
『終わりよければすべてよし』
このタイトルをもって、松岡和子さんによる
シェイクスピア全37作の新訳が完成しました。
最初の一作『間違いの喜劇』を1993年に訳してから28年。
ちくま文庫シェイクスピア全集が
『ハムレット』を皮切りに刊行されはじめてから四半世紀。
日本では、坪内逍遥、小田島雄志につづく3人目、
女性としては初めての快挙です。
偉業を成し遂げたいま、松岡さんは、
先人から学んだ大切なことや、
シェイクスピアの言葉が持つ力を
次の世代に伝えたいと強く願っています。
楽しいとき、苦しいとき、松岡さんのそばにあった
シェイクスピアの言葉をいっしょに聞いてみませんか?
動画で配信中の「ほぼ日の學校」の授業の
一部を読みものでご覧ください。
松岡和子(まつおかかずこ)
翻訳家、演劇評論家。
1996年刊の『ハムレット』を皮切りに、
2021年5月刊の『終わりよければすべてよし』まで、
シェイクスピア新訳(ちくま文庫)に取り組み、
25年かけて37作すべてを完訳。
この功績により、毎日出版文化賞、朝日賞、菊池寛賞、
小田島雄志・翻訳戯曲賞など受賞。
1942年、旧満州新京生まれ。東京女子大学英文科卒業。
東京大学大学院修士課程終了。
1982年から97年まで東京医科歯科大学教養部
英語助教授・教授。
『ドラマ仕掛けの空間』
『「もの」で読む入門シェイクスピア』
『深読みシェイクスピア』など著書、
『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』
『くたばれハムレット』『ガラスの動物園』など訳書多数。
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シェイクスピアが追いかけてきた
それまで私は、現代の英米の戯曲しか
翻訳したことがありませんでした。
シェイクスピアの翻訳というのは
まったく別のものだと思っていて、
取り組んでみようかな、
頑張って読んでみようかなと思っては、
はじき飛ばされるんですよ。
むずかしくて。はじき飛ばされるから諦めて、
「知らない! シェイクスピアなんかもういい!」
と逃げようとすると、
そこにシェイクスピアがいて通せんぼしてる、
という繰り返しでした。ところが、1993年に演出家の串田和美さんから
舞台『夏の夜の夢』の新訳を頼まれて、
現場から来た翻訳のオファーだったので、
とうとう逃げも隠れもできなくなりました。「現場から翻訳のオファーが来る」ということは、
出版社から「新訳のシリーズを出しましょう」
ということではないので、
やはり日本語の問題なんだろうと
想像がつくわけですね。言葉というものは変化していますから、
30年前の訳だと、どうも古くて使いにくい
というのもあるのでしょう。その時に私が思ったのは、
私がやることは日本語のアップデートなのかなと。
でもそれなら、すでにある翻訳を
劇作家が読み直して、今の言葉にすればいいじゃない?
というふうに、頼まれた私が思ったんです。その時点で、原文の解釈は
坪内逍遥以来100年以上経っているので、
新しい解釈や、
あるいは今までの解釈に
「ちょっと待った、これでいいのか?」
と異を唱えるようなことは、
ないのではないかと思っていました。
そういう気持ちで始めました。異を唱えるのは勇気がいる
でも、結論を言ってしまうと、
異を唱えるだけの材料はまだ山ほどあったんです。
「今までこう解釈されてきたが、それでいいのか?」
というのは、いくつも出てきました。なにしろ、何十年とその解釈できてるわけだから、
異を唱えるのは、ものすごく勇気が要るんですよ。
ひとりで「違います!」って言うわけですから。すごく勇気が要るので、それをやるためには、
まわりを固めなくちゃいけない。
自分の解釈が間違っていないんだ、
ということを自分にも確信させるために、
ありとあらゆるテキストを読みました。底本にするものだけではなく、
手に入る限りの本を、だいたい10冊ぐらい。
アメリカでもイギリスでも、大きな全集の形で、
シェイクスピアのモダンテキストは
山ほど出てますから。
今はAmazonという便利なものがあって、
ポンと押せばパッと手に入るので、
手に入る限りのものをすべて使いました。ありとあらゆるテキストを読んで、
今までと違うこの解釈は間違ってないよね
というのを固めてから日本語に取りかかる。そういう作業をしてきたのですが、
読みにも解釈変更の必要があると気づく前の段階、
「アップデートなのかしら、それでいいのかしら」
と思ってた段階でも、
やろうと思ったことは一つあったんです。
それは、女性のキャラクターの言葉遣い。これは生意気に聞こえるかもしれないですけど、
ちょっと気持ち悪いところがいろいろあって、
気持ち悪くない言葉にしようと。その言葉を言う女優さんにとっても、
スッと腑に落ちる、気持ちの悪くない日本語。
私も含め、聞いている女性の観客が
耳から聞いて気持ちの悪くない言葉にしよう。
それだけは最初から決めてました。それは、翻訳する段階の「台本を作る」
というレベルで考えていたことです。読者としての体験から脚注を付けた
もう一つ、「本にしましょう」という話が来て、
それに取りかかる時。先ほども申し上げたように、
「えっ、小田島雄志さんの翻訳があるじゃない」
と頼まれた私が思うぐらいだから、
一般の読者や観客にとっては、なおさら
「なぜ今さら、新しい翻訳が要るの?」
と思うに違いないと思ったわけです。それで、文庫本を買ってくださる読者に、
何かお買い得感をつけようということで、
脚注を考えたんです。私はとにかく小田島さんの訳で親しんできたから、
うちに全部持っていたわけです。
芝居を観て、帰って台本を読む。
あるいは、台本を読んでから、劇場で芝居を観る。
そうすると、特にダジャレの部分で、
「これ原文は何なんだろう?」と
常々思っていたんです。
でも、そんなに勉強家じゃないので、
「原文は何だろう?」と思って、すぐ原文に当たる
というとこまではいかないんです。「原文は何なんだろう?」
パタッと本を閉じて、おしまい。
そんな感じだったのね。そのことを私は思い出して、
「原文は何だろう?」と思った時に、
すぐ目を下に落とせば答えが出てるという本にしたい。今までも、
訳文に対する注釈がなかったわけではない。
中野好夫先生の訳本は、
だいたい詳細な注がありましたけど、後注なので、
文庫本の一番最後に注釈だけがまとまってあるんです。そうすると、
読んでいて「この原文何だろう?」と思っても、
後ろまでわざわざあけないわけです。「原文何なんだろう?」
パタッ、おしまい。
それじゃ、つまらないなと思った。すべて自分自身が読者だった時の
経験や希望からはじまっているんですけど、
「何なんだろう?」と目を下に落とせば、
そこに書いてあるという形の本にしよう、と。そうしたら、『終わりよければすべてよし』で、
すでに小田島さんの訳を持っていても、
松岡さんのには脚注が付いてるから、ちょっとお得。
そういうお買い得感を付けるために、
脚注を付けることにしました。
これは嘘でも何でもない、本当の話です。覚悟がすべてだ
ハムレットの言葉
“The readiness is all” を
「覚悟がすべてだ」と訳しました。これを訳したのは1995年で、
今から20年以上前だから、
私はまだ50代だったわけです。正直に言うと、当時、
“The readiness is all”という言葉が、
そんなにビンビン響くことはなかったんです。
でも、その後の私の人生の中で、
瞬間的にこの言葉が出てきたことがあります。
それは、夫がガンかもしれないと診断された時です。一緒に診察に行ったら、腫瘍ができている、
これは精密検査をしたほうがいいと。
写真を撮ってみたら、食道がすっかり埋まるくらい
大きな腫瘍ができている。「悪性か良性かは取ってみないと分かりませんが、
確実にこんな大きいものができてます」
「ガンである確率はかなり高い」と言われた時に、
本当にこの言葉がボーンと出てきたんですね。手術してしばらくは、
「よかった、家に帰って元通りの生活ができる」
となったんだけど、
誤嚥性肺炎に3回もなってしまって、
どんどんどんどん悪くなっていく。そうすると、
“The readiness is all”
と自分に言い聞かせる頻度と強度は
どんどんどんどん高まっていきました。なんか、この言葉があると、
「ぐにゃぐにゃしてられない」
という気持ちになるんですよね。日本語で「覚悟がすべてだ」とつぶやく時もあれば、
“The readiness is all” と英語でブツブツ
おまじないみたいに言ってる時もありました。人生の重大事に直面した時に、
私の背筋をシャキンと伸ばさせてくれた、
とてもありがたい言葉でした。だから、これからも忘れることはなく、
常に自分のそばにいてほしい言葉だと思っています。
松岡和子さんの授業のすべては、
「ほぼ日の學校」で映像でご覧いただけます。
「ほぼ日の學校」では、ふだんの生活では出会えないような
あの人この人の、飾らない本音のお話を聞いていただけます。
授業(動画)の視聴はスマートフォンアプリ
もしくはWEBサイトから。
月額680円、はじめの1ヶ月は無料体験いただけます。
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