
ビールのキリンに入社した佐藤章さん。
営業部で活躍しますが、ライバル・アサヒの
スーパードライの大ヒットで痛感することがあり、
本場ドイツへビールを学びに行きます。
そこで得た考え方や体験から(ビールではなく)
「生茶」や缶コーヒーの「FIRE」など
次々とヒット商品を開発。
現在は湖池屋の社長として、
ポテトチップスの老舗を大きく変化させています。
有名マーケッターの率直な半生は、
とても人間くさいものでした。
動画で配信中の「ほぼ日の學校」の授業の
一部を読みものでご覧ください。
佐藤章(さとうあきら)
株式会社湖池屋 代表取締役社長。
1959年、東京都生まれ。
82年、早稲田大学法学部を卒業後、キリンビールに入社。
97年にキリンビバレッジ商品企画部に出向。
99年に発売された缶コーヒー「FIRE」を皮切りに、
「生茶」「聞茶」「アミノサプリ」など、
年間1000万ケースを超える大ヒットを連発。
2008年にキリンビールに戻り、
九州統括本部長などを経て、
14年にキリンビバレッジ社長に就任。
16年にフレンテ(現・湖池屋)執行役員 兼
日清食品ホールディングス執行役員に転じ、
同年9月から現職。
2017年2月に新しい湖池屋を象徴する商品として発売した
「湖池屋プライドポテト」の大ヒットに続いて、
「じゃがいも心地」、「湖池屋STRONG」を成功へと導き、
ポテトチップスの老舗・湖池屋の代表として、
新しい“食”への挑戦を続けている。
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就職で選んだのは「身近なもの」
「物をつくるのはいいことだ」とおぼろげなく思っていて、
就職する時、商社や銀行は絶対イヤだったんですね。
つまり、「金へん」が僕はダメだろうと。
自分はお金を稼いだり、儲けたりするのは上手くないと
直感的に分かってましたので、
そうじゃない方に行こうと思って、
マスコミか、広告代理店か、メーカーか。ここで一番に考えたのは、
「難しいことは好きじゃない」ということ。
なので「身近なもの」にしようと思ったんです。そうなると、食べものか飲みものだろうと、
短絡的に考えて、飲みものを選びました。
これがキリンに行った一番の理由で、
他愛もない理由ですけど、本当のことです。もっと言うと、作ることが好きで、
メーカーに行った方がライバルが少ないと思ったんです。
ものづくりを発揮できる場は、
メーカーの方があると思った。当時は、広告戦略やPRのことは、
まったく分かってませんから、
ビールを作る、清涼飲料を作る
ということにも有利かなと思って行きました。入社後は、2年目で営業に行って、
それから9年間ずっと営業で、
スポーツで養った「負けないぞ」という気持ち、
「負けると悔しい」という気持ちが功を奏して、
なんとなく勝ってるんです。キリンビールの営業をしていた時は、
やろうと思ったことは、わりとうまくいくので、
僕は「これは天職だ」と勘違いをしました。
簡単に言うと「ちょろいな」と思ったわけです。天職である営業をずっと続けていこうと決めた矢先、
ライバル会社から、アサヒスーパードライが出ます。
これは半端じゃない商品です。みなさんも想像できると思いますが、
今まですごい売れていたキリンビールが、
じわじわ売れなくなるんです。「大ヒット」したものは、すぐ落ちるんですよ。
「じわじわ」売れて行ったものは、落ちないんですね。アサヒスーパードライがじわじわ売れ出した時に、
これはマズイぞと‥‥。
僕の今までの営業活動が打ち消されてしまうと思った。もっと本当のことを言うと、
商品力の方が営業力よりも強いんじゃないか、
商品力はひょっとしたら大事なんじゃないか、
と、初めて思い始めました。営業から商品企画へ
僕はこのまま営業をやるべきかどうか、
すごく迷いました。
そして、手を挙げます。
社内の公募制度ができたばかりの頃でした。
ちょうどいいやと思って、
「僕がこのピンチを救おうと思った」
と言うとかっこいいですけど、
「なんとかしないと大変なことになると思った」
というのが本当かもしれません。そして、半年が経ちます。
「マーケティング」という言葉がまったく分かりません。
いろんな商品開発をするためのたたき台を作って、
あまりあてにならない座談会での調査をして、
「これ買いたいですか」と聞くんですが、
誰も「買いたい」と手を挙げてくれない。ここで、僕は営業が天職だったわけではなく、
小売店や卸売業者にキリンの商品を
うまく売ってもらうのが得意だっただけで、
商品自体を扱っていたわけじゃないと気づいたんです。どういう気持ちで買ってくれたとか、
どういう時に何が飲みたいとか、
分かってたわけじゃない。そのことに初めて気づいて、
「マーケティングをやり直したい」
と本気で思い、
「どうやったらビールでヒット商品を飛ばせるか」
を考えました。本場ドイツで学ぶ
そこで、「そうだ!本場に行こう」と思ったんです。
上司に「ドイツに行かせてください」と言いました。
なぜそう思ったのか。
本場ドイツに行くと、
お助けマンがいると思ったんです、たぶん。
それを聞いた上司は
「うん、1週間だけな」って言うんですよ。
僕の考えは読まれておりまして、
でもそれが、すごく良かったんです。その上司が研修先として選んでくれたのは、
大きなビール会社と小さなビール工場(こうば)。
正確には、工場と言うより、
一人でビール作りの全てをしている
ビール醸造人の家でした。大会社の方はまったく参考にならなかった。
大量生産で、分業で、酵母も見せてくれない。
来なきゃよかったと思った。僕が見た光景でハッとしたのは、
ビール醸造人の家に行った時でした。
どうせ一人で作ってるところだと
期待せずに行ったら、そこに宝がありました。南アルプスに一部つながっているドイツの郊外にある、
ボロい2階建てのビール醸造屋さんです。麦を煮る古いお釜、茹でた麦の干し場、
麦汁に変える煮沸する大きなお釜、
ホップを入れて発酵させるタンク、
発酵タンクの次には、
ロケットみたいな大型タンクが3本、
これらが順番に並んでるんですよ。つまり、麦を茹でて干して乾いたら(製麦)、
仕込みで火を入れて麦汁にして、
煮込み終える最後にホップを入れて、
煮上がったところで酵母を入れて、
酵母の力でビールに変えていく。
その工程を流れで見ることができた。それまで、なんとなくは分かってたんです。
でも、はっきりとビールができるまでを
理解できたのは、この小さな工場でした。
「ビールってこうやって作るんだ」と。
さらに良かったことが、
「僕にもできそうだ」と思ったんです。ドイツは純粋令という法律で、
ブラウマイスターの免許をもつ人しかビールを作れません。
その人が作り方を説明してくれながら
「20日間ここに置いとくんだよ。飲みたいだろ」と言って
20日間経ったものをキュッと開けて飲ませてくれたんです。
未濾過のビール。甘いんですよビールって。自然の麦の甘みのビールを飲ませてくれて、
「ああ、本当にビールができてる」
というのが分かった時に、こう思いました。
一個一個のコンテンツも、もちろん大事ですが、
「流れ」が大事なんじゃないかと。専門用語で言うと「コンテクスト」
という難しい言葉になりますが、
一個一個を知っていてもダメで、
「どうつないで行くと、この文脈になるか」
というのが大事なんだということを知って。この流れのなかのどこをいじればいいかを考える、
それが開発じゃないかなと教えてもらったんです。その時、30歳でした。
この経験がないと、僕は今ここにいないんです。
佐藤章さんの授業のすべては、
「ほぼ日の學校」で映像でご覧いただけます。
「ほぼ日の學校」では、ふだんの生活では出会えないような
あの人この人の、飾らない本音のお話を聞いていただけます。
授業(動画)の視聴はスマートフォンアプリ
もしくはWEBサイトから。
月額680円、はじめの1ヶ月は無料体験いただけます。
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