立川志の輔さん。
これまで、自分自身のことを話す機会はなかったと、
「ほぼ日の學校」の収録に不安を抱えていました。
しかし、いざ糸井重里を相手に話がはじまると、
師匠である立川談志さんのことや、
落語家として大事にしていることなど、
志の輔さんの本音が止めどなくこぼれだしてきます。
人間っていい。日本人っていい。
動画で配信中の「ほぼ日の學校」の授業
一部を読みものでご覧ください。

>立川志の輔さんプロフィール

立川志の輔(たてかわしのすけ)

落語家。
昭和29年(1954年)、富山県射水市生まれ。
明治大学在学中は、落語研究会に所属。
大学を卒業後、劇団、広告代理店勤務を経て、
昭和58年に立川談志門下に入門。
平成2年5月、立川流真打に昇進し、現在に至ります。
毎年1月には、渋谷パルコ劇場にて
「志の輔らくご」を1ヶ月開催。
他にも「横浜にぎわい座」、
富山市の「てるてる亭」などでの定期公演をはじめ、
全国各地(海外も)の落語会に出演を重ねる日々。
つねに新たなファンを獲得し続け、
「最もチケットの取りにくい落語家」と呼ばれています。

志の輔らくごウェブサイト

  • 落語を知っていると、 楽に生きられる。

    糸井
    ぼくは、落語というものに、
    ずいぶん助けられている面があります。
    最近は「白黒はっきりしろ!」だとか、
    「これについて、どう思うんだ」とか、
    相手に対して「どっちなんだ!」と答えを求めて
    問い詰めたりするようなことが、
    ものすごく激しくなってると思います。
    特に、デジタル化が進んでからです。
    ルールも、どんどん細かくなっていますよね。
    そういう人がいるのはわかるんだけど、
    あいまいな部分を残さないんです。
    そんな今の時代に
    ぼくは、落語というものがあるおかげで、
    いろんなところで助けられてる。
    ぼくが、よく例に出す
    「だって寒いんだもん」っていうのがあります。
    「どうしてあんな男と一緒になったんだ?」
    と聞いたときに、
    「だって寒いんだもん」
    と女房が答えた、っていう落語の話。
    これはね、まったく説明がつかないんですよ(笑)。
    志の輔
    本当にそうですよね。
    糸井
    言ってみれば、落語というのは、
    「説明がつかないところに、ルールを置いてる世界」
    だと思っていて、ぼくはそれが好きなんです。
    他の人からすると、
    「きっちりすることから逃げてる」ように
    思われるかもしれないけど
    「だって人って、そうじゃん!」って言いたい。
    しかも、そういう気持ちを言ってみると
    意外と「私もそう思う!」っていう人と
    知り合えるんです。
    志の輔
    そこに惹かれている人は多いと思いますね。。
    「落語が大好き」という人たちと、
    「落語とは縁のない人たち」の両方がいて、
    それはしょうがないことなんですけど、
    落語を知っていると、楽に生きられるんですよ。
    バイブルというんですかね。
    落語っていうものが描こうとしてるのは、
    「日本人が一番楽に生きられる方法」
    なんじゃないか、と思います。
    それは、談志もずっと言っていました。
    糸井
    「落語とは人間の業の肯定である」って
    おっしゃってましたもんね。
    志の輔
    人間は褒められりゃおだてに乗るし。
    嘘もつくし‥‥。
    自分のものは取られたくないけれど、
    人のものは取りたいし‥‥。
    そういう生き物なんだって。
    ‥‥って、こんな感じでさ、
    そんなもんなんだ、 人間なんて(笑)。
    志の輔
    人間なんて本当にせこいもんなんですよ。
    ライターひとつが見つからないと
    『1日いやでいやでしょうがない』っていう、
    そういうもんなんだ。
    自分もそうなくせに、
    人が百円ライターを探し回ってると
    『お前、本当にせこいな』と言う。
    糸井
    いい例えですね。
    志の輔
    でも、『お前もその時になりゃそうなるんだ』
    ってことが落語を聞いてるとよく分かる。
    なんか、落語ってそういうところが、
    あるんですよね。
    物語の中にある、その一つ一つが、
    なんかいいんです。
    日本人なんですよね。
    糸井
    「Why(なぜ)」ばっかりじゃなくて
    「How」があるんですよね。
    「どうやる?」っていうのがね。
    それをお互いに教え合ったり、
    譲り合ったり、
    「寛容」な感じがしますね。
    その「落語が楽な生き方を教えてくれる」、
    っていうのは、見事ですね。
    志の輔
    常識と非常識でいうと、
    落語の世界は世間的には
    非常識なことばっかりですよ。
    だけど「人間は、非常識なもんなんだ」と。
    たとえるなら、「テレビではこう言いますけど、
    飲み屋じゃ、そうじゃない」ってことで
    世の中が成立してることを、
    ほとんどの人が知ってるわけですよね。
    常識の範疇じゃおさまらない部分も含めて、
    人間や世の中はできあがっている。
    正義と悪じゃないけれど、
    「嘘」と「本当」、どちらもあるのが世間なんです。

    江戸っ子じゃないから、できること。

    糸井
    談志さんが考えて、うまくまとめたことを
    志の輔さんに伝えたおかげで、
    うまい方向にいったことが
    あるんじゃないか、と思ったんです。
    「野暮になっちゃいけない」という
    格好つけ方が落語にはあって、
    そのせいで何かが止まっちゃってる
    可能性があるんですよね。
    だけど志の輔さんは、止まらずに突き進んでしまった。
    志の輔
    それは多分‥‥
    糸井
    志の輔さんの性格?
    志の輔
    そうですね。それか‥‥
    ぼくが富山県出身だからかもしれないですね。
    糸井
    もともと野暮かもしれないってことですか?
    志の輔
    そうかもしれないですね。
    「粋でいなせで」っていうのは、
    ねぇ‥‥難しいでしょ?
    「田舎者は野暮」っていうのは
    落語の基本としてあるんですよ。
    ある日談志が、『歓喜の歌』という新作落語を
    パルコで上演した時に、見に来たんです。



    ※『歓喜の歌』
    立川志の輔さんの新作落語。
    2004年、渋谷PARCO劇場開催の「志の輔らくご」にて初演。
    ある大晦日の前日。
    ママさんコーラスと公民館の主任が繰り広げる
    人情劇場は反響を呼び、映画化、ドラマ化された。


    最後の落語が終わったあと、
    1回暗転して、着物を全部脱いで、
    早替りで指揮者の服になって、
    幕が開くと60人の合唱団がいる‥‥。
    その合唱団と『歓喜の歌』を歌って
    「大エンディング」を迎えるという舞台でした。
    談志が人生の中で唯一、
    私の公演を、始めから終わりまで客席で見た、
    という、そういう日だったんですよ。
    それで、ぼくは最後にステージから、
    「今日は、師匠の談志が見に来てくれた、
    とスタッフから聞きました」と話したんですね。
    「今はもう途中で呆れて帰ったと思うんですけど」
    と言ったら、客席から本人が「いるよ!」って
    声をあげてくれて。
    「どうぞお上がりください」って言ったら、
    「えぇ? 面倒くせえな」なんて言いながら
    舞台に上がってくれました。
    「毎年、1カ月もここで公演してるって聞いて、
    『そんなの嘘だろう』と思って来たけど
    本当にやってんだな。
    いやいや、まぁ結構でした。
    これからも、こいつをよろしくお願いします。」
    と言って、三本締めの音頭まで取ってくれたんです。
    とりあえず、まあ、褒めてくれたんですよね。
    その何日か後に、談志が自分の独演会で、
    私の話をしてくれました。
    「先日パルコ劇場で、志の輔見てきました。
    ええ、一生懸命やってます。
    大勢の人が来てて。
    で、1カ月もやってるってのは、本当にまぁ、ね。
    あいつがこしらえた新作落語も見てきました。
    終わったあと、合唱団が出てきまして、
    歌を歌ったりなんかする。
    いろんなことを考えてやってました。
    まあ、偉いと思います。
    ですがね、落語が終わった後で
    60人の合唱団の指揮をするなんていうのは、
    田舎者じゃないとできませんよ。」
    と、こんなことを言ったらしいんですよ(笑)。
    そういうことなんですよ。
    ぼくが野暮だっていうのは。

    糸井
    おもしろいですねぇ(笑)。
    志の輔
    会場では成立してたけど、
    「俺はやらねえ」と。
    「やらねえけど、まあ
    『やるな』と言ってるんじゃない。
    あれはあれで成立はしてる。
    俺にはできないが、お前はできる」
    あの会場では成立はしてるってことを
    談志は認めてくれました。
    ただ、談志は「落語というのは基本的に
    江戸の風が吹いてないとダメです」って言うんです。
    それは、本当にその通りだと思います。
    だって、そうやって出来上がったものなんですから。
    でも、それは無理なんですよ。
    だから言い訳として何と言ってるかというと、
    「ぼくは日本人の風を吹かせる」って。
    「江戸っ子の風」じゃなくて、
    「日本人の風」のほうが
    今の時代には合うでしょう。
    なぜなら、東京の落語を
    福岡でやる、札幌でやる 、仙台でやる、
    大阪にも持っていく。
    どこでも通用するって、結局
    「ああ、いいね。日本人は」って感覚だと思います。
    糸井
    談志さんは「江戸の風」なんですね。
    志の輔
    それでいいんですよね。
    本人が江戸っ子ですし。
    落語は江戸っ子の神経で出来上がっている。
    大阪落語は大阪人の神経で出来上がっている。
    「それが落語ってものだ」っていうのは
    もう本当に師匠の言葉の、その通りで。
    だから、ずっと
    「その通りにしなきゃいけない」と思ってきました。
    でも、できない自分がいて、
    「どうしたらいいんだろう?」と
    ずっと考え続けたんです。
    それがある時、「日本人の風だ」と気づいて。
    糸井
    落語が生まれた江戸の文化圏を
    脱するのは難しかったし、
    みんながどんどん脱していっちゃうことで、
    全体が野暮になって、
    本来の江戸の落語が滅んじゃうかもしれない、
    ということに対して、
    談志さんは、江戸っ子として、
    ふん張ったんだと思うんです。
    変わっていくのは、もうしょうがないことですし、
    自分なりの方法を見つけていくっていうのは
    大事だし、おもしろいところですよね。
    志の輔
    現在、落語家は1000人くらいいるんじゃないか
    と言われています。
    1000人もいて、それぞれに
    自分の落語というか、価値観があるわけですから、
    みんなが同じような落語になってはいけない。
    でも、バラバラといったって、
    落語の基準は必要でしょう。
    「俺が落語だ」「落語は俺だ」と
    談志がその言葉を残していきましたけど、
    全落語家が「落語は俺だ」と思うものをやっていくしか、
    落語というものが生き延びていく方法はない、
    ということなんだと私は思います。

    立川志の輔さんの授業のすべては、
    「ほぼ日の學校」で映像でご覧いただけます。


    「ほぼ日の學校」では、ふだんの生活では出会えないような
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