担当の刑事さんから訊かれました。
ご遺体はどのようにいたしましょうか？　と。
その質問の意味が最初はわかりませんでした。

趣意はこうです。
本来、遺体を引き取ることができるのは親族だけ。
引き取って葬儀をとりおこなうのも遺族の仕事。
けれどご遺体のご家族は遠くにいるから、
長距離の移動の自粛が要請されているこの時期に、
わざわざ東京までお越しいただくことは、
おそらくむつかしい。
あなたさえよければ遺族の代理人として
遺体を引き渡したいのですが、
どうでしょうか‥‥、と。

ご遺族さえそれでよければ喜んでとボクは答え、
その気持ちを刑事さんから
彼のお母さんに伝えてもらいました。
そして結局、遺族の代理として
ボクが一切をとりしきることになり、
彼の親族との打ち合わせがはじまりました。

打ち合わせの窓口は妹さんになりました。
家族の中でも一番兄と親しかったのは私だったので‥‥、
と、SNSでのやりとりがはじまりました。
ただ話が話だけに言葉遣いは互いにかたい。
しかも実際に会ったこともないのに、
いきなり深刻な話の連続です。
気持ちがこわばっていくのを感じます。
そんなときに妹さんからこんなひとことがありました。

兄はお部屋を散らかしてはいませんでしたか？

見事な散らかしようでしたよ！
ズボンなんて、ベルトを外してストンと床に落としたら
足を抜き出してそのまま床に放りっぱなし。
穿くときは穴に足を入れ
ベルトを持ち上げればいい状態‥‥、
って感じでした。

そう言うと妹さんから、
昔からそうだったんです、
ご迷惑おかけしましたって返事が届き、
一緒にモノクロの画像が１枚送られてきました。
彼の小さな頃の写真でした。
八の字に下がった眉毛に奥二重のくりっとした目。
たしかに今の彼に通じる、愛嬌のあるかわいい顔で、
ボクの知らない時代の彼に、はじめて会いました。

チャーリーブラウンに似ていたから、
みんなでチャーリー、チャーリーって
呼んでいたんですって妹さんが言う。
そういえば彼、昔流行ったSNSのアカウント名は
チャーリーだったと言っていましたっけ。

代わりにボクは彼の写真を何枚も送りました。
最近友だちと一緒に撮った写真は、
ほとんどが彼が何かを食べているところでした。
一緒に食事をするのがたのしくて、
しかも食べてる表情が愛らしかったから、
ボクのカメラには
彼が食べてるところの写真が沢山ありました。

こんな幸せそうな表情の兄を、
私たちも見たことがありません。
兄が生きているときにこういうやり取りが出来ていたら、
どんなにステキなことだったでしょうネ。

そう妹さんに言われて、
彼のシアワセをボクが独り占めしていたのかと
彼の家族にいささか申し訳ない気持ちにすらなりました。

写真を探していくと、
付き合いはじめた頃のものがたくさん出てきました。
街角のちょっとしたスナップ写真や旅行の写真。
部屋でくつろいでいるところや、
ペットと同じ姿でベッドに並んで寝ているところ。
まだそれほど太ってなかったんだなぁ‥‥、
なんて思ってしみじみ懐かしみました。
けれども、写真の枚数は徐々に減ります。
気分転換にと、旅行に行ったときの写真は
かなりあるのですが、
日常的なスナップが減り、
食事のときの写真がほとんどになっていきました。

多分、一緒にいることが
当たり前になりはじめたからなんでしょう。
ボクが事業に失敗した年からしばらくは、
ほとんど写真はありません。
それから徐々に写真の数はまた増えていきます。
ボクたち２人に元気がでるようにと、
友人たちがボクらを呼び出し、
一緒に遊んでくれたときの写真が中心でした。
みんなで撮った写真がどんどん増えて、
２人きり、あるいは彼だけの写真は
ほとんどなくなりました。

３年前に同居をはじめてからというもの、
彼の写真は月に１枚、あるかないか。
一緒に住むということで、
いつも一緒にいられるから、
写真なんか撮る必要がなかったんだ‥‥、
と考えることもできます。
あるいは
ボクたちの中から「恋人」の部分が
どんどん薄れていってしまったのかもしれません。

そういえば、昔は夜の人通りのない通りで、
手をつないで歩いたりしました。
でも最近、手をつないでなかったなぁ。

そんな中、ちょっと困ったことが起きました。

彼には、ボクの会社を手伝ってもらっていて、
資料集めや、ボクが作る企画書のイラストを
描いてもらっていたりしたのですが、
一番多い仕事は請求書を作って出したり、
経費の払い込み、
つまり経理の仕事でした。
彼が逝ってしまったのが、
ちょうど支払いや請求業務を
しなくちゃいけないタイミング。
台帳や資料はみんな彼のパソコンの中でした。

悩みました。

それは仕事専用ではなく、
彼が個人的にも使っているパソコンでした。
中にはプライベートなデータがあるかもしれない。
パートナーとはいえ、
見られたくないものがあるかもしれませんし、
ボクにとっても、見たくないものを
見なくちゃいけなくなったらどうしよう‥‥、と、
かなり戸惑い、迷いながら、
パソコンを立ち上げました。

ポーンっと低い音と一緒に画面が明るくなる。
カリカリカリカリ、
ハードディスクを探りに行く音がして、
しばらくすると起動画面が立ち上がる。
データ領域にはパスワードがかけられていました。
数字４桁。
もしかしたらと、ボクの誕生日を入力すると、
すんなり解除されました。

ボクの誕生日がパスワード。
なんだかそれがしみじみうれしく、
それと同時に、
そのパソコンの中に閉じ込められていた
彼のプライバシーに直面する覚悟ができました。

デスクトップは痛快なほどに散らかっていました。
画面いっぱいにデータのアイコンやフォルダが散らばり、
整理するのはひと苦労。
データアイコンのほとんどは、
彼が最近、描きためていた絵の
下描きや資料画像でした。

それ以外は経理関係の資料。
ボクが見たくないものはまるでありませんでした。
まるでボクに整理してもらいたい‥‥、
と彼が言っているような不思議な感覚の中、
ファイルのひとつひとつを丁寧に見直し、
中に１枚、写真をみつけました。

年かさの男性の横顔を写した写真でした。
場所は新宿御苑。
池のほとりに置かれたベンチに座って撮ったのでしょう、
向こうに西新宿の超高層ビルが小さく写り込んでいます。
昔、彼が気に入っていたハンチングをかぶり、
満面の笑顔で遠くを眺めています。

彼のお父さんだろうと思いました。

親父はボクの顔をみると、
いつも口うるさくあれこれ言うんだ。
なのにボクが着ているものを着たがって、
帽子やＴシャツをいつもとられる。
年をとってるから似合いやしないのに。

そう彼がよく言っていました。
そういえば５年ほど前だったか、
ご両親が東京に出てくることがあって、
新宿御苑に行ったんだと
彼が言ってたのを思い出しました。
そのときに撮った写真じゃないかと、
妹さんに写真を送りました。
答えは思った通りでした。

これが最後の旅になるかもしれないと
無理してわざわざ東京に行ったんです。
家に帰ったら疲れ果てて、
しばらく寝込んだくらいの旅行でした。
でも兄に会えて良かった、
帽子ももらったんだと、
それから散歩するときには
いつもそれをかぶっていたほどです、って。

彼が着ていたものを欲しがったのは、
それを着ていると、
大切な息子と一緒にいるような
気持ちになれるからだったのでしょう。
ちなみにその日、
ボクはあいにく出張でした。
もしそうでなければ
ボクも一緒に食事ができたかもしれません。

そういえば今年の春、
花見をしようと新宿御苑に２人で行きました。
まだ桜がほとんど咲いていない平日で、
公園の中の人影もまばら。
１枚、写真を撮りたい場所があるんだよね‥‥、と
彼は池を目指して歩きました。
ところがコロナウイルス対策で、
池のほとりに置かれてあった椅子が撤去され、
「椅子がないんじゃしょうがない」と、
結局写真を撮らずにブラブラ、歩いて帰りました。

お父さんと同じ場所で、
同じような写真を撮りたかったんだね。