こんにちは、ほぼ日の奥野です。
シャープのXを運営する山本隆博さんに
お話をうかがう機会を得ました。
マス広告をつくっていた時代の違和感や、
「いちいち上司のハンコを
もらわなくていいんだったらやります」
と手を上げてはじめた
SNSの世界での、悲喜こもごも。
おもしろいだろうな〜と思っていたけど、
やっぱり、おもしろかった。
いわゆる「中の人」って
イメージとちがったりするのかなあとか
うっすら思っていたけど、
シャープさんは、シャープさんでした。
それが何だか、うれしかったです。
山本隆博(やまもとたかひろ)
シャープさん、としてシャープ公式アカウントでつぶやきを担当。企業公式SNSアカウントの先駆者として広告の新しいあり方を模索しながらユーザーと交流を続けている。主な受賞歴として2014年大阪コピーライターズクラブ最高新人賞、第50回佐治敬三賞、2018年東京コピーライターズクラブ新人賞、2021 ACC ブロンズ。2019年にはフォーブスジャパンによるトップインフルエンサー50人に選ばれたことも。漫画家支援サイト「コミチ」で連載しているコラムをまとめた『スマホ片手にしんどい夜に』(講談社)を2023年に出版。
- ──
- ご著書を読ませていただきましたが、
おもしろかったです。 - とくに、「広告を諦めた」と書かれていて、
「そういう思いがあったのか」って。
- 山本
- そうなんです。
- ──
- ただ「諦めた」と言っても、
客観的には「成功」していますよね。
でなければ、こうして
取材の依頼もこないと思うんですよ。
- 山本
- たしかに。
- ──
- そのあたりから、まず‥‥と思うのですが、
Twitter以前、もともとは、
広告の部署でお仕事をされていたんですね。
- 山本
- はい。SNSをはじめる前は、
テレビのCMや雑誌広告をつくるところで
はたらいていました。
- ──
- いわゆる、オーソドックスな広告。
- 山本
- メーカーの人間として、
代理店の方と一緒に広告をつくってました。
クライアント側の「下っ端」として、
よくわからないまま仕事をはじめて、
こういうもんかなと思ってやってたんです。 - つまり、大きなお金をドッカーンと使って、
いいキャッチコピーができましたと
プレゼンされて、
これはどうやらすばらしいらしいぞ、
というものが目の前に置かれるわけです。
- ──
- ええ。
- 山本
- ぼくの仕事は、そのすばらしいコピーを
世の中に発表していいですよ、
という許可をもらうために、
30個くらいハンコを集めることでした。
- ──
- そんなにですか! RPGみたい。
- 山本
- どこかでハンコがもらえなかった場合には、
「ふりだしに戻る」んです。
- ──
- それは‥‥マジですか。
いわゆる「締切」だってあるでしょうに。
- 山本
- そうなんですが、新卒での入社だったので、
広告の仕事というものは、
こういうもんかと思ってやってたんですね。
でもやっぱり、どこか変なんですよ。 - すばらしいコピーが目の前にあるんだから、
そのまま出せばいいじゃないですか。
でも、ハンコを集めていくうちに、
そのすばらしいコピーが、
ちょっとずつ削られて、削られて‥‥
半分になってしまうようなこともあって。
- ──
- よくある話‥‥なのかもしれませんけど。
なるほど。
- 山本
- 何とか世の中に出すことができれば
自分の仕事としては褒められますけど、
削られる前の
キャッチコピーの輝きを知ってるから、
「これ、ちゃうやんか」って。 - それが、まあまあしんどかったですね。
- ──
- 最初の輝きを知っているだけに。
- 山本
- 同時に、人々が新聞を読まなくなって、
広告を見てくれなくなり、
どんどん
広告が好かれなくなっていく時代の中、
ぼくは「つくる側」にいた。 - このまま、
いろいろな可能性を削るようなことを
生業にしていくのは
「ようやらんな」と思いはじめまして。
- ──
- その仕事、何年やってたんですか。
- 山本
- 4、5年ですかね。
- ──
- 「きみ、広告の部署に配属」と言われ。
- 山本
- はい。
- ──
- そこで、ゼロから学び。
- 山本
- まあ、学んだ‥‥というか、
「そういうもんなんや」って言われて。 - そもそもクライアントっていう存在が、
よくわからなかったです。
だって、お金を払ってるってだけで、
一緒につくる人に対して、
こんなにえらそうなのかって気持ちが、
最後まで拭えなかった。
ずっと、これは変だぞって思いながら、
日々をこなしていた感じです。
- ──
- そうやって、広告というものについて、
モヤモヤしているときに、
「Twitter」の担当に抜擢された‥‥。
- 山本
- まあ、抜擢という感じでもないですね。
東日本大震災が起きて、
TwitterやFacebookなどのSNSが
インフラとして機能するぞと
注目されはじめ、
これは企業もやるべきだというふうに
思われ出したタイミングで‥‥。
- ──
- ええ。ひとつの広告手段として。
- 山本
- じゃ「誰がやるの?」という話になり、
これはしめしめと思って、
「じゃあ、ぼくがやりましょうか」と。
- ──
- 手を挙げた。みずから。
- 山本
- はい。ツイートをするにあたっては、
いちいちハンコをもらわずに、
そのまま出していいならやりますと。
- ──
- ツイートのたびに
ハンコ集めの旅に出てたらちょっとね。
- 山本
- 無理ですね。
- ──
- スタイル的には、
Twitterをはじめたころから、
いまみたいな感じだったんですか。
- 山本
- いえ、じょじょにです。
- たしかにやっていいとは言われたけど、
はじめは、
すぐ怒られるやろなと思ってたんです。
- ──
- あ、そんな予感があった。自分でも。
- 山本
- ええ。企業のアカウントの使命として、
お客さまに対して
「告知しなければいけないこと」って、
日々いろいろとあるんです。 - ぼくら家電メーカーの場合には
「冷蔵庫の発売日」を並べただけでも、
ズラーッとあるわけです。
一般的な企業アカウントなら、
それを淡々と告知するんでしょうけど。
- ──
- 何月何日、新型冷蔵庫発売です、
何月何日、別の新型冷蔵庫発売ですと。
- 山本
- どこまで「淡々と告知をしないか」で
やってみようと思ったんです、最初は。 - 企業のプレスリリースというのは、
新しく何かをつくったんですよーとか、
こんど新発売しますねとかって、
だいたい主語が
「我が社は」だとか、
「うちの商品は」とかになるんですね。
- ──
- はい。それが「ふつう」ですよね。
- 山本
- でも、そもそもTwitterっていうのは
自分のことを話す場所だから、
他の人たちの主語は
「ぼくは、わたしは」だったんです。 - だから最初の最初は、
会社から出るプレスリリースの主語を
「ぼく」に書き換えていただけ。
それくらいなら、
ま、怒られはしないだろうと踏んで。
- ──
- そうやって「探り」を入れつつ‥‥。
- 山本
- 1年くらいやってたのかなあ。
- ──
- 当時のフォロワーの反応というのは。
- 山本
- 何の反応もなかったです。
- はじめるとき、全社員の1割くらいは
フォローしてくれるやろと思いました。
その当時、国内だけでも
3万人くらいは社員がいたんですけど。
- ──
- つまり、3000人くらいは
最初からフォロワーがつくだろうと。 - 何にもしなくても。
- 山本
- 3か月やっても「20」くらいでした。
ぜんぜん甘かったですね。
- ──
- たぶん「関係者のみ」って感じですね、
その数だと(笑)。
- 山本
- そうか、そんなもんなんやなあ‥‥と。
- たしかに、社員だからといって
フォローする義理はないし、
組織の力が使えるかと思っていたけど、
そういうものでもないらしい。
そこから、
「であるならば自分のやり方でやろう」
という模索がはじまったんです。
- ──
- なるほど。自力で開拓していこう、と。
ロールモデルというか、
参考にしたアカウントはありましたか。
- 山本
- 企業アカウントの中にはなかったです。
- ──
- きっとふつうに運用していたところが
大半でしたもんね、当時は。
- 山本
- でも、いろいろと観察を続けていると、
SNS上で
ふるまいが受け入れられている人とか、
おもしろい文章を書いている人って、
だいたいやっぱり「個人」なんですよ。 - わたしは‥‥で、はじめている人たち。
- ──
- つまり「仕事でやってない人」が大半。
- 山本
- はい、そういう人ばっかりでした。
ぼくの場合は
看板だけは会社名になっていますから
「人と会社のハイブリッド」、
みたいな存在になれたらいいのかなと
思いながらやっていました。 - で、あの当時、そういうようなことを
「ぶん殴るように」あるいは
「軽やかに」やっていた
ほとんど唯一の企業アカウントが、
「NHK_PR1号」さんだったんですよ。
- ──
- 後の、というか、いまの浅生鴨さん。
- 山本
- はい。
(続きます)
2024-09-09-MON