なんにもなかったところから、
舞台とは、物語とは、
どんなふうに立ち上がっていくのか。
そのプロセスに立ち会うことを、
おゆるしいただきました。
舞台『てにあまる』の企画立案から
制作現場や稽古場のレポート、
さらにはスタッフのみなさん、
キャストの方々への取材を通じて、
そのようすを、お伝えしていきます。
主演、藤原竜也さん。
演出&出演、柄本明さん。
脚本、松井周さん。
幕開きは、2020年12月19日。
担当は「ほぼ日」奥野です。

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第13回 てにあまるが、うまれた。

撮影/宮川舞子 撮影/宮川舞子

12月19日の夜の初日を、観てきました。
稽古場の様子を取材させていただく過程で、
物語の展開は知ってましたし、
俳優がどう動くかも大体わかっていました。
でも、「真新しく、おもしろかった」です。
なによりまず、
俳優の言う台詞のパワーがちがいました。
稽古が進むにつれて、俳優の台詞や動きが
真に迫っていくようすを目にしては、
ビックリしてきたんですが、
本番の演技は、
さらにもう何段か上のレベルにありました。
俳優の底知れなさということでもあるし、
本番というものや、お客さんの存在が
引き出す何かもあるんだろうと思います。
とくに、主演の藤原竜也さんの演技です。

撮影/宮川舞子 撮影/宮川舞子

いまさら言うまでもないことですが、
もう本当に、すばらしく、すごかったです。
怒りなのか不安なのか焦りなのか、
ネガティブな薪をガンガン炉にくべながら、
そこいらじゅうに衝突しながら、
物語を、ズンズン、前へ進めていくのです。
20年以上この場で研鑽してきた人の凄みが
劇場の隅々まで充満し、
最後列にいた自分をも突き抜けて、
なんだかもう、
すごい遠くの方にまで届いていくようでした。
細身のブルドーザーみたいな藤原さんを、
どっしりと受け止める柄本さんの演技もまた、
忘れられないと思います。
松井周さんの書いた脚本は、
わかりやすいものではもともとないのですが、
ずっと、この人がどういう人なのか、
わからなかったんです。
でも、最後の最後の、柄本さん独演の場面で、
柄本さん扮する「隆彦」の心の奥底を、
ちょっとだけ、のぞけたような気がしました。
その場面は、3日前の「テクリハ」のときに
柄本さんが、
何回も何回も繰り返し、やり直していた場面。
松井さんの書いた台詞に、照明、音楽・音響、
そして柄本さんの顔と身体と台詞、演出。
それらすべてが噛み合って、
複雑な人間の心の奥底がのぞけたのかなあと
思いました。
観客としては、
柄本さんが出てくると、なぜか不安になる。
何が起こるかわからず、ドキドキします。
共演する俳優さんたちは、
ちがう意味で、
柄本さんの演技に「安心」を感じるのだと
思うのですが
(そういう声を何度も聞いたことがある)、
この物語を見ている側としては、
柄本さんの言葉に、動きに、その存在に、
何とも言えない「不安」を感じるのでした。

撮影/宮川舞子 撮影/宮川舞子

高杉真宙さん、佐久間由衣さんという
若いふたりの俳優も、
それぞれの役割や役どころを、
しっかり探し当てたんだなあ、
すごい、かっこいいなあと思いました。
稽古を通じて、
ひとりひとりが自分なりに「探して」いく、
舞台をつくるということは
そういうことなのかなと感じていましたが、
本番を観て、
ああ、みなさん、こう「探した」のかあと。
それは、俳優さんだけでなく、
照明さんも、衣装さんも、音響さんも、
美術のスタッフさんも、です。
そして、そうやって「探したもの」でも、
今後、公演が進むにつれて
変わっていったりするのかもしれません。
以前、柄本明さんに
インタビューをさせていただいたときに
「初日に当たれば、もうけもの」
ということを、おっしゃっていたんです。
それだけ
初日は特別ということでもあるでしょうし、
演劇というものは、日々、
変わってくということでもあるのでしょう。
取材する役の自分は今夜でおしまい、
ただただ舞台を楽しんだだけですけれども、
カンパニーにとっては、
この「初日」が、スタートになるわけです。
文字通り「ここからが本番」です。
東京公演は1月9日までですが、
そのあとも、鳥栖・大阪・愛知・三島へと、
舞台を移していきます。
でも、そうやって演劇の舞台というものが
変わっていくのだとしたら、
最後の三島の最終の回を見てみたいなあと、
けっこう本気で思っています。

撮影/宮川舞子 撮影/宮川舞子

撮影/宮川舞子 撮影/宮川舞子

終演後。カーテンコールには、4人の俳優。
え、たったこれだけかあ‥‥と、変な感想。
つまり4人の俳優だけで演じた物語だとは、
ちょっと信じられなかった。
そして舞台の幕が降りたときに感じたのは、
いま、自分は、
「ひとつの物語がうまれるところを、見た」
ということでした。
ただ単に「演劇を見た」のではなかった。
ひとつの物語がうまれるところを、見た。
それはやはり、あるていどの時間をかけて
制作現場や稽古場を
取材させていただいたからだと思います。
だからこそ、
ふつうの取材者にも、ふつうの観客にも
感じられないようなことを、
感じさせてもらえたんだなあと思いました。
「物語とは、どんなふうに、うまれるのか」
そう思ってはじめた取材は
「ひとつの物語がうまれるところを、見た」
という感想で終わりました。

撮影/宮川舞子 撮影/宮川舞子

(おしまい)

2020-12-21-MON

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