復興支援をきっかけに通い始めた能登ですが、
訪問を重ね、風土に触れるなかで、
この地に根を張り生き抜く人たちに
すっかり魅了されています。

暮らしも仕事も
山と海のそばにあり、
自然の恵みも厳しさも
ありのままに受け入れる。
そんな地域の方々の姿勢が
とてもまぶしく感じられます。

6月の滞在では、
能登町、珠洲市、輪島市を訪れ、
ワイナリー、鍛冶屋、古民家レストランを営む
3組の仕事場におうかがいしました。

そこで出会ったしなやかな姿勢を、
乗組員のやすな が、
レポートします。

  • 空の澄んだブルー、
    山が織りなす緑のグラデーション、
    それらの色を映し出す田んぼの連なり、
    美しくおだやかな海。

    のと里山空港から車を走らせると、
    里山は春を越して、初夏の装い。
    あざやかな景色が広がっていました。

    集落に広がる田んぼや畑を
    なだらかな山が見守り、
    海からの風が吹き込みます。
    双方に恩恵を受けている様は、
    とてもあたたか。

    「能登の里山里海」は、
    世界的に重要な農業地域として、
    未来へ引き継いでいけるように、
    世界農業遺産に登録されているのだそうです。

    能登に通い始めてまだ日が浅い私たちですが、
    こういった風土に育まれてきた文化を
    生業にしている方たちに
    強く惹かれるようになりました。

    そこで、2024年6月の訪問は、
    そんな方々からじっくりと
    お話を伺うことを目的に。

    遠くない未来に、
    ほぼ日がご一緒できそうなことがあれば、
    相談できれば、とも思っていましたが、
    余震がおさまったとはいえず、
    水道が使えない家庭ものこっている状況。
    受け入れる側も、訪れる側も、
    みんなが心から楽しめるように、
    焦らず、タイミングを見計らって、
    無理のない活動をしていきたい。

    そんな思いを、4月からお世話になっている
    木村元洋さんにお伝えし、
    ご縁をつくっていただきました。

    能登町役場の灰谷貴光さんにも
    とってもお世話になりました。

    写真右が木村さん、左が灰谷さん
    能登町の「DOYA COFFEE」にて


    能登半島の西海岸沿いに
    絶景のブドウ畑と醸造所を
    かまえる「ハイディワイナリー」。

    3月にボランティアで
    訪問しようとしたものの、
    天候不良で畑作業が中止になっていたので、
    今回ようやくお会いすることができました。

    もともとわたしたちが
    ハイディワイナリーさんを知ったきっかけは、
    代表・醸造家の高作正樹さんの、
    SNSでの丁寧な発信。

    1月1日には、
    醸造所やショップなどを構える
    輪島市門前町は震度6強の揺れがあり、
    大きな畑をもつ皆月地区までの道路は、
    しばらく往来が困難に。
    カフェレストランとワインショップは
    建物が全壊するなど、
    きびしい状況にもかかわらず、
    震災直後から、この地に変わらず
    根を張り、前向きに向き合う意思と、
    詳細な被害・復旧状況を、
    ご自身の言葉で綴られていました。

    Instagram@heideewinery  2024年1月3日の投稿より

    横浜で生まれ育ち、
    スイスでワイン造りの勉強をした高作さん。

    メールではやりとりを重ねていたものの、
    実際にお会いするのははじめてのわたしたちを
    ほがらかな笑顔で受け入れ、
    「輪島を選んだ理由は、”土壌”なんです。
    ワイン用ブドウの栽培適地を探して、
    たどり着いたのが、この場所でした」
    と、畑へと案内してくださいました。

    眼下には、
    美しく立ち並ぶブドウの樹木。
    その奥には、大きな空と海。

    「わーーーー」と
    思わず歓声をあげてしまいました。

    事前にホームページを拝見しながら、
    「え、こんな絶景のワイナリーが
    日本にあるの?!」
    と、想像しきれずにいたのですが、
    写真のとおり、
    もしくはそれ以上かもしれない
    景観にびっくり。
    写真映えかな、なんて疑ったりして、
    ごめんなさい。

    「能登のテロワールを感じられる
    ワイン作り」を大切にされている高作さん。

    日本海の荒波で育つ魚、
    里山に自生する山菜。
    それらの味わいを引き立てて、
    さらに新しさを探求する姿勢の内側には、
    地域の文化を大切にする誠実なあたたかさと、
    事実とまっすぐに向き合うロジカルさがあり、
    このひとの生み出すワインは、
    きっと澄み渡った美しさがあるのだろうと
    思わされます。

    「輪島に積極的に来てください、
    といえるようになるまでは、
    まだすこし時間がかかるかな、と。
    それまでは県外にも
    どんどん出ていくつもりです。
    地域の事業者さんたちともいっしょに、
    奥能登のよさを感じてもらって、
    いつかは行きたいと思ってもらえるような
    イベントなんかも考えてるんです」

    自然にも周囲のひとにも誠実に、
    地に足のついたフィロソフィーのもと、
    醸造されたワインは、どんなお味なんだろう。
    気になって仕方ないわたしたちは、
    帰りがけにショップでワインを
    購入させてもらいました。

    そのまえに、いしる干しのふぐやイカを、
    輪島の新甫実商店さんで調達していたので、
    魚料理に合いますよ、と教えていただいた
    白ワインの千里アルバリーニョに。

    高作さんと再会をお約束して、
    ワイナリーを後にしました。

     


    「創業115年の老舗鍛冶屋」と伺って、
    厳格な職人さんが静かに作業をすすめる、
    おごそかな雰囲気を想像していましたが、
    実際に訪れてみると、
    店構えからして、オープンな雰囲気。
    4代目の干場健太朗さんと妻の由佳さんが
    笑顔で迎え入れてくださいました。

    店内には刃物や、
    大小さまざまな道具がずらり。

    鍬(くわ)や鋤(すき)など、
    用途がすぐにわかるものもあれば、
    海女さんが使うサザエをとるための道具、
    畑に野菜の苗を植えるときに便利な
    ちいさな豆鎌、
    イノシシをさばくためのフック、
    牛の爪切りなどなど、
    パッと見ただけでは想像ができない、
    おもしろいかたちの数々が並びます。

    わたしたちは、
    「岩牡蠣も真牡蠣も、どんなに硬くしまってても
    これ一本で開けますよ」
    と教えていただいた
    牡蠣の貝開けを迷わず購入。

    「地域の方が、ほしい道具のアイデアを
    カレンダーの裏に書いたりして
    持ってこられるんです。
    そんなときは、まず2つ
    作ってみることにしています。

    山と海のそばで暮らし
    農業や漁業、伝統工芸を生業にしている
    能登のみなさんは、暮らし方が近いんです。
    だから誰かが必要としているものは、
    他の誰かの役にも立つことがよくあって」
    と由佳さん。

    そんなお話を伺っていたら、
    郵便局の配達員さんが、
    A4サイズほどの小箱をたくさんかかえて、
    お店のなかへ入ってこられました。

    切れなくなった包丁を
    専用の箱に入れて送っていただき、
    専門の職人が研いで、返送するという
    「ポチスパ」というサービスなのだとか。

    「既存の郵便のシステムを活用することで、
    コストを抑え、納期も短くできるので、
    リピートしてくださる方も多いんです。
    震災後は、送ってくださる包丁に
    お手紙を添えていただいたりもして、
    とても励みになっています」
    と健太朗さん。

    店舗の奥も、明るい雰囲気。
    職人さんたちが役割分担をしながら、
    次から次へと届く
    刃物や道具の手入れを進めていました。

    地域の農林水産業や伝統工芸を
    支える道具があるいっぽうで、
    アウトドアなどの趣味をもつひとの
    楽しみを豊かにしてくれる道具も多々。

    アイヌ民族の短刀が北前船で
    能登へと伝わったという「能登マキリ」は、
    魚をさばくだけではなく、
    網の手入れなど漁業のあらゆるシーンで
    重宝されてきたものですが、
    いまはその使い勝手のよさから
    キャンプ好きにも重宝されているそうです。

    「1月1日の震災で揺れを感じたとき、
    わたしは真っ先に「マキリ」を
    手にとったんです(笑)。
    避難したら、しばらく
    帰ってこられないかもしれない。
    でも、これ1本あれば、
    焚き火もできるし、お魚もさばける。

    仕事が終わったあと、
    17時ごろから子どもたちといっしょに、
    珪藻土七輪やマキリを持って
    車でちかくのキャンプ場に出かける
    なんてことをしたりもします。
    途中で買った魚や野菜を
    向こうで調理して食べて、
    20時には帰ってくるんです」
    と由佳さん。

    なんてうらやましい、
    能登の暮らしなんでしょうか。

    アンティークの刃物を研ぎ直した商品は、
    海外からのニーズも高まっているそうです。

    ふくべ鍛冶さんの誠実なお仕事は、
    これから世の中が進むほど、
    大切さが見直され、より必要とされていく。
    そんなふうに思いました。

     


    6月3日。
    珠洲市の和食レストラン
    「典座」のはなれの宿で迎えた
    朝6時半ごろ、
    震度5強の余震がありました。

    寝ぼけ眼だったわたしは、
    ぽろぽろと落ちてきた
    土壁の欠片のようなもので、
    この揺れが現実のものであることを認識。

    揺れていた時間は短かったので、
    動揺する心を落ち着け、ベッドの上で深呼吸。
    「まずできることは‥‥」と
    入口の引き戸を開けたら、
    ご主人の坂本市郎さんが
    外に出てきてくださっていました。

    そのやさしい表情を前に、
    朝一番から地震の話をするのは、
    なんだか違う気がして、とっさに
    「おはようございます」とご挨拶。

    「揺れたね、びっくりしたね。
    今日はもう大丈夫だと思うけどね」
    と、わたしたちが心配しないよう、
    気遣ってくださる市郎さん。

    「典座」はもともと、市郎さんのご実家で、
    築180年を越える味わい深い木造家屋。
    地盤がしっかりしているのか、
    1月1日の震災のときも、
    まわりの建物が厳しい被害を受けるなか、
    なんとか無事で、
    すぐに営業を再開したそうです。

    この日も妻の信子さんは、
    復旧のために珠洲に滞在している
    作業員さんたちの朝ごはん作りのために、
    すでに出発されていました。

    前回お会いしたとき、
    信子さんは強くこうおっしゃっていました。
    「珠洲から、
    誰も出ていかないでほしいんです」

    「典座」とは、仏教の用語で、
    食事を司るひと
    という意味だそうです。

    避難所生活が続く方たちのために。
    被災した同業の飲食店事業者の仲間が、
    珠洲から離れなくてすむように。

    炊事を担うことで、まわりを勇気づけ、
    ご自身も凛と立ち続け、
    休むことなく動き続ける信子さん。
    そんな姿勢に、頭が下がります。

    市郎さんが陶芸をする窯も、
    ボランティアの方の協力を得ながら、
    再始動を目指しています。

    珠洲焼は、素朴なようで、
    光の加減によって、深くて優しい、
    さまざまな表情がうまれる器。
    釉薬をかけずに焼くことで、
    窯のなかで薪の灰がかかり、
    溶けてツヤが出るのだとか。

    わたしたちは震災の被害をまぬがれた
    おちょこを分けていただきました。

    「典座」で過ごした時間を思い出すとき、
    能登の海辺にたくさん咲く
    浜昼顔のすがたが頭に浮かびます。
    強く生きるための根を地下に張り、
    やさしいピンク色で群れ咲く様子は、
    おふたりのようであり、
    珠洲の人たちのイメージとも重なります。

    いつか、遠くない未来、
    この地に流れるいい空気を、
    一人でも多くのひとが触れられますように。

    珠洲の先端、
    海の守り神が宿る須須神社で
    そんな願いをこめて、手を合わせました。

     


    (おまけ)

    金沢と奥能登をむすぶ
    車専用道路「のと里山海道」は
    最高のドライブウェイ。

    これまで能登でのレンタカーは、
    運転に慣れている仲間に頼っていました。
    でも今回の往路で、大きな通りは道路の復旧が
    ずいぶんと進んでいることがわかったので、
    輪島から金沢へ向かう帰路は、
    運転が苦手なわたしがハンドルを握ることに。
    日が傾き、おおきな空と海が赤く染まる
    美しい車窓を横目に、
    とっても気持ちよく走ることができました。

    ※多くの区間で一方通行となっていた「のと里山海道」は、ほぼすべての区間で対面通行できるようになりました。


    これまでののとレポートはこちら