ユニクロや青山フラワーマーケット、ピーチ航空など、
数々の企業のブランディングを手がけてきた
シー・ユー・チェンさん。
プロのベーシストだった。ユーミンの名付け親だった。
ユニクロの成長の立役者だった…。
数え上げればキリがない経験を、
現在のブランディングという仕事に生かされています。
シー・ユー・チェンさんは、これまでどのように生き、
どうやって仕事をしてきたのでしょうか。
動画で配信中の「ほぼ日の學校」の授業
一部を読みものでご覧ください。

>シー・ユー・チェンさんプロフィール

シー・ユー・チェン(しーゆーちぇん)

ブランドコンサルタント。
1947年、華僑出身の父のもと、北京に生まれる。
4歳の時、両親とともに東京に移住。
1967年慶應義塾大学のスーパーギタリスト成毛滋に誘われ、
プロバンド「the Fingers」に参加。
上智大学国際学部に在学しながら音楽活動を続けるが、
やがて解散。
大学を中退して渡米、ウッドストック・フェスティバルを
現地で体験し、フラワームーブメントの只中にあった
サンフランシスコでヒッピーカルチャーの洗礼を受ける。
帰国後、ミュージカル『ヘアー』の
日本公演メンバーとして活動したのち、
弱冠27歳にしてアパレルブランドの
アルファキュービック米国法人代表に就任、
ロサンゼルスに移住する。
創刊間もない雑誌『POPEYE』や『BRUTUS』の
海外企画に携わり、1980年、ロサンゼルスにて伝説的な
レストラン「チャイナクラブ」を開店、自ら経営する。
1984年、日本に帰国し、ブランドコンサルティング会社
シー・アイ・エー(CIA Inc.)を設立。
現在、同社Founder 、Executive Chairmanを務める。
CIA Inc.は、2020年より
デロイト トーマツ グループに参加。
シー・アイ・エーは “Japan Branding”を提唱し、
ユニクロ、 青山フラワーマーケット、
東京三菱UFJ銀行PBO、出光、 Peach、
Ozaki Flowerpark, Globe Specs,
SAKURA craft_lab等の
新業態ブランドの原型を提案するなど、
数多くの会社のブランディングを支援、提供。
また、Innovation Prototypingを通して
改善プロセスを実践し、成功率を高めている。

CIA Inc.
著書『インプレサリオ』

  • ユニクロとの出会い。

    今は、CIA(Creative IntelligenceAssociates)
    という企業のブランディングを手がける会社で、
    エグゼクティブ・チェアマンという肩書きのもと
    取締役会長とファウンダー(創業者)という立場で
    仕事をしています。

    CIAを創立したのは1985年ですから、
    もう40年近いですね。
    日本でもかなり老舗に入るブランディング会社です。

    ユニクロとの出会いは、1997年ぐらいで、
    まだ、柳井さんがディスカウントストアを
    日本で500店ぐらいやってるときに、
    たまたま依頼されたのがきっかけです。

    ちょうどその頃のユニクロっていうのは、
    店舗の売上をもっと上げるにはどうしたらいいのか
    っていうことに悩んでいた頃でした。

    SPA(製造小売業)で、企画・生産から販売まで
    全部一元で管理したらどうですかね、
    っていう話をしたんです。
    そしたら、柳井さんが「それ、どうやってやるの?」
    って言うので‥‥、ぼくたちが提案することに。

    当時、ディスカウンターだった柳井さんのところには、
    1300点ぐらいの商品がありました。
    「GAPだったら、きっと1シーズン 260点ぐらいの
    商品構成でやってます」って説明して。

    次に、「じゃあ、商品はどうやって絞るの?」って
    聞かれたので、ジョン・ジェイに連絡しました。

    ※ジョン・C・ジェイ
    2022年現在、ファーストリテイリング
    グローバルクリエイティブ統括を務める。

    そして、当時J・クルーの
    マーチャンダイザーをやっていて、
    チノパンに関しては右に出る人がいないぐらいの
    チノパン百科事典みたいな男の子二人を
    日本に呼んできました。

    ※J.クルー
    NY発祥のアパレルブランド

    それで当時のユニクロのディスカウント商品を
    巨大な室内ジムに1300点並べて、
    そのJ.クルーのマーチャンダイザーの2人が
    260点選ぶ、ということをやりました。

    それも、3~4時間かけて
    柳井さんの目の前で選んだんです。

    そういうことを細かく見せることで、
    柳井さんも「これだったら、できるかもしれない」
    という気持ちになって、説得することができました。

    そうして、『自社生産で自分で企画するユニクロ』
    っていうのを「思い切ってやってみよう」
    という話になったんです。

    その頃、柳井さんの会社の人たちは、
    自分たちのブランドの服を着ていなかったので、
    改善点に気がつかなかった。
    だから、
    「みんなが着ないと、わかんないです。
    会社のみんなで着るようにしてください。」
    ってお願いしました。

    「じゃあ、来週の月曜日からみんなに着せるよ」
    って言ってくれて。

    そうして、みんなで着るようになったら
    「ズボンがつれてて、お尻のところがこうだ。」とか、
    いろいろ商品のことがわかってくるわけです。

    それで、どんどん改善していって、
    だんだん商品ラインナップを築いていった
    という経緯がありますね。

    それをやり始めて3カ月ぐらい経った頃、
    ユニクロは一つの壁にぶち当たります。

    GAPの場合はGパンがメインで売れていて、
    それに簡単にTシャツとかいろんなのを
    コーディネートでプラスできるけれども、
    ユニクロの場合は「何をメインとして売っていくのか」
    が決まっていなかったんです。

    その時、ぼくたちがたまたま
    THE NORTH FACE のフリースを着ていました。

    そしたら、柳井さんがそれを見て、ひらめいたんですね。
    「フリースを商社に5万着発注したら、
    1着1,300円ぐらいで売れないかな?」って言ったんです。

    当時、ベネトンも人気で、
    「カラフルに売る」っていうのが、案としてありました。

    その「カラフルに売る」ということ、それから
    「当時高額だったフリースをもっと低価格にする」、
    このふたつを組み合わせて、コア商品にしよう、
    というアイデアがそこから生まれていったんです。

    なので、いわば、いろんなことが全部「偶然」なんですよ。

    もちろん、こういう企画を出したいのもあり、
    それと同時に、いろんな偶然が重なり合って、
    ひとつの可能性や事業の方向性が見えてくる
    っていうことは、よくありますね。

    ライフバリューを提案する。

    青山フラワーマーケットの時も偶然が重なりました。
    まず、社長の井上さんが「花屋のユニクロになりたい」
    っていって、ぼくたちのところに来られました。

    ※井上英明
    1993年に青山フラワーマーケット1号店を
    オープンした創業者

    それで、たまたま渋谷駅構内の階段の下に
    誰も使ってないスペースがあるから、
    そこでお花屋さんをやろう、っていうことになって。

    でも、そこはすごくちっちゃなスペースだから、
    生花用の冷蔵ケースが置けないんです。

    冷蔵ケースなしでやろうっていうことになったとき、
    誰にもアイディアはなかった。

    それで、若い女性の店長たちを呼んで、
    最近何か気になったものとか、売れるものとかない?
    って聞きました。

    そしたら、「ちょっと売れ残ったお花でブーケを
    つくってみたら、結構売れるんですよ」って教えてくれて。

    だったらば、渋谷駅の構内で
    さっと買えるブーケがあると売れるかも、
    という話になりました。

    というのも、普通のお花屋さんに行って、
    対面で話して花束を注文すると、
    お花や色、予算を決めたりして、
    20分ぐらいかかるわけですよね。

    駅構内だとしたら、30秒ぐらいでパッと見て、
    ポケットの500円コインか1000円札で買える、
    そんなものが理想的かもしれない。

    じゃあ、そんなブーケって、どんなものだろう?
    っていうところで、
    みんなでブレーンストーミングしていきました。

    それで、でてきたのが、
    「トイレに飾れるブーケ」、
    「キッチンに飾れるブーケ」
    「ダイニングテーブルに飾れるブーケ」
    を提案しようというアイディアです。

    そこから青山フラワーマーケットの原型である
    「ブーケ化」っていうのが出てきたんです。

    一方的な提案ではなくて、
    ぼくたちもわかんないのを一緒に探っていく中で、
    その提案を引き出すのに適した人たちを巻き込みながら
    アイディアを引き出していくと、そこにヒントが見える。

    そのヒントが「すごくいい!」となると、
    それがひとつの考察になっていく、っていう
    そういうやり方ですよね。

    LCC(格安航空会社)でナンバー1になった
    ピーチ航空に関しても、ただ売るだけじゃない、
    ライフスタイルを提案することにこだわりました。

    ※Peach Aviation
    2011年に設立された日本初の本格的LCC航空会社

    8社ぐらいのコンペの中でぼくたちが選ばれたのは、
    安いからって理由でものを売るんではなくて、
    もっとライフスタイルを提案しましょう、
    というアイディアでした。

    「ただ安い」というのは、全然若い子に響かない。
    価格だけの競争になっていくから。

    だから、たとえば大阪発だったらば、
    「週末、沖縄で過ごせるよ」とか、
    東京発に関してなら、
    「思い立ったときにパッと台湾に行けるよ」
    ということを提案していきましょう、という。

    「このエアラインがあるから、
    ライフスタイルが変わって、直感的にパッと動けるよね」
    そういうライフバリューを売り物にしよう、
    ということで全部組み立てていったら、
    コンペに勝った、という経緯がありますね。

    消費者は選ぶ時に、ただその商品を見て、
    それが欲しくて買うっていうだけじゃなくて、
    「これを手に入れるとライフスタイルが豊かになるかな?」
    という心理的な問いを持つわけです。
    その消費者の問いを「どう解くか」っていうところが
    一番重要だったんです。

    ぼくたちは、そういうことをコアにして、
    ずっと仕事をしてきましたね。

    どれだけ真剣にそれをやったか。

    ぼくは、日本の経営者の中で
    柳井さんが一番好きなんです。
    彼は、やはり商人なんですよ。

    先ほどお話したように、
    体育館の中に1300着の服を入れて、
    260着をピックアップして、
    これをコレクションにしようって決めたときに、
    柳井さんは、こんなふうに言ったんです。

    「これをやってみよう。
    やってみてだめだったら、白紙に戻せばいい。
    白紙に戻す責任は、ぼくが取るから。」

    今の世の中、
    「だめだったら白紙に戻すけど、
    白紙に戻したら、君たちの責任だよ」
    っていう社長が多すぎる。
    そこが大きな違いだと思います。

    やっぱり大物になる人は、
    「これは決めるけど、決めた意思決定については
    ぼくが責任取る」
    っていうことができる人です。

    そう言えることで、成長していける可能性が
    何百倍にもなっていくっていう感じがします。

    相手も「あなたは本当に真剣にやってるの?」
    っていうのを常に見てるから。
    だから、人生で成長していくために大事なことは、
    「どれだけ自分が真剣にそれをやったか」
    っていうことです。

    それをやってれば、見る人は
    ちゃんと見てくれているんです。


    シー・ユー・チェンさんの授業のすべては、
    「ほぼ日の學校」で映像でご覧いただけます。


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