大の猫好きで、現在ウィーンに暮らす
『13歳からの地政学』著者の田中孝幸さんが、
ほぼ日の猫の日にあわせて書いてくださった
2人の猫ちゃんのエッセイをおとどけします。

>田中孝幸さんプロフィール

田中孝幸(たなか・たかゆき)

国際政治記者。
大学時代にボスニア内戦を現地で研究。
新聞記者として政治部、経済部、国際部、
モスクワ特派員など20年以上のキャリアを積み、
世界40か国以上で政治経済から文化に至るまで
幅広く取材した。
大の猫好きで、3人の子どもたちの父。
『13歳からの地政学─カイゾクとの地球儀航海』は
10万部超のベストセラーに。
2022年10月より、ウィーンに赴任中。

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「猫って、3カ月でも首がすわってるんだ」。
2014年春、モスクワ郊外のブリーダー宅で
最初に飼うことになる猫ちゃんと初対面した時、
私の口から出てきた言葉はこれだった。
もちろん人間と異なり、猫の赤ちゃんには
首がすわるという概念はなく、
一緒にいた妻をドン引きさせた。
私はそれくらい、猫のことを何も知らなかった。

ロシアの冬は長く、暗く、寒い。
モスクワではいつもどんよりと曇り、
太陽をみない日が何日も続く。
それだけに精神面での健康のために、
外での散歩も不要で家で飼える猫を
ペットとする家庭は多い。
前年の秋に私と結婚してモスクワに
引っ越してきた妻にとっては、
言葉もわからないロシアはつらい環境だった。
それに加え、14年初春に起こったウクライナ南部
クリミア半島へのロシアの侵攻によって
私が出張で家を空けることが多くなった。
独りぼっちでつらい思いをしている妻のメンタル対策が
猫ちゃんを飼うもともとのきっかけだった。
モスクワではペットショップは
町中に全く見かけなかった。
猫を飼う場合、自宅で猫のブリーダー業を営む人を
ネットで探して、アポを取って猫ちゃんを見に行く。
そして気に入った猫ちゃんが見つかれば、
ブリーダーに一定の金額を支払って
引き取るのが一般的だった。
たまたま紹介を受けたブリーダー、
ポポパさんのアパートを訪れると、
薄暗いリビングで数匹の子猫が活発に遊び回っていた。
その中の耳がピンと立った猫ちゃんが
私の目を見た(少なくとも私にはそんな気がした)。
何かの縁を感じ取った私は、
ボリス(愛称ボーリャ)と名付けられていた
その猫ちゃんを引き取ることになった。

ボーリャとモスクワの自宅で ボーリャとモスクワの自宅で

しかし、私は猫の飼い方を全く知らなかった。
関連書を読んだり、妻に怒られたりしながら
少しずつ学んでいったが、
なでること一つとってもぎこちない。
だから、子ども時代からの熟練の猫飼いである
妻にボーリャはよくなついた。
ボーリャが私を追いかけるのは、好物の
シーバというキャットフードをあげるときだけだった。

シーバをあげる時はいそいそと来てくれた シーバをあげる時はいそいそと来てくれた

妻がパソコンで作業をしていると、キーボードに覆いかぶさるのが常だった 妻がパソコンで作業をしていると、キーボードに覆いかぶさるのが常だった

ボーリャはそれから1年半、妻と私の
モスクワ暮らしをメンタル面で支えてくれた。
そして、天に旅立った。
「検査をしましたが、ボーリャは白血病です。
もう治りません。苦しいはずなので、
安楽死させることをおすすめします」。
体調不良で入院させた病院からの電話で
目の前が真っ暗になったのを今でも鮮明に思い出す。
私はあらゆる手を尽くしたが、
もう無理かも知れないとわかると、
ボーリャを自宅に連れて帰った。
玄関でボーリャは「ようやく戻ってこられた」と
喜んでいるようにノドを鳴らした。
少し流動食も食べた。
もしかしたら奇跡が起きて元気になるかもしれない。
すべて後回しにして、この子の看病が最優先だ。
でも、彼は翌朝、私と妻に見守られる中、
すっと冷たくなった。
私は泣いた。妻も泣いた。何日も泣いた。
そして私は強く実感したのだ。
何よりもボーリャが
かけがえのない家族になっていたことを。
昔の自分は、ペットをかわいがる人の
気持ちがわからなかった。
動物愛護はうさんくさいものだとすら思っていた。
でも、飼ってみてようやくわかった。
ペットは家族なのだ。
なつこうがなつかまいが、
そこにいるだけでいい家族なのだ。
ペットを飼ったことがない人と
ある人の間には、巨大な理解の断層がある。
その大きさは実際にペットを迎えてみなければ、
理解することができない。
「ああ、こういうことだったのか。
ありがとう、ボーリャ」。
私はモスクワの秋空の下、火葬されて
まだ温かい骨つぼを抱きながらつぶやいた。

私は猫ちゃんを飼いたくなっていた。
そんな思いを強めていた16年2月、
ポポフさんから連絡を受けた。
「最近、ボーリャの妹が何匹か出産したわ。
4月には生後3カ月になるから、
よければ見に来たら。かわいいわよ」
私はその頃、不思議な思い込みにとらわれていた。
ボーリャは亡くなったが、
彼の魂はまだこの辺にいるに違いない。
そして必ず生まれ変わって、私の前に現れると。
ポポフさん宅を訪ねると、活発に飛び回る兄弟の中で、
一人ぼーっとしたのんびり屋さんがいた。
白いソックスをはいているように胴と足の色が
違うのも同じだが、靴下が左右で違っていた。
ボーリャと異なり、典型的な
スコティッシュフォールドのように耳は垂れていた。
「この子だ。早く生まれ変わらないと
いけないと思って、あわてて靴下を
間違ってはいてきてしまったんだろう」。
私と妻はアレクサンドル(愛称サーニャ)と
すでに名付けられていたこの猫ちゃんを
引き取ることにした。
ブリーダーさんへのお礼はおよそ5万円だった。

サーニャを引き取ってブリーダー宅から自宅に向かう車内で サーニャを引き取ってブリーダー宅から自宅に向かう車内で

ソファで昼寝をしているときまってサーニャが覆いかぶさってくる ソファで昼寝をしているときまってサーニャが覆いかぶさってくる

サーニャはボーリャと異なり、私によくなついた。
というより、私の猫ちゃんへの接し方や
思いが変わったので、なつくようになったのだと思う。
変わったのは猫ちゃんではなく、私の方だった。
それからもうすぐ7年になろうとしているが、
サーニャはずっと私のそばにいる。
私は17年秋に東京に帰任し、
22年秋にウィーンに再び海外特派員として赴任した。
引っ越しのたびにサーニャの動物検疫の書類を
用意したり予防接種をしたりする手間は生じたが、
人間がビザを取ることに比べたら
たいしたことはない。
サーニャをつれた飛行機の移動では、
モスクワ→東京間はアエロフロート航空、
東京→ウィーン間はオーストリア航空を使った。
日系の航空会社と異なり、
欧米系の航空会社は座席の足元に
ペットを持ち込むのを容認しているためだ。
何より家族を貨物室に置いて
10時間以上の旅をするという選択肢は
私にはなかった。
日本航空や全日空の方が機内食はおいしいし、
機内エンターテイメントも充実しているが、
そんなことはどうでもいいことだった。
ウィーンへの引っ越しにあたって、
私の親族から「猫は連れていくの?」と訊かれた。
私は「当たり前だろ」と怒りそうになったが、
よく考えたら私も10年前、
海外に猫と共に引っ越しをしようとする人に対して
同じことを言っていたはずだと思った。
全く悪気はない。
ただ飼ったことがないから、知らないだけなのだ。
ボーリャはこの世界に横たわる
大きな理解の断層に気付かせてくれた。
いろいろな人が置かれている立場を冷静に理解し、
無知がどこにあるかをとらえ、
どうすれば良い世界になるか考える。
ペットを巡って考えたことは、
国家間の問題を扱う際の思考の営みとも
共通している点が多い。
私はできれば、残りの半生で
この断層を少しでも小さくできればと願っている。
そうすればボーリャやサーニャが
私の人生をとても豊かにしてくれたように、
日本社会全体も豊かになるはずだから。
そして、それがボーリャへの
何よりの恩返しになるような気がしている。

(おしまいです。ほぼ日の猫の日、ひきつづきおたのしみください。
田中孝幸さんのほかのコンテンツもぜひどうぞ)

2023-02-22-WED

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