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2013年公開の『凶悪』で第37回日本アカデミー賞
優秀監督賞と優秀脚本賞を受賞し、
その後も『彼女がその名を知らない鳥たち』、
『孤狼の血』シリーズ、『ひとよ』など、
次々と話題作を発表している
日本映画界の若き名匠、白石和彌監督。
2022年5月6日(金)には、
新たな作品『死刑にいたる病』が公開されます。
20代で映画業界に飛び込み、体当たりで学んだ
「映画づくり」のおもしろさを「ほぼ日の學校」で
語っていただきました。聞き手は糸井重里。
映画のたのしみ方がひとつ増えるような対談です。
動画で配信中の「ほぼ日の學校」の授業の一部を
読みものでご覧ください。
白石和彌(しらいしかずや)
映画監督。
1974年12月17日生まれ、北海道出身。
若松孝二監督に師事し、フリーの演出部として、
行定勲、犬童一心監督などの作品に参加。
10年『ロストパラダイス・イン・トーキョー』で
長編デビュー。
13年の『凶悪』で、第37回日本アカデミー賞
優秀監督賞&優秀脚本賞、新藤兼人賞などを獲得、
一躍脚光を浴びる。
『日本で一番悪い奴ら』(16)は、
第15回ニューヨーク・アジア映画祭の
オープニング作品に選出された。
第46回ロッテルダム国際映画祭に招待された
『牝猫たち』(17)では脚本も手掛ける。
『彼女がその名を知らない鳥たち』は、
第42回トロント国際映画祭に出品され、
第39回ヨコハマ映画祭監督賞と
第60回ブルーリボン賞監督賞を受賞。
18年『サニー/32』『孤狼の血』
『止められるか、俺たちを』の3作品で
第61回ブルーリボン賞監督賞、
日刊スポーツ映画大賞監督賞を受賞。
19年『麻雀放浪記2020』『凪待ち』『ひとよ』で
第93回キネマ旬報ベスト・テン日本映画監督賞や
第70回芸術選奨文部科学大臣新人賞などを受賞。
-
映画をつくる側に興味があった
- 糸井
- 最初は
「映画がとにかく好きだった」
というところから始まるんですか?
- 白石
- そうです。
家族が映画好きだったので、
なんとなく小学生くらいから映画は観てたんです。
『リーサル・ウェポン』とか『E.T.』とか、
そういう大きな映画ばかりですけど。 - そのあと中学生のときに
家にビデオテープが導入されて、
近所のビデオ屋さんで
いろいろ借りられるようになってから、
ちょっとずつ映画を観る意思を
持ちはじめたという感じでしたね。
- 糸井
- 映画への強い興味は、
そのビデオ以後ですか?
- 白石
- そうですね。
記憶がちょっと定かじゃないんですけど、
深夜に日活ロマンポルノを観た記憶があって、
たぶん橋本治さん原作の
『桃尻娘』だったと思うんですけど。
- 糸井
- 起きて観てたんだ。
- 白石
- 新聞の番組表に書いてますからね。
『桃尻娘』って(笑)。
- 糸井
- (笑)
- 白石
- 中学生だったんで、
「え、桃尻娘?!」と思って。
- 糸井
- 親も寝てるしね。
- 白石
- 確実に親も寝てる時間だし、
これはこっそり観れるじゃないかって。
それで深夜に観てみたら、
それが思いのほか泣ける青春映画で。
- 糸井
- あぁ、うん。
- 白石
- それで「あれ?」ってなって。
もうすぐ映画が終わるってところで
親が起きてきたので
あわてて消したんですけど(笑)。
- 糸井
- ははは。
- 白石
- 最後まで観られなかったのが、
そのあとけっこう心残りだったんです。
で、高校生のときにビデオ屋と仲良くなって、
日活ロマンポルノのコーナーをのぞいたら、
そのビデオを見つけて「これだ!」と。
- 糸井
- おおー。
- 白石
- それで桃尻シリーズを観て、
そのうち『仁義なき戦い』を観たりして、
その頃からだんだんと
邦画を観るようになったんです。
それで「映画の作り手ってこうなんだ」
というのがだいぶんわかってきて、
それで映画づくりに興味を持つようになりました。
- 糸井
- 俳優さんに興味を持つ人もいれば、
作りに興味を持つ人もいて、
白石さんは後者だったわけですね。
- 白石
- そうでしたね。
当時の「キネマ旬報」には
現場レポートみたいなのが載ってて、
カメラの横で難しい顔したおじさんが
腕組みしてるのを見たりして
「あ、これがあの監督なんだ!」とか。 - そのとき読んでたレポートが、
とにかく大変な話ばかり載っていて、
台風の真っ最中なのに、
監督に「これをずっと持ってろ!」と言われて、
ひたすらそれを持ってた人の話とか。 - そういうのを読みながら
「この人になりたい」と思ったのが、
まず最初だったような気がします。
監督になりたかったというより、
そういう現場の中に入ってみたかった。
- 糸井
- 何か関わってみたかったんだ。
- 白石
- 毎日学園祭をやってるような、
そんな印象だったんだと思います。
月3万で通った映像塾
- 白石
- それで、高校を卒業したあと、
札幌の専門学校に行きました。
映画界のツテをつくりたいと思っていたんですが、
そこではツテはぜんぜんできなくて、
それでどこか就職ができるなら、
もうしてもいいかなと思っていました。
- 糸井
- それは映画系の?
- 白石
- どちらかというと映像系ですね。
ただ、当時は北海道全体が不況で
就職先もぜんぜんなくて‥‥。 - それで母親が「だったら東京出れば」と
あと押ししてくれたので、
上京して中村幻児監督が主宰していた
映像クリエイターを育成する
『映像塾』というところに通いはじめました。 - その『映像塾』というところは、
週1、2回のワークショップで
月謝が3万円くらいだったんです。
当時、お金はなかったんですけど、
それくらいだったらバイトしながら通えるし、
若松孝二監督や深作欣二監督の話も聞けるし、
という感じで入ったんです。
- 糸井
- それは運命を変えるような学校ですよね。
月3万円さえ払えば、
どこかとつながるかもしれないわけで。
- 白石
- そういう期待はありました。
ぼくは20歳くらいでしたけど、
信じられないぐらい映画に詳しい人や、
脱サラして無職で通ってる人とか。
いろんな人がそこにいたので。
- 糸井
- まわりはだいぶん年上ですよね。
- 白石
- 年上すごく多かったですね。
近い人でも3、4歳年上だったり。
- 糸井
- そこに若い子がひとり混じってるみたいな。
- 白石
- そんな感じだったと思います。
- 糸井
- 「見どころのある奴だ」と思われてたんだ。
- 白石
- どうでしょうね(笑)。
- 糸井
- ただ、それは趣味の会ですよね。
厳しいことを言ってしまえば。
- 白石
- そういう面もあったと思いますけど、
ぼくはコネができたら、
すぐにでも現場に行こうと思っていたんです。
そうしたら運良くというか、
若松さんが映画撮るという話があって‥‥。
- 糸井
- おおー。
- 白石
- 昔から若松プロって、
制作部と助監督合わせて1人か2人なので、
万年人手不足なんですね。
それで「誰か手伝うやついるか?」と言われて、
思わず「はい!」と手を挙げて。
- 糸井
- いちばん若い奴が挙げたわけだ。
- 白石
- まだ会ってもないのに「採用」って。
最初は「そんな簡単に決まるの?」と
思いましたね(笑)。
でも、これで現場に行けると思ったときは、
かなりテンション上がりましたね。
映画づくりの工程ぜんぶが好き
- 糸井
- その頃は
「映画で何やりたい」みたいなことは
決まってなかったんですか?
- 白石
- 興味はいろいろありました。
照明さんやってみたいとか、
カメラマンもやってみたいとか。
- 糸井
- そこがおもしろいね(笑)。
- 白石
- その感覚はいまでもあるんです。
いまでこそ監督をやってますけど、
効果音の人がかっこよく仕事してるを見ると、
「監督の仕事なくなったら、
あそこに行こうかなぁ‥‥」とか(笑)。
- 糸井
- はーー。
- 白石
- カメラマン1人しかいないような
小さい映画のときでも、
予備のカメラだけは置いてあるんですね。
カメラが壊れたらおしまいなんで。 - ただ、現場でサブのカメラも
まわしたほうがいいなってときに、
「2カメ、俺がまわしたいんですけど」と言っても、
日本だとなかなかやらせてくれない。
- 糸井
- あ、そうですか。
- 白石
- 「監督は見ててください。
あいつにまわさせますから」って言われます。
ほんとは俺がまわしたいのに(笑)。
- 糸井
- (笑)。
- 白石
- 海外だとカメラマン出身の監督も多いので、
有名監督はだいたいまわしてたりするんです。
でも日本はそういう文化がないからか、
その部署に入ったら、
その部署の人みたいなところがあって。
- 糸井
- あー、そうか。
- 白石
- 例えばライティングにしても、
他の監督はあまり気にしないと思うんですけど、
ぼくはけっこう聞くんですよ。
- 糸井
- 好きなんですね。
- 白石
- はい、好きなんだと思います。
つくっていく工程が。
- 糸井
- 白石さんのつくる映像の匂いというのは、
わりと一貫してますもんね。
- 白石
- インスタグラム見てても、
撮影の裏側のアカウントをフォローして、
暇なときにずっと見てたりするんです。
映画をつくる工程に興味があって、
それに飽きることがないんですよね。
いまに至るまで。
- 糸井
- コンピューターグラフィックスとかも?
- 白石
- すごく興味あります。
- 糸井
- いま監督やってる海外の人たちは、
たしかにそういう傾向がありますよね。
そういう問題について
監督がしゃべれてますもんね。
- 白石
- 海外はフレキシブルに
いろんなことチャレンジした結果、
監督になったという人が
わりと多いからだと思いますね。
このままだと世界から置いていかれる
- 糸井
- まだ日本はそうじゃないんですね。
- 白石
- 助監督のときも感じたんですけど、
演出部やりながら、
撮影やライティングにすこしでも何かいうと、
「演出部なんだから黙っとけよ」
みたいなことを言われがちなんですね。
- 糸井
- ああ、そうですか。
- 白石
- なのでそういう映画づくりは、
もうぼちぼち壊していかないと、
世界から置いてけぼりを
食らってしまうという感覚があるんです。
もちろんいいこともあるんですけど、
邪魔してる部分も多々あるんだろうなと。
監督として10年ぐらいやって、
それは気付いたことなんですけど。
- 糸井
- 予算の制約があるのはわかっていても、
イヤなセットだと思ったら、
もう撮れないですもんね、きっと。
- 白石
- たしかに、それはそうですね。
- 糸井
- そこは監督としては
徹底的に注文つけたい部分ですよね。
- 白石
- 撮影当日に「あ、違うな」と思っても、
それはもう手遅れなので、
そこに行き着くまでの過程で
どれだけディスカッションして、
どうコントロールするかだと思います。 - まあ、黒澤明監督みたいに、
「うん、今日は違うな」みたいに
ハッキリ言えればいいんですけど、
それしたら一瞬でクビですよね(笑)。
- 糸井
- (笑)
- 白石
- なので、いいことか悪いことか
わからないですけど、
「あ、これ違うな」と思っても、
いい顔してごまかす術が
貧しい中でつくっていると
身に付いちゃったりするんですよね。
- 糸井
- その融通の利き方が、
いい方に出る場合もあれば、
一歩抜け出せない理由になることも。
- 白石
- あると思いますね。
- 糸井
- 経費削減でもやっていけるよというのは、
これはこれで大事だと思うんです。
でも、そこにずっと居させられると、
まわりに追い抜かれちゃいますよね。
- 白石
- そういう環境に慣れちゃいますからね。
もうちょっと工夫したらおもしろくなる。
でも、朝みんな早かったし、明日も朝早いし‥‥。
うん、このまま黙ってやるかっていう(笑)。
- 糸井
- いま日本が抱えてる問題って、
だいたいその辺りにあるような気がしますね。
- 白石
- 単純に日本は世界の中で、
お金をかけることができてないので、
そこは苦しい部分だと思います。
これまではあらかじめ準備することで、
だいぶん補って来たんですけど、
それも限界が来てるのかなって思いますね。
白石和彌さんの授業のすべては、
「ほぼ日の學校」で映像でご覧いただけます。
「ほぼ日の學校」では、ふだんの生活では出会えないような
あの人この人の、飾らない本音のお話を聞いていただけます。
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