物心ついたときからインターネットや
スマホが身近にあったZ世代。
新感覚を持つ彼らは、どんなことを心地いいと感じ、
どんなことをいやだと感じるんだろう?
上の世代にしてみれば
「仲良くなりたい、だけどちょっと気後れする」
そんな存在でもある気がします。
そこで、Z世代特有の発想や感性について、
長年、若者研究をされていて、
「さとり世代」や「マイルドヤンキー」
といった言葉の生みの親でもある
原田曜平さんに聞いてみました。
もっと彼らに近づいていいんだ、と原田さん。
しかも、いまは世界的に「Z世代の世紀」。
理解を深めておくと、さまざまな場面で
ちょっと役に立つかも?しれませんよ。
聞き手/かごしま(ほぼ日)
ライティング/浦上藍子
原田曜平(はらだ・ようへい)
1977年東京都出身。
芝浦工業大学教授。
大学卒業後、博報堂入社。
博報堂生活総合研究所、研究開発局を経て、
博報堂ブランドデザイン若者研究所リーダーとなる。
2018年に退職し、
マーケティングアナリストとして活動。
2013年「さとり世代」、2014年「マイルドヤンキー」、
2021年「Z世代」が
ユーキャン新語・流行語大賞にノミネート。
主な著書に
『寡欲都市TOKYO─若者の地方移住と新しい地方創生 』(角川新書)
『Z世代 若者はなぜインスタ・TikTokにハマるのか?』(光文社新書)
『アフターコロナのニュービジネス大全』
(ディスカヴァー・トゥエンティワン)などがある。
- ──
- 原田さんはもともと
広告代理店に勤めていたんですよね。
- 原田
- 学生さんからよく
「なぜ広告代理店に入ったんですか?」と
聞かれるんですけれど、正直に言うと、
最初から入りたかったわけでもないんです(笑)。 - 私は高校時代から
「テレビ局に入ってドラマを作りたい」って
思っていたんですね。
大学時代はシナリオ教室に通っていたし、
就職活動のときも、ドラマが強かった
フジテレビとTBSしか受けなかったんですよ。 - でも結果は、2社とも最終面接で不合格。
当時は、就職氷河期だったので、
「食いっぱぐれるぞ」と奈落の底に落ちかけました。 - そんなときに声をかけてくれたのが、ゼミの先輩です。
その先輩は大学時代には
女性にモテる感じじゃなかったのに、
社会人になって、スーツを着て
すごくカッコよくなっていて、
おしゃれなお寿司屋さんでごちそうしてくれて。
「先輩、どこに就職したんですか?」と聞いたら
「博報堂だよ」と。 - テレビ局に入ろうと思っていたので
他の企業のことをあまりにも知らなくて、
博報堂のことも知らなかったんですよ。
それなのに先輩の紹介で面接を受けたら、
たぶんキャラクター採用のような感じで
採っていただいたんですね。
- ──
- 最初は希望して入った業界ではなかったけれど、
先輩がカッコよくなってたのがきっかけで(笑)。
- 原田
- そうなんです(笑)。
- それで入社して最初に配属されたのが、
マーケティング部だったんですね。
大学のゼミでマーケティングを学んでいたのですが、
最初はあまり興味がなくて、やりたくなかった。
広告代理店に入ったからには、
コピーライターとかCMプランナーとか、
クリエイターになりたいと思っていたんですけれど、
ここでも希望通りにならなくて。 - だから最初は、本当にしんどかったんですよ。
ただ、マーケティング調査でいろんな人に
インタビューをして、年齢や性別・職業などの違いで
ずいぶん感覚が違うことを知って、
だんだんマーケティングの仕事のおもしろさを
感じてきました。 - ところが入社2年目に、
博報堂生活総合研究所に異動になったんです。
生活している人たちの気持ちに寄り添って、
マーケティングのアイデアを考えていこうという部署で、
結果的にはここで長く若者研究をすることになりました。 - でも、ここでも最初はやさぐれていたんですよ。
あまり興味がなかった広告会社に行くことになって、
広告会社でクリエイターになろうと思ったら
マーケティング部に配属されて、
そこもおもしろくなってきたらすぐに異動させられて、
研究所ってなんじゃそりゃ? って。
異動になったとき、母親に泣きながら
「異動になっちゃったよ‥‥」
って電話したことをいまでも覚えています。
- ──
- やさぐれている原田さんが変わったのは
なにがきっかけだったんですか?
- 原田
- 当時の所長が関沢英彦さんというコピーライターの方で、
やさぐれていた私を育ててくれたんです。 - ただ、関沢さんに
「君には若者研究をやってもらいたい」
と言われたときにも反抗しましたね。
「いや、俺、ガキに興味はないんで」
なんて言って、出社拒否して
映画を観に行ったりしてて(苦笑)。
振り返ると私は本当にひどい若者でしたね。
まさに「ばかもの」だったんです。
まあ、昭和のいい時代ですよ。 - 関沢さんもあきらめず、そんななかで
「よかったらおいで」って言ってくださって。
だんだん関沢さんの人柄にひかれて、あるとき
「若者研究ってなんでやったほうがいいんですか?」と
聞いてみたんです。
そしたら
「若者マーケットは子どもが減ってもなくならない。
研究する人も少なくなるだろうし、
希少価値が高まる分野だよ」と。 - さらに当時はガラケーが出始めたときで、
「若者研究をすれば、デジタルの研究もできるし、
絶対やったほうがいいよ」
ともおっしゃいましたね。 - それで、毎日のように渋谷のセンター街に行っては、
ガングロギャルとお茶をしながら話すという感じで
調査をはじめました。 - 彼女たちとは4〜5歳しか離れていないけれど、
相当感覚が違うところもあって、
途中から「あ、これおもしろいな」とハマっていって。
気づいたらもう20年以上やっているんです。
- ──
- 長年の研究のなかでは、
大変さもずいぶんあったんじゃないでしょうか。
- 原田
- 自分もそうでしたけれど、
いつの時代も若者はわがままで時間にもルーズ。
だからまあ、日々大変です(笑)。
若者を研究対象にするのは
相撲部屋の女将みたいなものです。 - 特に壁を感じたのは、35〜36歳のころですね。
それまでは10代後半〜20代前半の子たちと
ギリギリ同世代の感覚で話を聞けていたんです。
地方の学生から
「友だちを集めるからインタビューしに来てください」
って連絡がくれば飛んでいって、
彼の家に泊めてもらいながら話を聞く。
労力はかかったけれど、
感覚的に若者を理解できるという強みがありました。 - それが35歳くらいになると、
「あれ? なんか話が通じないな」と。
日々、若い子たちとコミュニケーションをとり、
流行も分析しているのに、
肌感覚での理解ができなくなってきて。
ジェネレーションギャップ、というやつですね。
昔に比べると、自分のなかの感度が落ちているなぁ、
という葛藤が続いた時期があります。 - けれど「さとり世代」「マイルドヤンキー」など、
私が作った言葉がブレイクしたのも、
この時期だったんですよ。
若者のことがよくわからなくなってきていながら、
注目を浴びるという、
ちょっと不思議な感覚の時期でしたね。
- ──
- 「さとり世代」も「マイルドヤンキー」も
本当に広く知られる言葉になりましたもんね。 - その後、若い人たちとの年齢差は
さらに広がっているわけですが、
原田さんは、そのジェネレーションギャップに
どう対処されているんでしょう?
- 原田
- 私は1977年生まれですから、年齢でいえば、
いまは親と子ぐらいに離れてきていますよね。
でも、いまはSNSの発達で、
若者の情報が圧倒的に得やすくなったんですね。
北海道や沖縄にいる子にも
オンラインでインタビューできるし、
TikTokを見ていれば彼らの間で
バズっているものが見えてくる。
若者研究はやりやすくなりました。 - 自分の肌感覚は当然ズレてきていますけれど、
それも悪い面だけではないんですよね。 - 若いころは、感覚的にわかった分、
客観性は低かったと思うんです。
いまは、かなり客観的、定量的に研究できています。
一方で「不憫かわいい」みたいに
理屈は説明できても、感覚的には共感できない、
ということも多いから、
いつの時代もプラスもあれば、マイナスもある、
という感じですね。
- ──
- Z世代の後ろには、α世代が控えていますけど、
どんな特色を持った世代になりそうですか?
- 原田
- α世代の研究は、まだ始めたばかりなんですね。
そして低年齢のうちって、親の影響が大きく、
なかなかその世代の特徴をとらえづらいんですよ。
彼らが高校生くらいにならないと、
しっかり調査をするのもむずかしい部分はあります。 - ただ仮説として私が思っているのは、
第1に、かなりグローバルな感覚を持つように
なるだろうということ。
α世代の親世代は、団塊ジュニアや
ポスト団塊ジュニアと言われる人たち。
彼らは日本人の世代のなかで、
旅行や留学でもっとも海外に行った人たちなんです。
本当の意味でのグローバルな感覚というのが、
子ども世代に伝わると見ています。 - それからα世代は、Z世代よりもさらに
スマホを持つ年齢が低年齢化しています。
スマホで撮影する技術とか動画への感覚とか、
鋭くなっていくでしょうね。
すでにInstagramが普及して、
若い子のビジュアル的な審美眼が上がっています。 - TikTokやYouTubeで増えている
短尺動画(3分以内の動画)を見て育つ世代だから、
これからますますおもしろい映像が
世の中にあふれるようになるでしょう。
- ──
- 原田さんは若者研究と並行して、
大学の先生としても教壇に立たれていますよね。
- 原田
- ド文系の商学部出身の私が、
芝浦工業大学という工学系の大学で
教えているんで、不思議なものですよね(笑)。 - 理系は、再現性が大切ですから、
統計学的に証明しないといけないんですよ。 - お恥ずかしい話ですが、実はいま、週に1回、
家庭教師に数学や統計を教えてもらっています。
「原田さん、復習って言葉、知っていますか?」なんて
怒られながらで。
しんどいんですけれど新鮮です。
これはやはり理系の大学にご縁をいただいたからで、
マーケティングも統計学的に証明できなければいけない。
- ──
- 原田さんも試行錯誤の途中なんですね。
- 原田
- 私にとって理系の大学というのは
いままで見てこなかった世界ですからね。
人生ときめくには、このくらい違ったところに
行ったほうがいいんじゃないかな、って。
これまでの経験からも、きっと適応できるんじゃないか
という根拠のない自信もあります。 - 統計学や数学的な技術が身につけば、
マーケティングもさらに奥深いものになると思うし、
世の中にももっと注目していただける成果が
出せるようになるのではないか、と。 - 学生のほうが数学や統計が得意な子もいるので
「先生、教えてあげましょうか?」なんて言われながら、
なにくそと踏ん張っています(笑)。
- ──
- 今日はありがとうございました。
Z世代の若者と仲良くなれるヒントとともに、
ご自身も学びながらのチャレンジしている姿に
刺激をいただきました。
- 原田
- がんばります! ありがとうございました。
(おわります)
2024-04-26-FRI