『炎の転校生』『逆境ナイン』『アオイホノオ』などの
熱血マンガで知られるマンガ家・島本和彦さん。
その熱い、熱すぎる語りをお届けします。
マンガ家を志望して格闘していた時代のエピソードや
庵野秀明さんとの出会いなど、
自伝的マンガである『アオイホノオ』のウラ話を
交えて語っていただきました。
動画で配信中の「ほぼ日の學校」の授業の
一部を読みものでご覧ください。
島本和彦(しまもとかずひこ)
マンガ家。
本名は手塚秀彦。北海道中川郡池田町出身、
北海道札幌市在住。
大阪芸術大学在学中の1982年
「必殺の転校生」にてデビュー。
代表作に「炎の転校生」「逆境ナイン」「燃えよペン」
「吼えろペン」「超級!機動武闘伝Gガンダム」
「アニメ店長」など。
現在ゲッサンにて「アオイホノオ」を連載中、
サンデーGXにて「吼えろペンRRR」を不定期掲載中。
2015年に「アオイホノオ」で
第60回小学館漫画賞一般向け部門、
第18回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞。
執筆業の傍らTSUTAYA千歳サーモンパーク店、
アカシヤ書房ちとせモール店、
さらに株式会社アイビック代表取締役社長も務める。
-
はじめてのマンガ批評は母でした。
- ほぼ日
- 島本さんがマンガ家を目指した
きっかけを教えてください。 - 幼少期はどういうふうに過ごして
いらっしゃったんでしょうか?
- 島本
- 幼少期はマンガが好きでした。
- 北海道の豊頃町という十勝のほうの
池田町の隣にある小さい町に
住んでたんですが
親が借金して逃げ回っている時に
親戚のお姉さんの家とかに行くと、
怪獣のペギラの人形とかが置いてあるわけですよ。
めちゃくちゃそれが欲しくてね。
※ペギラ:
「ウルトラQ」およびウルトラシリーズに登場する冷凍怪獣。
- そういう子ども心に「これが欲しい!」
「どうすれば手に入るんだろうか」
と考えるところから出発していると思います。 - ある日、母親に『キャプテンウルトラ』の
白ノートを買ってもらって 、
その表紙の裏が塗り絵なんですけど
その塗り絵に1枚白い紙を被せて
主線を描いてみたことがあって。 - それで母親に、
「この塗り絵の絵と
私が描いた絵どっちがうまい?」って聞いたんです。 - 絶対私の方がうまいわけなんてないんですよね。
そりゃそうなんですけど、それでも一応 聞くんです。 - すると、
「こっちはこっちで味があって、
こっちはこっちで味がある」
という答えをされて、
「うまい答え方するな」って感動したんですよ。
「こっちはこっちで味があるんだ」と。 - それが最初の自分の絵に対する批評で
それに感動したんですよね。
下手な絵が下手だって言われなかった。
はじまりはそこからなんじゃないかと思います。
- ほぼ日
- ある種 英才教育を受けていたような?
- 島本
- 英才教育ではないけど、
田舎ですし、暇でなんにもないから
絵を描くしかないんですよね。
絵を描くことにそんなにお金はかからないし。
自分の来るべき場所はここだった!
- ほぼ日
- 大学は大阪に行かれますよね。
大阪の芸大に行かれたのは
どういう経緯なんでしょうか。
- 島本
- こんなことを言ったら大阪には
失礼かもしれないですけど、
東京には行けないって思ってたんです。
そんな都会が自分を引き寄せるはずはない、って。 - それに親戚がいたんですよね。
私の父親が三兄弟なんですが
父親のお兄さんが大阪の天王寺協会の協会長をしてて
そういうこともあって
何回か遊びに行ったことがあったんですよ。
それでなんかつながりを
感じたところもあるんじゃないですかね。
そこだったら親戚もいるから親も許可を出すに違いないと。
- ほぼ日
- 『アオイホノオ』という素晴らしい作品がありますが、
これはちょうどその大阪の芸大に
入られたところからお話がスタートしますよね。
※『アオイホノオ』:
2007年から連載が続く島本さんの半自伝的マンガの傑作。
マンガ家を目指す焔(ほのお)を主人公とした
熱血青春マンガであり、
かつ画期的なマンガ家マンガである。
登場人物や出版社、編集者が一部実名で登場する。
- 島本
- 大学はもう夢のような世界だったんです。
私はちょっと普通の人じゃないように
思われてるじゃないですか(笑)
- ほぼ日
- はい(笑)
- 島本
- そういう感じの人間がですね
小学校、中学校、高校と
普通の人たちと一緒に勉強して受験をしてるというのは
非常に違和感を感じていたんです。 - それで、大阪芸大に入った時
「あっ ここだ!自分の来るべきところはここだったんだ!」
というふうにすごいリラックスしたんですよね。
生命がリラックスしてる感じ。
庵野秀明との衝撃的な出会い。
- ほぼ日
- その芸大で、将来ガイナックスを立ち上げる
庵野秀明さんや赤井孝美さん、
山賀博之さんたちと同期だったんですよね。
※ガイナックス:
1984年に設立されたアニメ制作会社。
初代代表取締役は岡田斗司夫さん。
「ふしぎの海のナディア」、
「新世紀エヴァンゲリオン」などを制作。
- 島本
- いまでもよく覚えてるけど、
大学で最初に説明を受けるためにホールに呼び出された時に
斜め前に庵野秀明君が座ってたんだよね。 - 私と友達になろうとして隣に座りに来た奴がいて、
そしたら彼が
「あそこに死にそうな顔のやつおるで」
と言ったんだけど、
それが庵野秀明だったんです。
すごくそれが印象に残ってます。 - 最初にグループを作る時に
マンガの中では山賀君が
優秀なやつをみんな集めた
みたいな感じになってるんですけど
実際はそうではなかったらしいんです。 - 私はすっかり忘れてたんですけど
私と何人かがグループ作った時に
庵野君が目の前を歩いてて
僕が「彼を入れよう」と言ったらしいの。 - そしたらカメラマン志望のある一人が
「あいつ面倒くさそうだから入れない」って言って
声をかけなかったんだって。
- ほぼ日
- 運命の分かれ道ですね。
- 島本
- そう!
俺もこっちのグループのじゃなくて
あっちのグループに入ればよかったって感じですよ(笑)
- ほぼ日
- そしたらアニメの世界に
行ってたかもしれないですよね。
- 島本
- でも私はね、アニメが下手なの。
アニメ感覚というのがいるんですよ、やっぱり。
パラパラマンガとアニメは違うんですよね。
頭の中の感覚が違う。 - だから庵野秀明はともかく、
赤井君の作品見ても「あっ すげぇ!」
と思っちゃいましたもんね。
- ほぼ日
- そういう人たちと同じその教室に
いたというのが奇跡ですよね。
- 島本
- いや、みんなそう言うのよ。
そういうふうに歴史をさかのぼって考えるでしょう。 - でも、こっちからするとあの時いたやつが
たまたまうまくいってよかったなという感じなんです。
同級生でたまたまうまくいったやつと
うまくいかなかったやつもいる。
- ほぼ日
- でも『アオイホノオ』の中では
当時から島本さんは
「こいつらには俺は絶対負けないんだ」
という気概を持っていましたよね。
- 島本
- そうそうそう。
今となっては、いろいろ実験してみたけど、
あんまりいいアニメ描けなかったなっていうのは
分かるじゃない。 - だけどあの頃、若さは無限の可能性がある、
とかいう言葉があるように、
あいつが描いたのも天才的だけど
俺の描いたのも撮影をしたら天才的になるかもしれない
という可能性はあるわけですよ。
まだやってないだけで。 - だからあいつがすごいのを描いたところで
俺だってすごいかもしれないしね。
- ほぼ日
- 『アオイホノオ』を読んでいると
主人公の焔(ほのお)と島本さんがすっかり重なります。
若さ故かもしれませんけど、
根拠のない自信がすごいですよね。
エネルギーというんでしょうかね。
- 島本
- そうね。エネルギーあったよね。
いや、エネルギーしかなかった。
ただ、そのエネルギーはあるのに
「赤井君の家に行っていい?」
と言う勇気がなかったのはなんでだろう(笑) - 今から思い返したら言っておけばよかった
「ちょっと君、話しようぜ」って。
「君の家、行っていいかい?」
というそれがね、言えなかったんですよ。
- ほぼ日
- なんでですかね?
- 島本
- なんででしょう。
- ほぼ日
- プライド?
- 島本
- プライドですよね、きっと。
- ほぼ日
- でもそのプライドがあるが故に
「俺は絶対負けない、俺はマンガを描くんだ」
「プロのマンガ家になるんだ」
というその気持ちが一本通るわけですよね。
- 島本
- いやマンガもそんなに
うまかったわけじゃないんですよ。 - ただ私 高校生の時に『宇宙戦艦ヤマト』の
パロディマンガのノートを5~6冊描いてたんですよね。
だから、中学高校で結構パロディーマンガ的な
ギャグマンガのスキルはためてたんです。 - でも大学に行った時はアニメブームだったし
アニメがやりたくてしょうがない。 - 今まで時間がなくてアニメとかできなかったわれわれが
ついに動画とかセル画とかを描く時間を手に入れて
それを課題として出すことができる環境にいるというところで
そこで勝負が初めてはじまるわけです。 - そういう勝負がはじまって
一番最初の第1回戦に
庵野秀明は『じょうぶなタイヤ!』というタイトルの、
すごいアニメーションを出してきたんだよね。 - あれは悔しい‥‥
悔しかったね。
庵野秀明のもつピュアな強さ。
- ほぼ日
- 当時は庵野さんや赤井さんみたいな人たちがいることで
自分の中の闘争心もかき立てられていたという
自覚はあるんでしょうか。
- 島本
- すぐ身近にこのぐらいのことを作るやつがいるということは
自分もちょっと経てばここには行けるんだって思ってた。 - たまたまあいつらはサイコロで「6」出したんだな、
こっちは「1」だったけど、みたいな。
次はこっちがサイコロを振ったら
「6」出るかもしれないじゃないですか。
- ほぼ日
- しかし庵野さんみたいな人は
ほぼ存在しないですけどね
- 島本
- 今はね!今はそう思いますよね。
- でもおそらく当時同級生で同じことを
やってた人たちは同じものを持ってるわけですよ。
同じ映画とかテレビで育ってきてるわけだから。 - われわれの時代っていうのはそんなに種類がないから
資料にしても手に入るものは限られてるわけですよね。
だからみんな、アニメやマンガの雑誌も
『ファンタスティックコレクション』とか
『マンガ少年』のような
同じものを買ってるんですよ。 - 庵野秀明が才能があったというふうには
きっとみんな思ってなくて、
同じものを持ってたなかで、
たまたまあいつがうまくいったんだとみんな信じてますよ。 - 自分の中の同じハードディスクに
同じものが入ってるんだけど、
出すチョイスが自分は間違ったんだなって
きっと思ってるんじゃないかな。 - すごいなと思いながらも
「いや俺もできるし」と。 - もちろん技術は違うんですけど、
みんな認めないですからね、それは。 - ただ、今『エヴァンゲリオン』とか『ゴジラ』とか
『シン・ゴジラ』を見て思うのは、
自分も同じもので感動してきたんだけど
庵野君はこの感動を形にしたいという情熱が
誰よりもピュアなまま強いんじゃないかなということ。 - 同じことをやりたいと当時思ってても
妥協せざるを得ない場面が必ず来るんですよね。
その時に妥協するのか
「いやこれじゃなきゃいけない」
と思うのかっていうところの思いの強さは
やっぱり違うのかなと思いますね。
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