ラグビーワールドカップ日本大会から
あっという間に1年が経ちました。
アイルランドやスコットランドを撃破し、
悲願のベスト8進出を成し遂げた日本代表。
2015年のワールドカップで南アフリカに勝ち、
「スポーツ史上最大の番狂わせ」と言われた実力は
奇跡ではなく必然だったと見事に証明しました。
2015年大会で活躍した真壁伸弥さんと
2019年大会に全試合出場の中村亮土さんをゲストに、
司会進行にスポーツライターの生島淳さん、
にわかラグビーファンの糸井重里を交えて
ラグビートークをおこないました。
思えば、2015年からのにわかファンは
幸せな思い出ばかり経験しています。
ああ、ラグビーをまた観にいきたい‥‥!
中村亮土(サントリーサンゴリアス/ラグビー日本代表)
1991年6月3日生まれ。
ジャパンラグビートップリーグ、
サントリーサンゴリアスで
CTB(センター)/SO(スタンドオフ)を務める。
鹿児島県鹿児島市出身。
鹿児島実業高校入学時にラグビーを始め、
その後強豪の帝京大学に進学。
大学在学中は毎年大学選手権の優勝を経験し、
4年生時には主将としてチームを引っ張り、
個人としては4度目の優勝である、
大学ラグビー史上初の大学選手権5連覇に貢献。
大学在学中の2013年5月に
日本代表の選手として初キャップを獲得。
大学卒業後はトップリーグの強豪
サントリーサンゴリアスに入団。
2019年のラグビーワールドカップでは
全5試合に先発出場し、
日本代表史上初のベスト8進出に貢献した。
真壁伸弥(元ラグビー日本代表)
仙台工業高校→中央大学を経て
2009年サントリーサンゴリアスに入団。
1年目からトップリーグの新人賞と
ベスト15をダブル受賞。
と同時に2009年に日本代表初キャップを獲得。
現役時代は大型LOとして、
外国人選手にも引けを取らない突破力を武器に、
セットプレーの安定、ボールキャリアとして活躍した。
持ち前の闘争心で、出場すればプレーと声で
チームを鼓舞して2016年度、17年度の
サントリーの2季連続2冠にも貢献した。
2019年、惜しまれつつも現役を引退し、
現在はサントリーで主に営業を担当し、
ウイスキー講座を行っている。
生島 淳(スポーツライター)
1967年宮城県気仙沼市生まれ。
早稲田大学卒業後、博報堂在職中の1993年、
NBA特集号にて『Number』デビュー。
五輪は1996年のアトランタに始まり7大会、
ラグビーW杯は1999年から現地に足を運ぶ。
著書に『奇跡のチーム』、
『箱根駅伝ナイン・ストーリーズ』
(ともに文春文庫)など。
最新刊は関西学院大学アメリカンフットボール部・
鳥内秀晃前監督との共著
『どんな男になんねん』(ベースボール・マガジン社)。
- 生島
- 糸井さんはいま
「NIWAKA DE GOMEN」の
Tシャツを着ていらっしゃいますよね。
「にわかファン」は2019年の
流行語大賞的なワードでした。
- 糸井
- 流行語大賞そのものと、
「的」では全然違いますけどね(笑)。
- 生島
- 糸井さんがラグビーを応援するようになって、
最初に「にわかを大事にしませんか」
と言っていたことが実現しました。
「にわか」ということばは、
どちらかというとネガに振ったことばですが、
ワールドカップ後には完全にポジになりました。
その振り返りからしていただこうかなと。
- 糸井
- ネガなことばをポジにするのは趣味なんです。
昔ぼくが作ったコピーに
「おいしい生活」というのがありますけど、
それは「より良い生活」と言われていた時代に
「おいしい生活」と出すことで、良いも悪いじゃなく、
おいしいかまずいかが大事になるんじゃないの、
という話にしたかったんです。
じぶんが「にわかファン」であることは
直しようのない事実なんで、
「にわか」がかっこ悪いと思われないように、
にわかなりの努力をしてみたんですよね。
しかもワールドカップで活躍した選手たちが、
「にわかの人も、みんないらっしゃい!」
と言ってくれたじゃないですか。
その景色を夢見て「NIWAKA DE GOMEN」
というTシャツを作ったんで、
思った通りになっていますよね。
やっぱり嬉しいです。
- 生島
- いや、本当にすごいことですよ。
中村亮土選手は実際に戦ったわけですが、
ワールドカップの直前まで
ラグビーに興味のない人もたくさんいました。
この1年の変化、どう振り返りますか。
- 中村
- ぼく自身も社員選手からプロ選手になって、
だいぶ生活は変わりました。
ラグビーをこれだけ魅力的に
感じてくれている人が増えたことで、
声を掛けていただくことも多くなりましたし、
選手としての自覚が生まれた1年でした。
- 生島
- 中村選手の先輩でもある真壁さんは、
この1年の間に引退された。
- 真壁
- ワールドカップの直前まで
ラグビーが盛り上がっていないのが不安で、
個人的に啓蒙活動をやっていました。
ぼくが引退するって噂が出た頃、
思った以上にぼくのことを応援してくれる人が現れて、
ラグビーやってよかったなってすごく思いました。
ラグビーにすごく感謝する1年でしたね。
引退してからもラグビーとは
関わって生きていきたいなと思っています。
- 生島
- さらに遡ると、
この5年の間に日本のラグビーは
大きく変わりましたよね。
2015年のワールドカップで
南アフリカに勝利する前まで、
正直、盛り上がっていなかった。
中村さん、2015年大会の前は
選手としてどんな状況でしたか。
- 中村
- 代表に選ばれるために必死でやっていましたが、
サントリー入社1年目で試合にも出られなくて、
アピールできる状態じゃありませんでした。
2014年に代表から離れることになって、
ほんとに悔しさを味わった1年ですね。
- 生島
- エディー・ジョーンズさんは
学生に厳しかったですよね。
- 真壁
- ボロボロやったよな(笑)。
- 中村
- ぼくは結構厳しくされていましたが、
おかげさまで、今にすごく活きています。
その頃の悔しさも、
今思えば大事だったんだなと思いますよね。
- 生島
- 真壁さんは日本代表に選ばれて、
2015年のワールドカップを目指して
「さあ行くぞ!」という時期ですよね。
- 真壁
- もちろん2015年の大会で勝たなきゃいけない
気持ちもあったんですけど、
当時のメンバーはその先の2019年も見ていました。
言い方は悪いですけど、
その時のラグビーって人気がまったくなくて、
危機感しか感じていませんでした。
2019年に日本でワールドカップを開催するのに
本当にこのままで大丈夫か、と。
2015年で結果をしっかりと残せなかったら、
2019年の日本大会は成功しない。
なんとしても結果を残さなきゃいけないという
プレッシャーがあった時期でしたね。
- 生島
- 日本でお客さんが入るのかなって、
関係者ほど心配していましたよね。
- 中村
- ほんと心配でしたよ。
- 真壁
- 心配してました。
だから、日本大会の開幕で
ロシア戦を見た時にもう号泣だったもん。
日本でこんな大会が見られるんだと思って、
ボロボロ泣いちゃった。
- 糸井
- ぼくは選手たち本人ですら
「人が入らないじゃないか」というチケットを
夜中に申し込んでいたわけですよ。
もうその時点で、大会がはじまる前に
だいぶ好きになっているんですよね。
- 生島
- 糸井さんがラグビーを観るようになったきっかけは
2015年の南アフリカ戦ですもんね。
その中継は、たまたまご覧になった?
- 糸井
- そう、たまたま。
土曜の深夜だったけれど起きていて、
家で仕事している時間でした。
「ああ、そういうのやってんだ」ぐらいの感じで、
テレビをつけておいたんです。
卓球をつい見ちゃうのと同じ意味ですよ。
- 中村
- なんかすごくわかります。
つい見入っちゃうんですよね。
- 糸井
- 卓球は卓球でおもしろいし、
バレーボールもおもしろいよね。
みんなおもしろいんで
スポーツ全体を見ちゃうんですけど、
あの南ア戦は、だんだん前のめりになりました。
「わっ、えらいことが起きているんだ!」と、
知らないなりにワクワクしてきたんですよね。
最後の最後まで日本が攻め続けて
「ここまでくるとおれ、負けたら泣いちゃうぞ」
という気分にまでなったんです。
ネガティブがないとファンにならないんですよ。
「いいぞ、いいぞ」だけで応援していても、
好きになるのは難しいんです。
- 生島
- 「ネガティブがないとファンにならない」
おもしろい表現ですね。
でも、糸井さんは
読売ジャイアンツのファンですよね。
いい思いをされてきた球団だと思いますが、
それとはまた違うんですか。
- 糸井
- うん、ジャイアンツとは違います。
野球で優勝するチームの勝率って、
だいたい5割8分とかそんな程度で、
半分よりちょっと勝ったチームが優勝です。
ということは、
ほとんど負けているとも言えますよね。
- 生島
- そうか、プロ野球ってそうですよね。
ラグビーの場合なら、
強いチームは全部勝っちゃいますが。
- 糸井
- プロ野球って5割の辺りで戦っているんで、
負けた試合での悔しさが燃料にもなるんですよ。
ジャイアンツがずっと勝っている間って、
じつはぼく、ちょっとよそ見をしてますから。
恋愛のドラマでもさ、
すれ違いがあるからおもしろいんですよ。
「ぼくたちずっと幸せだね」ってドラマ、
見たことないじゃないですか。
家も建ったし、白い家具も届いたし、
よかったねみたいなドラマ、
毎週やってたらダメだよね。
- 真壁
- 誰も見ないでしょうね。
- 生島
- 2015年の南アフリカ戦の80分間には
ラグビーの魅力が凝縮していたんで、
ネガティブな想像力も働いて、
ワクワクが体験できたんですね。
- 糸井
- あとね、ラグビーのテレビ中継には
フェアな感じが漂っていたんですよ。
ぼくは野球のラジオ中継のアナウンスが嫌で、
何があっても大事件があったかのように
絶えず叫んでいるじゃないですか。
でもラグビーの中継って、
興奮しているけど落ち着いているというか、
そのフェアな感じがぼくに届いたんです。
(つづきます)
2020-11-17-TUE
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