美術教師の末永幸歩さんは、
「絵を上手に描く」「美術史を丸暗記する」といった
従来の授業に疑問を感じ、
アートを通して自分なりの視点を持つための
探究型の授業を実践しています。
ワークショップを交えながら、
「アート思考」について教えていただいた
「ほぼ日の學校」の授業の一部を
読みものでご覧ください。
末永幸歩(すえながゆきほ)
美術教師/アーティスト。
東京都出身。武蔵野美術大学造形学部卒業、
東京学芸大学大学院教育学研究科(美術教育)修了。
浦和大学こども学部講師、東京学芸大学個人研究員。
「絵を描く」「ものをつくる」「美術史の知識を得る」
といった知識・技術偏重型の美術教育に問題意識を持ち、
アートを通して「ものの見方を広げる」ことに
力点を置いたユニークな授業を、全国の教育機関で展開。
生徒たちからは「美術がこんなに楽しかったなんて!」
「物事を考えるための基本がわかる授業」と
大きな反響を得ている。
自らもアーティスト活動を行うとともに、
内発的な興味から創造的な活動を育む子ども向けの
アートワークショップや、教育機関での出張授業、
大人に向けたアート思考のセミナーなども行っている。
著書に18万部突破のベストセラー
『13歳からのアート思考』(ダイヤモンド社)がある。
『「自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考』(ダイヤモンド社)
【Udemy】大人こそ受けたい 「アート思考」の授業 ─瀬戸内海に浮かぶアートの島・直島で3つの力を磨く─
-
だれもができる、アート思考
- ほぼ日
- 末永さんが教えていらっしゃる
「アート思考」というのは、
どういうものでしょうか?
- 末永
- 「アート思考」と、
「アートとは?」を考えることは、
ほとんど同じだと考えています。 - アート思考の「アート」は、
一般的にみなさんが思い浮かべるような、
絵を上手に描くことや、
美術史の知識を身につけることではなくて、
自分なりのやり方で世界を見て、
自分自身の興味や疑問に向き合って
探求していくこと。
その一連の過程のことを「アート」と言います。
- ほぼ日
- 「アートって何だろう」と思って
アートを勉強しようという時には、
歴史や背景を教養として知ることが
やっぱり大事なのかなと思っていたのですが、
そういったことはまずは置いておこう、
ということですか?
- 末永
- 教養的な部分を否定しているわけではなくて、
もちろん、それも一つの見方だと思います。
でも、教養を先に身につけてしまうと、
それが先入観となって、
それ以外の見方をすることが
すごく難しくなってしまいます。 - なので、自分なりの視点で見るために、
初めは、そういったものを見ないで、
自分のやり方で向き合ってみる。 - 自分が作品と向き合った上で、
さらに時間があるときには、
作者の考えや、一般的な作品解説を
見てみることもあります。 - でも、その時も、
「鑑賞者である私」の見方も、一つの見方。
作者が意図したことも、一つの見方。
一般的な解釈も、一つの見方。
これだけでも3つの見方があるわけです。 - 解釈というのは絶対的なものではなく、
時代によっても変化していくもので、
作者であっても、
鑑賞者のものの見方に影響を受けて、
考え方や見方が変わる、ということが、
あってもいいのかなと思います。
- ほぼ日
- 私は今まで、歴史を知らないから、
教養がないから、という理由で、
解説を通して作品を見ようとしていて、
知識がないことが恥ずかしい
という気持ちを持っていました。 - でも、今のお話を聞いて思うのは、
そういうものはもちろんあるけれども、
鑑賞者の見方がいろいろあっていい
ということでしょうか。
- 末永
- そうです。
- 美術を語るには、背景を知っておかなくちゃ
っていう雰囲気がすごくあって、
私もこんな活動してるのに、ふと気がつくと、
そうなっていることがあります。 - ある企業の研修をした時、
休み時間に、企業の代表の方が、
社内にある作品をいろいろ見せてくださって、
ある有名なアート作品の前で、
「これ、誰の作品か分かりますか?」
と言われて、ドキッとして、
一瞬、分からなくて「あっ、どうしよう」
みたいに、私も思っちゃったんです。
その時は、サインを見たら分かったので、
「誰々の作品ですね」と言って、
それで会話が終わりました。 - その後、そのことに対して、
私自身すごく違和感があって、
「この作品分かる?」と言われて、
私がドキッとしたは、おかしいなと思ったんです。 - だって、目の前に作品があるんだから、
たとえ誰の作品か分からなくても、
その場で見た感想を言えば、
もっともっと作品を分かったことになるのに、
なんで作者名を言い当てようとしちゃったんだろうと。 - せっかく目の前に作品があったのに、
作者名を言い当てて、一問一答の問題が終わった
みたいに会話が終わってしまったことにも、
違和感を持ちました。
自分の顔は、何色で描く?
- 末永
- アート思考というのは、
自分なりのものの見方をして、
自分だけの答えを作って、
世の中に新しい問いを生み出していく
という一連の過程なんですけれど、
私がこの考えに至ったのは、
20世紀のアーティストたちから
とても大きな影響を受けたことにあります。 - 私の本『13歳からのアート思考』の中には、
20世紀の代表的な6人のアーティストたちが、
どうやって「当たり前」を疑って、
どうやって壊していったのか、
という過程を綴っています。 - その一番初めに出てくるのが、
20世紀のアートを切り拓いたアーティスト
といわれる、アンリ・マティスです。
アンリ・マティスのことは、ご存じでしたか?
- ほぼ日
- 名前は知っています。
絵を見て「ああ、この絵の人ね」
とわかるくらいの感じです。
- 末永
- たぶん多くの人は、そうだと思います。
- では、ここで、
マティスがどんなことをしてきたのかを
たどりながら、アートの考え方について、
ちょっと触れてみたいと思います。 - 学校で子どもたちにマティスの話をする時に、
「みんなは自分の顔や友達の顔の
肖像画を描いたことある?」
と問いかけています。
描いたことありますか?
- ほぼ日
- 昔、小学生の時に描いたと思うんですが、
大人になってからは描いてないです。
- 末永
- そうですよね。
では、クレヨンや色鉛筆を用意しますね。
じゃあ、実際にいま自分の顔を描くとして、
「肌は何色で塗りますか?」
「髪の毛は何色で塗りますか?」
と聞いてみるんです。
- ほぼ日
- 自分の肌ですよね。
この中だと、一番自分の肌に近い色、
この色を選びます。
- 末永
- 髪はどうします?
- ほぼ日
- 真っ黒じゃないので、
こげ茶ぐらいで描くと思います。
- 末永
- はい、ありがとうございます。
子どもたちに聞いても、
今のような色を選ぶ子が多いですが、
こだわりのある子は、
いろんな色を選んで混ぜて使う子もいますし、
なかには変わった色を混ぜる子もいます。
アンリ・マティスの「色の独立宣言」
- 末永
- では、マティスの代表作といわれる
『緑の筋のあるマティス夫人の肖像』
という絵を見てみましょう。
こちらの絵です。
- 「色に着目してください」と言うんですが、
肌の色を見てみると、タイトル通り、
「緑の筋」が顔の真ん中にありますね。
ありえない色ですよね。 - 左右の肌の色も違っていて、
右側がピンクっぽくて、左側が黄色っぼい。
他にも、眉毛が青っぽかったり、
髪の毛の色も、黒かなと思ってよく見ると、
青や赤が使われていたりします。
なんでこんな色を使ったんでしょうか。 - マティス自身、
「実際にこんな女性がいたら私も逃げ出す」
というふうに言っているんですね。
- ほぼ日
- (笑)
- 末永
- でもこれは、
マティスの奥さんを描いたものなので、
もちろん逃げ出してはいないんですが。 - マティスは、なぜこんな色を使ったのか
考えてみましょう。 - それ以前のアートの歴史を考えてみると、
マティス以前のアートは、
数百年前のルネッサンスの時代から、
ずっと根底に一つの目的があったんです。 - それは、
「現実にあるものを絵画の中に描き写す」
ということなんです。 - いま特に意識しないで、
自分の肌の色を塗ろうと思ったときに、
「自分の肌の色は何色かな」と考えて
選んでたと思うんです。
髪もそうだったと思います。 - そんなふうに、無自覚でも
「現実をいかに再現できるか」を考えてしまう。
マティスはそれを打ち破った人物なんです。 - 時代的には、
マティスがこの作品を生み出す少し前、
世界ではカメラが発明されました。 - そんな背景もあって、
現実の再現は絵画だけの特権じゃない、
写真にもできるというところから、
じゃあ、アートの意味って一体何なんだろう、
アートにしかできないことって一体何なんだろう、
というふうに考えたマティスは、
色を現実世界を再現する道具として使うのではなく、
色を色として、ただ純粋にキャンバスに置く
ということを試みたんです。 - いわば「色の独立宣言」なのかなと思います。
そういう、すごく革新的な作品なんです。
- ここでマティスがしたことは、
作品の評価というのを、
出来栄えがきれいだからとか
完成度が高いからとかではなく、
そこの根底にある部分、
自分なりの見方で世界を見る、
というふうに捉え直したことなんです。 - 特にこの作品は、色について、
マティスが自分なりのものの見方で捉え直した。
みんなが気づいてなかった
「現実世界を再現しなきゃいけない」
という「当たり前」に気がついて、
それを打ち壊して、色を自由に使った。 - そのマティスの自分なりのものの見方、
「当たり前を疑う」
というところに価値があるからこそ、
結果的に、この絵が評価されていった
ということだと思います。
末永幸歩さんの授業のすべては、
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あの人この人の、飾らない本音のお話を聞いていただけます。
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