日比谷の映画館。
「ゴジラ-1.0」を見て大感動して
涙をぬぐっていたら
エンドロールに知っている名前が。
数年前に話をしたことがある
VFX少年・三宅智之くんでした。
中学3年のときにつくった
ショートムービー「2045」の作者として
制作秘話を聞いたことがあったのです。
大学4年生になった三宅くんにメール送ると
ウルトラマンや仮面ライダーなどの
映像作品に関わっていることがわかり‥‥。
そこで、大学卒業間際の三宅くんに
会いに行ってみました。
担当はほぼ日のかごしまです。
(取材は2024年2月に行いました)
- ──
- 高校1年生のときにお会いして、
面白い子だなって思っていたんです。
はじめて会ったのは冬でしたね。
- 三宅
- 懐かしいです。寒かった記憶があります。
- ──
- たしか水道橋のカフェで
お父さんと一緒にお話を聞きました。
- 三宅
- はい、そうでした。
そのときのことをよく覚えているのは、
前日に山崎貴監督を特集したテレビ番組を見るために
水道橋のホテルに家族で宿泊していたからです。
自宅では衛星放送が受信できないから。
- ──
- そうそう。そのエピソードも印象が強かったです。
ホテルに泊まって番組を見たいほど、
山崎監督が好きなんだなって。 - それでその憧れの山崎監督の仕事に携わっていて、
この春からは山崎監督が所属する白組で働くんですよね。
今日は若きVFXクリエイター三宅くんの
今後の野望を聞きにきました。
- 三宅
- お陰様で。声をかけてもらってうれしいです。
- ──
- 中学3年生のときにつくった『2045』が
話題になりましたね。
あの映像がインターネットにはじめて発表したものですか?
- 三宅
- そうですね。
あれはCGをつくるBlenderというソフトが
好きな人たちのコミュニティがあって、
そこで見せたいと思ってつくった作品だったんです。
思いのほかたくさん再生いただけました。 - あの作品でいろんな人のつながりができましたし、
山崎監督にも見ていただいて、
その後お会いできたんです。
- ──
- 初めて世に出した作品で、
憧れの映画監督とつながるなんて。
すごいことですね。
- 三宅
- 『ALWAYS 三丁目の夕日』のプロデューサーの
奥田誠治さんに小学校の講演に来ていただいたときに、
名刺をいただいたんです。
そこからメールのやりとりを
ときどきするようになりました。 - 『2045』を公開した後に
奥田さんが山崎監督を紹介してくださったんです。
- ──
- 山崎監督に会ったときに
小学校の卒業製作の映像を見せて、
「『君、おもしろいね』って言われてうれしかった」って
言っていましたね。
- 三宅
- そのときの模型がこれです(机のうらにある模型をさす)。
小学校のときにつくった特撮作品ですね。
- 小学校の校舎が破壊されるんですが、
そのときに巻き起こる粉塵は
片栗粉をフーっと吹いて表現したんです。
校舎は撮影した写真を
フォトショップで加工して、
自作ペーパークラフトのような形でつくりました。
- ──
- 卒業制作で小学校の校舎を壊してしまうって、
小学校の先生もびっくりしましたよね(笑)。 - 『2045』のあと高校の映画部で
自主映画をつくっていましたよね。
商業映画に関わりはじめたのはどんな流れでしたか?
- 三宅
- 高3の終わり頃に山崎監督の職場にお邪魔して、
「仕事ください」って直談判しました。
そのとき山崎監督が「考える」って言ってくれて、
大学に入ったあたりから
お仕事いただけるようになりました。
- ──
- 自ら憧れの監督に直談判!
緊張しましたか?
- 三宅
- そうですね。
それまで撮影現場とか山崎監督の職場に
何回かうかがって、
その時点で3年ぐらいはお付き合いがありました。
学生だし、無茶なお願いしてみようかなって。 - ほかにも接点はあって、
高3の頃に「動画甲子園」という、
高校生が映像をつくってコンテストにする
テレビ番組の企画でご一緒して、
ほめてもらったことがあったんですよ。 - 僕は高校の映画部のメンバーとして参加したんですけど、
審査員に山崎監督がいらして、
VFXの使い方がいいと言ってもらって。
- とはいえ、技術的には独学レベルなので、
雑用でもいいんで働かせてほしいという気持ちでした。
日本最高峰のVFXをつくっている方たちがいる環境に
入り込んでみたかったので、
「なんでもやるのでやらせてください」
って言ったんです。
- ──
- そのときの監督の反応はどんな感じだったんですか。
- 三宅
- 「ハッハッハ」って笑っていたと思います。
そして独り言みたいに「今度は自分の番か」
みたいなことをおっしゃったんですよ。 - これは自分が勝手に考えたことなんですけど‥‥。
山崎監督は若い頃に
伊丹十三監督の元で働いていたことがあったんです。
山崎監督が伊丹監督から
仕事をもらったときのことと重ねての
「今度は自分の番か」というつぶやきだとしたら
うれしいなと思いました。
それが自分の中ではすごく印象に残っています。
(つづきます)
2024-04-10-WED