不思議な魅力の物体でギュウギュウで、
同じくらい魅力的な店主がいて、
ダンジョンみたいにワクワクするお店。
おもしろいもの好きな人たちの間では、
すでにすっかり有名な、
大阪のEssential Storeを訪問しました。
英語がしゃべれないのに、
たったひとりでアメリカへ乗り込んで、
個人のお家で買い付けをしてきたり、
国内外の倉庫に眠る古い生地を集めて、
アパレルブランドに紹介したり。
人生を自由自在に躍動している
店主の田上拓哉さんに話を聞きました。
担当は、ほぼ日の奥野です。

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第1回 Essential Storeの田上さん。

──
こちらの店に並べられている商品って、
ぜんぶ、
田上さんが海外で買いつけてきたもの、
なんですか。
田上
そうです。主にアメリカなんですけど、
コロナ禍で3年、行けてなくて。
来月、久々に買いつけに行くんですよ。
商品の6、7割はアメリカ。
あとは、日本で集めたものになります。
──
お店って、もう、どれくらい‥‥。
田上
15年ですね。
──
そんなに。ずっと、この場所で?
田上
もともとは南堀江というところで、
期間限定でやってたんです。
合間合間でアメリカへ通いながら。
──
期間限定、といいますと?
田上
ずーっと空いてる不動産物件を探して、
「1ヵ月だけ貸してくれません?」
って、手当たり次第に電話するんです。
いいよって言ってくれた物件を借りて、
店づくりとレイアウトで1週間、
3週間営業して3日で退散するという
サーカスみたいな方式で、
しばらくは営業をしていたんですよね。
──
今でいう「ポップアップ」の連発的な。
田上
そうですね。そんな方式で、突発的に、
いろんな場所でやってました。
それが初期の「Essential Store」で、
「Essential Store1」
「Essential Store2」
「Essential Store3」というふうに、
毎回、番号を振って、15年。
いま「24回め」が終わったところです。
──
店の場所が固定してからも、
営業のたびに、ナンバリングしてると。
いまは、定期的に開けているんですか。
田上
いえ、不定期ですね。
1回の営業で3ヵ月くらいのサイクル。
東日本大震災が起きたときに、
世の流れが変わりそうな感じがして、
突発的なサーカス方式じゃなく、
別のかたちでやってみようと思って。
従業員も何人かいたんですけど、
いったん1人に戻って、
この場所を借りたって感じなんです。

──
いわくありげなものばっかりですが、
田上さんの買いつけって、
当初から、いまみたいに、
ある種、雑多な感じだったんですか。
田上
そうですね。
ぼく、17歳から高校に行かないで
はたらいてるんです。
西成の「泥棒市」ってわかります?
──
はい、聞いたことはあります。
田上
あの界隈に入り浸ってたんですが、
そこで「古いもの、古物」に目覚めた。
19から23までは、
世の中ヴィンテージブームだったんで、
古着屋ではたらいていたり。
ずーっと「古いもの、古物」に、
惹かれるような気持ちがあったんです。
──
いいですよね。古いもの。
ぼくも好きです。
田上
その後、23歳のとき、
グラフィックのTシャツをメインに
ブランドをはじめました。
古着屋をやってたころも、
こんな服がつくりたいなあみたいな
イメージはあったんですが、
結局デスクワークで企画するだけで、
実際の商品づくりは
工場の人にお願いするやり方だと、
なかなか‥‥
納得いくものができなかったりもして。
──
最初から最後まで自分でやりたかった。
田上
それで「店をやろう」と思ったんです。
自分で買いつけに行って、
自分で梱包して、あっちから送って、
こっちで受け取って、値段をつけて、
自分で並べる。そういう店を。
──
大変だけど、ぜんぶ自分でできる!
アウトプットの場ということですね。
田上さんにとって、
このEssential Storeというお店は。

田上
そうなんです。
──
アメリカへ買いつけに行くと言っても、
いわゆる「バイヤー」としての
経験とか知識とかツテとか、
はじめは何にもなかったわけですよね。
それって簡単じゃないと思うんですが。
田上
そうです、自己流ですね。
よくわかってないままで飛び込んで、
自分の感覚に刺さるものを
直感で選ぶという買い方をしてました。
それは、いまも変わってませんが。
──
ある意味で、ご自身の審美眼というか、
ものを選ぶセンスだけを頼りに。
最初どういうところへ行ったんですか。
古道具屋みたいなお店?
田上
まずはフリーマーケットです。
それから「個人宅」ですね。
──
個人宅?
田上
個人のディーラーとかコレクターとか、
おもしろそうなものを
持っていそうな人の家に行くんですよ。
──
未経験で買いつけに行った人が、
フリマはわかるとして‥‥個人宅って、
どうやってたどりつくんですか。
田上
最初の最初は、
あっちで知り合った人からの紹介です。
あの人んちに行ったら、
おもしろいものがあるから‥‥って。
でね、そうやって通うようになったら、
いいものやおもしろいものって、
「人の家にある」ことに気づきまして。
──
フリマとかよりも。
田上
まあ、フリマにもあるんですけど、
人の家には、もっとある。
「あー、この人、いいもの持ってそう」
という人に出会ったら、
お願いして家に行っていいですかって。
でも、「これいいな」と思っても、
だいたい「売りものじゃないよ」って。
──
そうでしょうね、それは。
その人だって何かを売る気マンマンで、
ご招待してないでしょうし。
田上
でもね、お金では売ってくれなくても、
トレードだったらいいって。けっこう。
──
おお。物々交換。
田上
だから、交換用のものをいろいろと、
日本から持っていくようになりました。
で、そのうちに、
アメリカ人にめずらしがられるような、
壊れにくくて、かさばらなくて、
軽くてたくさん持っていけるもの‥‥
ということで
「日本の紙もの」に行き着いたんです。
──
紙もの。
田上
はい。古い肉筆や印刷物です。
たとえば、江戸・明治・大正あたりの
日記帳だとか、らくがき帳だとか、
サンプル帳だとか、
スクラップブックだとか、
そういう「紙でできた古いもの」を
日本で買い集めて、持っていくんです。
──
日記帳とからくがき帳とかって、
つまりは「名もなき人の」‥‥ですか。
田上
そうですね。いち個人の
記録的なスクラップ日記とか。
骨董市やフリーマーケット、
または遺品整理の場とかで売ってて、
それらを買って、
販売用、交換用として持っていく。
で、フリマで手に取るものを見て、
「あ、この人センスよさそう」
と感じたらビジネスカードを渡して、
「お家にも、いろいろ素敵なものが
ありそうですね」と切り出すんです。
──
いいもの持ってそうだなあって、
わかるんですか。何を手に取るかで。
田上
わかるんです。だいたい。
で、いろんな人の家に行ってみたら、
ある法則に気づいたんです。
そういう人たちの多くは、
20代でヴィンテージの洋服を集めて、
30代でインテリアとかアートに走り、
40代になったら
もうすでに家がパンパンになってる。
そこで「紙もの」に行きつく。
──
あー、なるほど。
田上
家に来てもいいよって言われたら、
秘蔵の紙ものを見せつつ
「家の中、探検してもいいですか」
「ガレージのほうも、見たいです」
とか言いながら
家中ガサゴソさせてもらうんです。
するとクローゼットの奥の奥から、
何十年も前のお宝が
出てきたりするんです。
──
インディ・ジョーンズみたい(笑)。
あるいは発掘調査の考古学者。
田上
運よく、そういうお宅に当たったら、
1週間かけて必死にがんばって
やっと集まるくらいの量が、
半日でいっぺんに手に入ったりとか。
そうやって、フリーマーケットとか
ガレージセール、
アンティークショップをめぐりつつ、
合間合間で個人宅を訪問して‥‥
1ヵ月くらいかけて、
アメリカ全土をグルグルとまわって、
買いつけしてくるんです。

(つづきます)

2024-08-09-FRI

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  • 2025年版のほぼ日手帳で yuge fabric farmと 黄金のコラボレーション!

    インタビューの中でも語られますが、
    田上さん率いる
    ENIMA DESIGNのプロジェクト
    「yuge fabric farm」では、
    国内外の倉庫に眠る生地を発掘し、
    活用することで、
    あたらしい価値を生み出しています。
    2025年版の「ほぼ日手帳」でも、
    写真のように
    何ともきらびやかな金襴の生地を
    使わせていただきました。
    広島の工場から出てきた貴重な素材。
    詳細は、こちらのページで。