を引き継ぐ。現在、全壊してしまった工場再建に伴う義援金を募集中。

    ※中浦政克さんは2024年11月3日(日)の
    「能登のこと、知ろう&味わおうの
    トークの会」イベントにも登場!
    詳しくはこちらのページからどうぞ。