みなさま、おひさしぶりです。
2000年(まだ20世紀!)に始まった
「新宿二丁目のほがらかな人々。」。
連載の3シリーズ目「ゴージャスって何よ?」から
2015年の68シリーズ目「結婚って言われても。」まで、
ジョージさん、つねさん、ノリスケさんの3人で、
ほがらかなトークをお届けしてきました。
その後、ジョージさんとは「ほぼ日」で
いろんなお仕事をご一緒してきましたけれど、
最近はめっきり3人での登場がなく、
「どうしているかなぁ」なんて思ってくださったかたも
いらっしゃるかもしれません。
また、あのトークが聞きたいな、と、
「ほぼ日」も思っていたのですけれど、
残念なおしらせをしなければいけなくなりました。
2020年4月23日、木曜日の朝、
ジョージさんのパートナーであるつねさんが、
亡くなりました。
56歳でした。
そのときのこと、そしてつねさんのことを、
この場所でちゃんとおしらせしたいと、
ずっとそばにいたジョージさんが、
文章でお伝えすることになりました。
イラストレーションは、ジョージさん、つねさんと
とても親しかったイラストレーターの
おおたうにさんが担当してくださいました。
なお、「ほぼ日」には、これまでの、
アーカイブも、たーーーーっぷり、残っています。
ほがらかにおしゃべりする3人に、
いつでも、ここで会えますよ。
文=ジョージ
イラストレーション=おおたうに
30歳を過ぎた頃、
ボクは両親にカミングアウトをしました。
彼と出会う数年前の出来事です。
その頃、一人暮らしをはじめたボクに会うたび、
母は、そろそろ結婚を考えなくちゃネと、
お見合い写真を手渡すのが常でした。
実際に、何度かお見合いもしました。
そのたび、なにか理由をつけて断ることが、
もう重たくて、重たくて。
このまま自分に嘘をついていると、
本当の自分がなくなっちゃいそうで、怖くて怖くて。
それで、両親に手紙を書きました。
ぼくはゲイです、と。
手紙を読んだ両親から、
家で話をしようじゃないかと電話がありました。
それで実家に戻ると、彼らはこう言いました。
お父さんもお母さんもそうじゃないかと思っていた。
治すたぐいのものじゃないのは勉強をして知っている。
あとはあなたの覚悟の問題。
私たちも応援する。
そう言われてボクは
自分らしく生きる自由を手に入れました。
というよりも、自分らしく生きるとは
どういうことなんだろうと、
それを真剣に考えるきっかけが
カミングアウトだったのです。
自分らしく生きるというのは、仕事の上では、
自分の得意なことと才能を最大限に活かして、
世の中の役に立つように、ということになります。
でも私生活においてはちょっと定義がむつかしい。
ボクの場合、決して
「ゲイらしく生きる」ということではありません。
「ゲイであることを言い訳にしない」ことが、
これからのボクの生き方であるべきなんだと覚悟しました。
プレイボーイ的な2丁目との付き合いを
反省したのもこの時期でした。
ゲイの友達との付き合い方を
真剣に考えたのもこの時期でした。
それまでボクはずっと社会的には
「ゲイかもしれない」曖昧な存在でした。
だから例えば実家に男友達を連れて行く、
ということに対して、
なんの思惑も疑念もそこにはなかった。
ところがボクはゲイであると宣言したのですから、
そのボクと一緒に行動している男性は、
「もしかしたらゲイ」ではなくて
「おそらくゲイ」だと思われる。
カミングアウトすることで
ボクの気持ちはスッキリしたけど
ボクに関わりをもつ人たちまで
ボクのカミングアウトに巻き込んでしまうことになります。
あぁ、大変なコトをしちゃったのかもしれないなぁ‥‥。
これからのボクと付き合うということは、
あいまいな立場のボクと付き合うのとは
違った覚悟を相手に要求することになる。
真剣に付き合う相手を求めはじめたきっかけは、
今になってみれば
両親へのカミングアウトだったんでしょう。
そして出会ったのが彼でした。
つきあいはじめの儀式めいた駆け引きのあと、
ずっと彼と一緒にいられるに違いないと確信を得て、
ボクはおそるおそる彼に告白しました。
ボクは両親にカミングアウトしてるんだ。
「ボクはカミングアウトできない」とか、
「そういう話は面倒くさい」などと
言われてしまったらどうしようと、
内心ビクビクしながら言ったことに対して、
彼の答えはこうでした。
「もしご両親に会うことがあったら、
ご両親はボクのことを
恋人だって思って見るんだろうね!
恥ずかしくない格好で
会わなくちゃいけないってことだね!」
明るい、意外な答えにボクは
「‥‥そうだね、多分、思うだろうね」
と答えるほかありませんでした。
40歳を過ぎたころ、
社員と、お客様の一部に向けて
カミングアウトをしました。
父と一緒にやっていた会社でした。
父が作った地盤の上に
ボクは新しい発想と仕組みで、
まるで違ったビジネスをスタートさせ、
収益性を飛躍的にたかめることを成功させていました。
その手腕と成果で、押しも押されもせぬ
父の後継者として認められはじめたのが、
40歳を過ぎた頃でした。
両親にはカミングアウトをしていたものの、
社会的にはしていなかったボクでしたが、
ゲイではないかという噂はあって、
それが組織を揺るがせていました。
社員がお客様のところに行くと、
お宅の跡継ぎはゲイじゃないのかと言われた。
お客様同士が集まって飲んだとき、
話はボクの怪しい噂でもちきりだ‥‥と耳に入り、
それならば、と、
カミングアウトをすることにしたのです。
まず社員に伝えました。
ボクはゲイです。でも一生懸命がんばって、
みんなのために働きますから、
よろしくお願いします‥‥、と。
それに続いてお客様にも
同じように頭を下げて伝えました。
もし、そんな奴には関わりたくない、
そんな奴が経営する会社と関係をもつのは嫌だ、
というのであれば、
ボクはこの会社の経営から身を引きますとまで言い、
それをきっかけに騒ぎはおさまって、
ボクは後に「父の跡継ぎ」として
社長になることを認められました。
ただ今となってみればボクと彼の関係こそが、
会社関係の人たちにカミングアウトを迫った
本当の理由だったのかもしれないと思います。
ボクの新しい仕事に彼のスキルと才能は必要不可欠でした。
彼がいてくれたからこそ思いついた仕事も多数。
けれどもさすがに彼を社員に登用することは
ボクも彼も抵抗があり、
ボクは彼との仕事のために新しい会社を作って、
そこの専属スタッフとして契約をしました。
プロジェクトの中心的な役割をし、
クライアントの会社に行って打ち合わせするのも
日常茶飯事。
しかもボクと彼との距離の近さ。
それは物理的な距離というよりも
心理的な距離の近さという意味で、
彼がしゃべるとあたかもボクがそこにいるようで、
いったい2人の関係はどうなんだろう‥‥、
と憶測を呼んでいました。
仲のいいおじさん2人が同じような装いで、
仕事の場で、同じようなことをしゃべるのですから。
人の目もあったろうに、
それを面倒と思わず、
ずっとボクと一緒にがんばってくれた。
その天真爛漫にどれほど救ってもらったか。
ありがとう。
おつかれさま。
ボクがボクらしく働けるようになった頃に
ふたりは出会いました。
ボクは成功に成功を重ねて
ふたりで豊かであることを享受して、
ふたりのための終の棲家まで手に入れ、
永遠を誓いました。
ところが会社がなくなって無一文になり、
ほぼボク一人の仕事がはじまり、
仕事の上では苦労が増えました。
なにより収入は減り生きていくのに必死になって、
彼を苦労の中に引きずり込んでしまうことになりました。
このローラーコースターのような浮き沈みの中で、
彼の笑顔とボクへの態度は変わることなく、
揺るぎなく、
いてくれるだけで勇気もでたし、ホッとした。
会社を整理し仕事が小さくなると同時に
人間関係が単純で見通せるようになることが
ボクにとってはこの上もないしあわせをくれました。
なにがしあわせといって、
彼と一緒にいることになんの理由も必要としない生き方が
できるようになったということ。
それに彼と一緒にいられる時間が増えたこと。
ボクがボクらしく生きることができるようになった頃に
同居がはじまりました。
彼はボクのことをずっと見てくれていた。
ボクと一緒に感じてくれて、
ボクの心の支えだった。
そんな彼がいなくなる。
なんとさみしく、つらいことでしょう。
3つ、後悔することがあります。
ひとつは彼のご家族ともっと早く知りあって、
彼を心から安心させてあげればよかったということ。
ふたつ目は
彼ともっと幸せになってやるんだと
強い意志をもって将来の話をしておくんだったということ。
彼といればただそれだけで幸せで
だからそう言う努力をボクは最近、怠っていました。
みっつ目はもっと彼のことを
知っておけばよかったなぁ‥‥、ということ。
この25年間、
彼はずっとボクのことを見続けていました。
ボクの笑顔も
ボクの涙も
彼が世界で一番たくさん見てくれていました。
好きなこと
嫌いなこと
得意なことに苦手なこと、
みんな知っていました。
テレビを見ながら何かを言うと
間髪入れずあいの手が出て、
ときに同じことを同じタイミングで言いはじめたりした。
同じように感じて
気づけば彼はボクにとって
もうひとりのボクのようになっていました。
ボクはずっとふたりでいました。
けれどそれは、ボクと彼がいたのではなく
ボクともうひとりのボクが一緒にいたんだネ。
ボクの25年間の記録が彼の頭の中には収められてて、
その記憶が日々更新されていました。
だから彼をなくすということは、
もうひとりいたボクがいなくなっちゃうことで、
その寂しさは何にたとえることができない、
深いかなしみです。
ところで果たしてボクは彼にとって
「もうひとりの彼」だったんだろうか。
彼が彼の目で何を見て
彼の耳で何を聞き、何を感じていたんだろうか。
ボクは彼のことをどれほど知っていたんだろう‥‥、と
思うとそれは心もとなく、
もっと知っておけばよかったと後悔をします。
そういえば、どこかに婚姻届があるはずです。
彼が役所でもらってきて、
ふたりしてサインはしたけれど、
はんこは押さずにどこかにしまっておいたはずの婚姻届。
彼が60になったらはんこを押して、
なんらかの方法で法的な関係を
むすぶのもいいなと思っていたんだけれど、
それもかなわぬ夢になっちゃった。
今、見ている空はボクと彼が見ていた空。
今日歩くいつもの町は、ボクと彼が歩いた町。
今はひとりで空を見て、ひとりで町を歩いています。
これからどんなにがんばっても
100%の完璧はもうボクにはやってこないに違いない。
どんなに仕事がうまくいっても
それを伝えて一緒に喜ぶ相手をなくした。
どんなにおいしいものを食べても
彼の笑顔を見ることができない料理は
99%のおいしさでしかありません。
99%の完璧。
それでも0%よりましと思って
精一杯にたのしむんだ。
彼に再び会う日まで。
(了)
2020-06-20-SAT