これまでのこと、ぜんぶ聞きたい。
生まれたときから、いままで、転んだり走ったりのぜんぶ。
時代を牽引してきたイラストレーター、
大橋歩さんの「あゆみ」をききました。
聞き手は、糸井重里です。
小さいころから絵が好きで、美大に進んだ大橋さん。
でも東京での仕事探しはうまくいきません。
大学4年の秋になり、ともだちに相談をしたら
そこからおどろきの展開に‥‥。
動画で配信中の「ほぼ日の學校」の授業の
一部を読みものでご覧ください。
大橋歩(おおはしあゆみ)
イラストレーター、デザイナー、エッセイスト。
1940年三重県生まれ、多摩美術大学油絵学科卒業後、
『平凡パンチ』の表紙専属を7年半つとめる。
1972年からフリーとなり、
雑誌や広告等で幅広く活躍を続ける。
エッセイや商品開発など、「イラスト」を軸に
新しい世界を開いていった第一人者。
1981年「イオグラフィック」を設立、
2002年から『アルネ』を、
2010年から『大人のおしゃれ』を発行。
ほとんどの記事を自らの企画、
写真取材、編集でつくりあげ、
ほかにはない編集姿勢で多くの読者に愛され続け、
『アルネ』は30号、『大人のおしゃれ』を17号で終了。
2010年8月にみずからのファッションブランド
「a.」(エードット)を立ち上げ、
洋服づくりと販売をスタート。
そのアイテムやグッズとともに、
身につけるクリエイティブを紹介する
ギャラリー&ショップを東京(イオショップ)と
京都(イオプラス)に開設。
2021年、81歳になったのを機に
イオグラフィックから独立、同年9月より、
京都のイオプラスをあたらしい拠点に。
-
専務さんに絵を見てもらいに行こうよ。
- 大橋
- 大学卒業したら、
三重県に帰んなくちゃいけなくなるから、
困った困ったと思ってたら、
ずっと仲良しだった安西くん(美大時代の友人)
が助けてくれたんです。
安西くんはもう就職が決まってて。
- 糸井
- 年は一緒なんですか?
- 大橋
- 私は浪人してるから年上で、
彼は現役だから一個下なんです。
彼に「実を言うと、わたしどこも全部ダメなの。
どうしようかと思ってるんだけど」って話をしたら、
「大丈夫だよ。
ぼくはヴァンヂャケの専務さんを知ってる」
って言うんですよ。
「ええ!どうして知ってるの?」って聞いたら、
「ぼくね、ファッションショーに出たんだよ」
と言うんですね。
※VAN(ヴァンヂャケット)
1948年に創業したアパレルメーカー。
60年台には「アイビールック」などの流行をつくり、
一世を風靡した。 - その時、ヴァンヂャケの専務さんと話をしたから、
絵を持って、専務さんに見てもらいに行こうよ
って言うんですね。
子どもだからね‥‥。
- 糸井
- すごい急展開ですね。
- 大橋
- ひどいと思いません?
そんな図々しく。
- 糸井
- 安西さんはかっこよかったんですね。
- 大橋
- かっこよかったんです。
おしゃれだったんですね。
学生がストリートを歩くような
ファッションショーに出たんだと思いますけど。
それじゃあ、ということで、
彼と一緒に専務さんに会いに行くんです。
- 糸井
- 夢のようですね。
- 大橋
- もちろん、アポイントも取りませんよ。
ひどいことをしてるんです、子どもだから(笑)。
いっぱい描いたものを持って。
- 糸井
- 来たんですけど!って言って、
ほんとに行ったんですね。
- 大橋
- そうです。
直接行っちゃうんです。
当時、室町にヴァンヂャケットがあって、
古いビルだったと思いますけど、
入り口の受付嬢に彼が、
「この人に合わせてもらいたい。
ぼくはこういう者だ」と偉そうに言って。
- 糸井
- (笑)
- 大橋
- 何だろうと思ったと思うんですけど、
いちおう電話をかけてくれて。
でも、ちょっと会ったみたいな子に
訪ねて来られても困りますよね。
そんな子、知らないから
ということで、玄関払いだったわけですよ。 - 私はもうだめだと思って、しゅんとなって、
「帰ろう安西くん」って言ったら、
「ダメ」って言うんですね。
ちょっと待ってと。 - そして、受付嬢に一生懸命アピールするんです。
ぼくたちはこうだとかああだとか‥‥
一生懸命話をして、でも受付嬢は、
早く帰って欲しくてしょうがないと
思ってるのが見えるわけです。
だから私は、
「安西くん、帰ろう帰ろう‥‥
もういいから帰ろう」って言ったんですけど、
「ダメだ」って言うんです。 - それはもう忘れられません。
「ここまで来て、
絵を見てもらわないで帰るのは、
ぼくには納得できない」って言うんですよ。 - でも、私は自分のことだから、
もう恥ずかしくて、帰りたくて。
彼はその受付嬢に、
「きれいだね。今度デートしない?」とか、
そういう話までしはじめて。
- 糸井
- (笑)
- 大橋
- その人、すごい困っちゃって、
しょうがないからと思って、
企画室に電話してくれたんです。
そしたら、企画室が
「いいよいいよ、あげて」と返事してくれて、
企画室にあげてもらったんですよ。 - そしたら、企画室の男の人が、
私に対して
「どうしたの?おまえ」って声をかけてきた。
見知った顔でした。
私は「えっ、どうしたの?野原さん。
どうしてここにいるの?」と言ったら、
「ここにいるんだよ、ぼくは」と。
その人は、中途退学してヴァンヂャケに入った
おしゃれな男の子だったの。
で、企画部にいたんですよ。
- 糸井
- はぁー。
イラストレーターになりなさい。
- 大橋
- 「どうしたの?」って言うから、
「私は絵を描いてるんだけど、
洋服のデザインも考えてるから、
見てもらいたいと思って」と言ったら、
みなさんがその絵を見てくださって。
あとで考えたら、
くろすとしゆきさんという有名な方も
そのメンバーで、絵を見てくださったんです。
ただぐるぐる回し見されてるだけなんですけどね。
※くろすとしゆき
文筆家・服飾評論家。
日本におけるアイビースタイルを定着させた。
- 糸井
- それはクレパスで描いた絵ですね。
- 大橋
- クレパスの絵。
そこに石津祥介さんが、
打ち合わせから戻って来られたんです。
石津謙介さんのご長男さんで、
企画室の部長さんだったんですよ。
※石津祥介
ファッションデザイナー。
ヴァンヂャケット社創業者、石津謙介の長男。 - で、「どうしたの この子たち?」という話になって。
この子が、洋服のデザインみたいな絵を
見てもらいたいと来たんですよと説明されて、
祥介さんは絵を見てくださったんですね。
集めて集めてと言って、絵を全部集めて、
「きみだけちょっと別室に来なさい」
って言われたんです。 - なんにも説明ないんですよ。
私、どうしたんだろう‥‥と思って。 - それで、別室に行ったら、
『メンズクラブ』の編集長さんと、
男の子のイラストレーターが2人いて、
打ち合わせだったらしいですよ。
石津祥介さんの『メンズクラブ』のページの。
※『メンズクラブ』
男性向け月間ファッション雑誌。 - 打ち合わせ中に、ふと企画室に戻ったときに、
私たちがいたから、その絵を持って別室に戻って。
その時、気に入ってくださったらしいんです。
祥介さんが私の絵を。 - すぐにその場で、私にもなんの相談もなく、
「僕のページ、この子の絵にしたから」
っておっしゃったんですよ。 - 私なんのことかさっぱり分かんなくて、
え‥‥どういうことだろうと思ったら、
女の子には男の人の洋服のデザインは無理だと。
時代が時代だったから。
「あなたイラストレーターになりなさい」
って言われて。 - 私もともとイラストレーターになりたかったんですけど、
その場で即、見開きのカラーページと、
2色の1ページの仕事をくださったんです。 - こうこう、こういう‥‥
男の子を何人かカラーで描いてきてね。
もう一つは、2色印刷しかできないから、
それを考えて、描いてきてね。
って言われたんですよ。 - 私はそんな具体的なことなんか
ちっとも思ってないから、
もうすごいびっくりして‥‥。
ちょっとぼーっとなって、
安西くんと帰ってきたんですけど。 - 家に帰って、言われた通りに、
一生懸命何枚も描いて、
入稿がすぐだったので、
『メンズクラブ』に持って行ったんです。
- 糸井
- そんなにすぐだったんですか。
- 大橋
- そうなんですよ。
そのまま帰ってきて、
『メンズクラブ』のその号が出るのが
翌年のたぶん1月の25日とか、
月末だったんですけど、何も連絡がないんですよ。
石津さんからも連絡ないし、
『メンズクラブ』からも連絡ないし。 - 無理だったんだろうなと思ったんです。
学生だしさ、そりゃそうだよ‥‥と。 - その発売の日に経堂にいたので、
駅前の本屋さんが開く時間を調べて、
とにかく行ってみようと思って、行ったら、
『メンズクラブ』が置いてあって。 - 載ってるかな‥‥
でも載ってないかもね‥‥
とか思って、立ち読みして。
載ってなかったです。
- 糸井
- あら‥‥。
- 大橋
- 私はもう半泣きになって。
そりゃそうだよねと。
でも、これは記念だから買って、
四畳半の学生のアパートに
しょんぼり帰ってきたんです。 - うん、でもこれはよくあること。
そんなにうまい話はない。
私はまだ一度も、
こういう具体的な話になったこともないし、
先生から褒められてるわけでもないし、
しょうがない、とか思って、
またページをめくって見はじめたら、
あったんです!
見落としてたんです。
- 糸井
- はぁ!
- 大橋
- 雑誌が新しいから、
ページを一緒にめくっちゃってた。
それで、ものすっごいびっくりして。
- 糸井
- 急降下から急上昇して。
- 大橋
- そのうち「人ごと」になっちゃったんです。
自分のこととは思えなくて。
それで、えらいことになったと思って。
えらいことになったけど、どうなるんだろう‥‥と。
そのことについて、
あんまり記憶がないんですよ、具体的なことが。 - 当時、経堂から新宿に出ることが多かったんですね。
新宿で友達と待ち合わせして、
行くデパートは伊勢丹だったんですね。
その後で新宿に行って、いつも覗いてる
メンズウェアのショップがあったので、
立ち寄ったら、
えっ、わたしのページじゃない?
というのがディスプレイで開いてあったんです。
- 糸井
- おお‥‥。
- 大橋
- ディスプレイに使っていただいてたんですよ。
うわぁ、すごいなぁ!と思って。
「人ごと」の気持ちだけれど、
すごい!すごい!とか思って。 - 伊勢丹の靴売り場に行くと、
ウィングチップやデザートブーツが並べてある
ガラスケースの中にディスプレイされて、
私のページがちゃんと広げられて、
使ってもらっていた。
- 糸井
- そのページ開いて置いてあるんですか。
よっぽど斬新だったんでしょうね。
- 大橋
- 斬新だったんですよ!
大橋歩さんの授業のすべては、
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あの人この人の、飾らない本音のお話を聞いていただけます。
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