くるりの音楽を聴いて
自由とか旅とか宇宙とか広い空を
思い浮かべる人は、きっと多い。
でも、くるりという音楽の集団は、
さまざまに形を変えてきました。
岸田繁さんご本人も、
スリーピースからクラシックまで、
いろんな「楽団」から、
多様な音楽をとどけてくれました。
でも「真ん中にあるもの」は、
ずっと変わらないといいます。
くるりが、くるりでいることの証。
そのことについて、
全6回の連載にしてお届けします。
担当は「ほぼ日」奥野です。

>岸田繁さんのプロフィール

岸田繁(きしだしげる)

1976年、京都府生まれ。作曲家。京都精華大学特任准教授。ロックバンド「くるり」のボーカリスト/ギタリストとして、98年シングル「東京」でメジャーデビュー。代表作は「ばらの花」「Remember me」など。ソロ名義では映画音楽のほか、管弦楽作品や電子音楽作品なども手掛ける。

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第1回 くるり感の正体。

──
岸田さんは、長く音楽をやってきて、
いま「バンド」って、
どういうものだと感じていますか。
岸田
バンドというものは何‥‥というか、
すくなくとも、くるりは、
もはやバンドではないと思ってます。
──
くるりは、もはや、バンドではない。
岸田
スリーピースのロックバンドとして
世に出ましたけど、
メンバーの出入りもあって、
いまは、
バンドのスタイルでやってないので。
──
バンドとは「スタイル」である、と。
岸田
そうじゃないですか。
現在のくるりのメンバーでいったら、
私がいて、
ベーシストがいて、
トランペットを吹く人がいるという。
──
そうですね。
岸田
スリーピースのバンドだったころは、
ギター、ベース、ドラム、
そこへもう1本ギターが入ったり、
場合によっては
鍵盤が入ることもあったんですけど。
結成して最初の数年間は、
その最小編成で‥‥なんていうかな、
バンドのころって、
ぜんぶが「ゼロ」からはじまってた。
──
というと?
岸田
たとえば新しい曲やろうってときも、
バンドで集まって、
バンドでつくりあげていたんです。
大所帯のバンドさんにくらべたら
できることも限られるけど、
なんかやろうぜって言ったときには、
圧倒的に「早い」んです。
──
スリーピースは、機動力が高い。
岸田
これが5人とかになってくると、
凝ったヘッドアレンジほしいねとか、
誰かがリーダーシップをとって、
しっかりまとめないと、
いろいろ先に進まなくなりますよね。
だからそうやなあ、
4人編成で演奏しているときまでが、
私のなかでは、
バンドをやってる感じがあったかな。
──
少し前に、サニーデイ・サービスの
ライブに行ったんです。
他にいくつかバンドが出てましたが、
3人しかいない
サニーデイ・サービスが、
いちばん、音が大きかったんですよ。
岸田
それは曽我部(恵一)さんだからで、
心意気の部分でしょうね(笑)。
ライブのときは3人で演奏しようが、
20人で演奏しようが、
バンド感‥‥
みたいなものは、生まれますけどね。
──
バンド感。
岸田
何ていうんですか、生々しい感じ?
あの独特の感覚って、
何人でやっていようが生まれるけど、
いわゆる
「オレたち、バンドやってんなあ!」
みたいな気分だったのは‥‥。
──
ええ。
岸田
最初のスリーピースのときと、
アメリカ人のドラマーが入ってきて
4人でやってたときかな。
現メンバーのファンファンが入って、
5人編成になったときも、
バンドでやってる感覚はあったかな。
──
何なんでしょうね、
その「バンドをやってる感覚」って。
岸田
ゼロから1が生まれるというときに、
そこにいる人間だけで、
一気に、
ひとつの音楽を生み出している感じ。
うん、
それはすごくバンドならではですね。
──
おもしろいです。
そこにいる人たちだけで、
一気に音楽を生み出してる集合体が、
バンドであると。
岸田
たとえバンドみたいに見えていても、
メインのソングライターが、
ゼロから85くらいまでつくって、
そのラフスケッチを、
他のバンドメンバーがなぞりながら
仕上げているとしますよね。
それで曲ができましたって、
これがバンドの音ですっていっても、
ちょっと、
ぼくのバンド観とはちがいますね。
──
なるほど。
岸田
ぼくらの場合は、
アイディアも気持ちもモチベーションも、
ゼロの状態で
全員がスタジオに集まって、
それぞれに楽器を持って、
「さーて、何やろう?」ってとこから、
「ドンッ!」とはじまる。
そこから、全員で音をつくりあげていく。
そんな感じで、ずっとやってきたので。
──
その感覚は、バンド特有のものですか。
岸田
いまはバンドじゃないって言ったけど、
ものをつくるとき、
ライブをやるとき、
いま言った感覚そのものはあるんです。
でも、その感覚を共有するのが、
ぼくとベースの佐藤さんだけなんですよ。
だから、やっぱりいまは、
俺たちバンドやって感じはしてませんね。
──
ファンからしてみると、
メンバーや編成はいろいろと変わっても、
くるりはくるりで、
本質は変わらないわけですけれども。
岸田
私と佐藤さんがいれば、くるりであって、
それは絶対、そうなんです。
ぼくがひとりでやってるプロジェクトは、
だから、くるりではないし。
──
そうか、そうですよね。
岸田
佐藤さんがよそでベースを弾いていても、
それはまた、ちがうものだし。
でも、ぼくと佐藤さんがいれば、
ま、いろんな編成でやってきましたけど、
それは、くるりなんでしょうね。
──
その「くるり感」の正体って‥‥。
岸田
うーん、何なんでしょうねえ。
バンドっていう言葉は、
日本では、
ある演奏の形態を指すところがあるけど。
──
そうですね、やっている音楽の種類とか、
気分とか精神性みたいな部分も含めて。
岸田
日本語に訳すとすれば「楽団」というね。
その意味でなら、
ぼくら、いろんな楽団をやってきたとも
言えるわけですよね。
だから、かたちが変わったからといって、
内実とか本質は、くるりのまんま、
変わらなくて当たり前かもしれないです。
──
いろんなバンドがやりたかったんですか。
岸田さんは、昔から。
岸田
ぼくは演奏することも好きですが、
まずは音楽をつくることが好きなんです。
音楽やるなら、
こういう編成じゃなきゃダメだみたいな、
スタイルからは入らなかったんです。
──
なるほど。
岸田
たまたま、ソウルメイトみたいな3人が
楽器を持って集まったら、
バチッと火花が散ってデビューしただけ。
もともとスリーピースでいつまでも‥‥
とは思ってなかったんじゃないかな。
──
そうやって、くるりは走り出したわけで、
メンバーが出たり入ったりして、
バンドのサイズを変化させつつ、
でも「くるり感」はずっと維持している。
岸田
そうなんですよね。
──
くるりという風船が、おっきく膨らんで
いろんな音楽を飲み込んだり、
あるいはちっちゃくソリッドになったり。
岸田
バンドというのは中にいる人によるんで、
やれることは、
そのつど増えたり減ったりするんですが、
真ん中は変わらないと思います。
──
真ん中。軸、のようなもの‥‥。
岸田
そう。
──
それが「くるりの本質の部分」ですよね。
岸田
そうなんですよ。
だから何でしょうねえ、それって(笑)。
ひとつには‥‥やっぱり、
現在のコロナウィルス禍の生活みたいな
抑圧された状態から、
どこか遠くへ飛び立っていけるようなね。
──
ええ。
岸田
そういうイメージ。
自由になる、自由に羽ばたくというか。
暗いトンネルの向こうに、
青く明るい空がぱぁーっと広がってる。
そういう絵を、ぼくたちは、
くるりで、描いてきたのかもしれない。
──
ああ‥‥そうですね。そうです。
岸田
それは、歌詞の世界‥‥というよりは、
もっと音楽的な部分で。
抽象的ですから、くるりの曲の詞って。
ようするに和声の進行やったり、
リズムの持っていきかたなどによって、
なんていうんかな、
ある種の「自由の感覚」を、
ずっと歌ってきたのかもしれないです。
──
バンドの編成が変わっても。
岸田
うん。
──
それが「くるり感」の正体。
岸田
かもしれないです。

(つづきます)

2021-02-08-MON

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    写真:田口純也