1年の半分以上の期間、
海外での撮影をしてきた竹沢うるまさん。
常に動き続けてきた写真家が、
この1年、新型コロナウィルスによって、
動けない日々を余儀なくされていました。
そのことによって写真家本人は、
そして「写真」は、どうなったのか。
現在の率直な心境をうかがいました。
写真の話とはちがうようでいて、
じつは、
写真家・竹沢うるまの語ってくれた
大いなる写真の話、だと思います。
全6回連載、担当は「ほぼ日」奥野です。
竹沢うるま(たけざわうるま)
1977年生まれ。同志社大学法学部法律学科卒業。在学中、アメリカに一年滞在し、モノクロの現像所でアルバイトをしながら独学で写真を学ぶ。帰国後、ダイビング雑誌のスタッフフォトグラファーとして水中撮影を専門とし、2004年よりフリーランスとなり、写真家としての活動を本格的に開始。これまで訪れた国と地域は140を越す。2010年〜2012年にかけて、1021日103カ国を巡る旅を敢行し、写真集「Walkabout」と対になる旅行記「The Songlines」を発表。2014年には第三回日経ナショナルジオグラフィック写真賞受賞。2015年に開催されたニューヨークでの個展は多くのメディアに取り上げられ現地で評価されるなど、国内外で写真集や写真展を通じて作品発表をしている。
- ──
- 以前インタビューさせていただいたとき、
「旅では退屈がいちばんの敵」
というお話をなさっていたと思うんです。 - でも、うるまさんの生き方を見ていると、
それは現実の旅だけじゃなく、
人生にとっても同じなんだろうなあって。
- 竹沢
- そうですね。
- ──
- ぼくだって退屈はイヤですけど、
そのリミッターがぜんぜん低いというか。
- 竹沢
- と、思います。
- ──
- だから、新型コロナウィルスで、
うるまさん、どう過ごしているだろうと、
ちょっと気になっていたんです。
- 竹沢
- 何でしょうね‥‥いまだ渦中にいるので、
どうとも言いがたい感じです。 - 毎日、浮き沈みだらけで、
「どんなふうに過ごしていたんですか?」
と聞かれても
「こんなふうに過ごしていました」とは、
うまく答えられないかもしれない。
- ──
- そうですか。
- 竹沢
- 自暴自棄になって、
ずっと布団にもぐっていた時期もあれば、
妙なハイテンションが続いて
1日3時間しか寝ず、
朝から晩まで動き続けていた時期もある。 - じっとしているのが本当にイヤになって、
国内ですけど、
こっそり、遠くへ出かけたりもしました。
- ──
- ああ‥‥。
- 竹沢
- その後、ちゃんとしなきゃなと思い立ち、
何となく避けていた
クラウドファンディングを使って
写真集をつくってみたり。 - そんなことの繰り返しで、
何かもう、つねに揺れ動いてる感じです。
- ──
- 昨年の春にコロナ騒動が起こる前までは、
どこにいたんですか。
- 竹沢
- クック諸島です。
ニュージーランドの近くにある島ですね。 - あっちに家族が住んでいるので、
ここ3年くらいは、
クック諸島と日本を行き来していました。
- ──
- なるほど、そういうことだったんですか。
- うるまさんのSNSを見てたら、
よくクック諸島にいるなと思ってたので。
- 竹沢
- 昨年の年明けに3週間ほど
家族全員でニュージーランドを旅行して、
「じゃあ、帰るわ」って、
ぼくは日本へ戻り、
妻と子どもはクック諸島に戻ったんです。 - で、それから2~3週間もしないうちに、
新型コロナウィルスが
一気に、世界中へ広がっていったんです。
- ──
- そうだったんですか。
- 竹沢
- これまでもSARSやMERSの流行を
経験してきたけど、
そこまで困ったこともなかったんで、
「どうせ今回も、すぐ元に戻るだろうな」
と思っていたんですが‥‥。 - 直後に、イタリアとフランスで
撮影の仕事があったけど、中止になった。
「うわぁ、なくなっちゃった」って。
- ──
- これは、ちょっとちがうかも、と?
- 竹沢
- スリランカでの仕事もあったんですけど、
渡航の前々日くらいから、
一気に、世界各国が入国制限しはじめて。 - そこで「スリランカもやめます?」って、
自分から代理店に言ったんです。
- ──
- それは‥‥。
- 竹沢
- もう、海外で感染でもして帰ってきたら、
ちょっとまずいぞって空気が、
日本にもうまれはじめていたんですよね。
- ──
- そうか。
- 竹沢
- それが、昨年3月のあたまくらい。
- ただ、そのときにはニュージーランドは
まだ国を閉めてなかったんです。
で、ニュージーランドが閉まっちゃうと、
クック諸島へは行けなくなる。
経由地がニュージーランドしかないから。
- ──
- なるほど。
- 竹沢
- だから「行かないと、行かないと」って、
毎日、すごく焦っていて‥‥。 - ぜんぶキャンセルして行きたかったけど、
どうしても外せない仕事があって。
フォトコンテストの審査員なんですが、
その審査日が3月26日とかで、
でも、そこまで待ってられなかったんで、
事情を説明して、
「日程を早めてもらえませんでしょうか」
ってお願いして。
- ──
- ええ。
- 竹沢
- 他の審査員の方もいるなか、
3月18日に早めてくださったんですね。 - 審査が終わったら、
その日の夜の飛行機で飛ぼうと思って、
渡航の準備をして、
飛行機も押さえて、荷物も詰めて‥‥。
- ──
- フォトコンテストの審査会場へ。
- 竹沢
- その仕事じゃなければ、断っていました。
- でも、1年前から自分の名前が出ていて、
それで応募してくださってる人たちも
たくさんいらっしゃったから、
投げ出すわけにはいかなかったんです。
荷物を抱えて審査会場へ行って、
5000枚の写真を、ブワーっとて見て。
- ──
- ご、せんまい‥‥。
- 竹沢
- もちろん作品はしっかり見ましたけど、
審査の間にも、
オーストラリアが国を閉めただとか、
ハワイに行けなくなっただとか、
奥さんや知り合いから、
どんどんメッセージが入ってきていて。 - でも、予約していた飛行機は、
まだ「飛ぶ」ということだったんです。
- ──
- ええ。
- 竹沢
- 19時くらいにようやく審査が終わり、
羽田へ向かおうとしたとき、
航空会社から電話がかかってきました。 - 「便が、ニュージーランド直行でなく、
オーストラリア経由になりました」
「ただ、オーストラリアは、
今晩の24時に、国を閉める予定です」
「飛行機は日本時間の22時発なので、
どうなるかわかりません」って。
- ──
- どうなるかわからない‥‥というのは、
空の上で国が閉まっちゃったら、
日本に戻ってこざるを得ないってこと?
- 竹沢
- いや、それすらも「わからない」って。
- ──
- つまり、行ってみなきゃわからない。
- 竹沢
- そう、誰も何もわからないんですよ。
こんなこと今までなかったから。 - 自分を含めて、すべてが混乱していて
「ちょっと考えます」と、
航空会社からの電話を切ったんです。
で、どうしようと迷いながら、
東京駅で、奥さんと電話で話しました。
- ──
- はい。
- 竹沢
- 「ニュージーランドは絶対に閉めるから、
オーストラリアまで行けても、
そこから、日本へ帰れなくなるよ」とか。
- ──
- そうか、そういう可能性も。
- 竹沢
- 仮に運良くクック諸島へたどり着いても、
数ヶ月は、日本へ帰れないだろうと。 - 仕事はどんどんキャンセルになってるけど、
まだ約束の生きている仕事もあるし、
そんなに日本を空けるわけにも、いかない。
「じゃあ、しばらく我慢しようか」って。
それで、航空会社に「乗らないです」って
伝えようと思ったら、
ケータイの充電が切れてしまったんですね。
で、東京駅で公衆電話を探しまわって‥‥。
- ──
- あんまりないですよね、もう。
- 竹沢
- やっと見つけて、
ハンカチで受話器を持って、
直に手で触れないようにしてかけましたが、
ぜんぜん、つながらない。 - 事前にキャンセルできなければ、
返金されないだろうなって思っていたので、
21時すぎとかかな‥‥
オペレーターにつながるのを待つ間、
となりのケーキ屋さんが、
新商品を大きな声で宣伝していた。
それを、ボンヤリ聞いていました。
- ──
- 記憶に残ったんですね、その声が。
- 竹沢
- 妙にね。で、航空会社には、
30分くらい待って、やっとつながった。 - そしたら、あのひどい状況の中、
オペレーターさんの対応がすごくよくて。
それが何だか、心に響いちゃって。
とんでもない1日だったけど、
その丁寧さに、心がほどけたというかな。
いろんな感情がぐちゅってなって、
東京駅の地下のベンチで、
2時間ぐらいボーっとしてたんですよね。
- ──
- そんな‥‥2時間も。
- 竹沢
- それが、はじまりでした。
- ──
- はじまり。
- 竹沢
- そう。それが‥‥はじまりだったんです。
- 0時前の電車に乗って家にたどり着いて、
ずいぶんガランとしてんなあ‥‥
なんて思ったあの日から、すっかり1年。
- ──
- つまり‥‥。
- 竹沢
- 数ヶ月で終わるはずだって思ってたけど、
ずっと苦難の日々でした。
- ──
- つまり、それから1年間、
奥さまと、お子さんには会えてない‥‥。
- 竹沢
- 会えてないです。
- あの出発できなかった日、
その日が「3月18日」だったってこと、
それをハッキリ覚えているんです。
なぜなら、ぼく、
2010年から2012年までの3年間、
世界を旅していたんです。
- ──
- ええ、4年前のインタビューのときには、
そのことについてうかがいました。
- 竹沢
- その出発の日が、「3月18日」だった。
2010年の3月18日。 - その日は、世界へ旅立つ日だった。
で、10年後の2020年3月18日は、
コロナの中、家族に会うために、
飛んでいこうとしていた日だったんです。
- ──
- ああ‥‥。
- 竹沢
- でも、行けなかった。
- ぼくは「3月18日」だから、
絶対に行けるって、信じていたんだけど。
- ──
- 他でもない「その日」だから。
- 竹沢
- でも数時間の差で、飛んでいけなかった。
それから1年が、経ってしまったんです。
(つづきます)
2021-04-19-MON
-
BOUNDARY | 竹沢うるま
人と人、人と自然、考え方、国‥‥など、
いろんな「境界」があるけど、
アイスランドの雄大な大地を見ていると、
人間の考えた境界って、
存在しないに等しいなと思ったんですよ。うるまさんが
今回のインタビューで語ってくれたこと。
アイスランドで撮った写真をメインに、
2020年のコロナ禍における
日本の桜のモノクロ写真などを加えた、
美しい写真集が届きました。
新作発表としては4年半ぶりとのこと。
テーマは「境界」です。
大地の視点から撮られた、雄大な作品。
谷川俊太郎さんが、文章を寄せています。
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東京と大阪では、展覧会も開催されます。
東京では、4月20日から。
大阪では、6月8日から。
新型コロナウィルスのために
何度も延期になった、待望の展覧会です。
ぜひ、足をお運びください。
詳しくはこちらのページでご確認を。